野麦峠
山本茂美著「あぁ野麦峠」を読んだのは何時の事だったろうか。もう、30年、いや、もっと前だったか。とても涙なくして読めないノンフィクション小説でした。山本氏は、この小説を纏めるに当たって元女工さんだった明治生まれのお年寄りに聞き取り調査をしたそうです。 そうした声の中には苛酷な「糸ひき」よりも家に居る方が辛かったと言う声も少なからず有ったと言いますから日々の暮らしが如何に厳しく辛いものであったか・・・
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野麦峠への途中、12歳そこそこの少女たちは、標高1672mの深い雪に覆われた道を綿入れ半纏に藁沓で身を固め互いの体を綱で縛り励まし合いながら2月の厳寒期、飛騨から岡谷までの長い道のりを辿った一部を見る事ができます。今、左に大きく迂回して峠に辿り着く舗装路が新しく開かれ私達は労せず数十分で峠に辿り着く事が出来ますが足を滑らせて(3)の沢に落ちた工女も、かなり居た様です。
「あぁ、飛騨が見える」 兄が担ぐ背負子に乗って飛騨に帰る途中、この峠で息絶えた20歳の政井みねの像が立っておりました。 私達にとっても懐かしい乗鞍岳の雄姿が、みねの目にどう映ったでしょうか。何とも悲しい、みねの最後の言葉です。
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何度か映画化もされましたね
この映画では、みね役を三原順子が演じました。中井貴恵、岡田奈々、石田ゆり等の顔ぶれもみえます。
石段を降りて資料館へ行ってみました。ところが火・水曜日は休館で入館できませんでしたので周辺に開かれた自然園を散策です。
紅葉真っ盛りには、もう少し待たねばなりませんが緑の中に染まっていたのは桜葉だけ。でも初の紅葉に心が浮き立ちます。
続く
Go-Toトラベルは、野麦峠方面へお出かけでしたか。幸いにも台風の来る前で良かったですね。
私も、「ああ 野麦峠」は、小説を読んだことがあります。
今の世の中からみれば信じがたい出来事ですが、当時はみんなこのような生活を強いられていたようですね。
諏訪の片倉館の風呂なんかも、あまりにも女工さんの数が多すぎて湯船を深くして立って入ることで、
一人でも多くの人数が入れるようにしたものだと聞いたような記憶があります。
今回、野麦峠をお訪ねになり、今は整備されて歩きやすくなったでろう道を辿り、
当時の様子の一端を肌で感じられたことではないのでしょうか。
随分昔ですが、野麦峠へ行ったことがあります。
古びたお助け小屋が残されていました。
野麦峠の館は最近できたものでしょうか?
当時は無かったような・・・?
この映画は観ていませんが、テレビか何かで女工さんの悲しいお話は伝え聞いています。
昔は難所の野麦峠も今では楽に通れますよね。
野麦峠 有名な小説の舞台を歩く旅ですか
聖地巡礼と違ってノンフィクションの小説の舞台となると
悲しい小説だっただけに涙でそうな場所ですね
今のように便利な時代にいると考えられないようなことが実際に起きてたんですね
野麦峠…すごく有名ですが、なにも知りませんでした。小説を読んでみたいと思います。映画もあるんですか。
美しいところですね。秋のはじまりを堪能されたのでしょうか。いいですね~
野麦峠は前々から一度、訪れたいと思っておりました。
実際に工女たちが歩いた一番の難所と言われた山道を目の当たりにした時、齢12歳の子供達がどんな気持ちで此処を歩いたのか、それを孫に置き換えて見た時、居てもたっても居られない切ない思いに駆られ胸が締め付けられる思いでした。
諏訪の片倉館は入浴はしませんでしたが館内を見学した事は有ります。 仙人風呂と言われた浴場の謂れがイケリンさんのコメントで良く理解できました。有難うございました。
「野麦峠の館」が何時、建てられたものであるのか判りませんが目立たぬように一段下がった場所に木に埋もれるように建てられておりました。
ジュンちゃんが行かれた時に在ったかどうか解りませんがコンクリートの展望台は何だか此処には不釣り合いな気がして違和感を感じてしまいました。。小説や映画から受けたイメージと少し違う様な気がしたのは、やはり あの展望台だったかもしれませんし車で簡単に行けてしまったからでしょうかね。
女工哀史の事は昔、母から聞いた事は有りましたが私が野麦峠を知ったのは山本茂美氏の小説を読んだ時です。峠と言うものは何処か寂しいものですね。
野麦峠、テレビで見たように思います。
(随分前だったので記憶が曖昧ですが)
誰もが遊びたい年頃なのに家に居ても休まることなく
毎日が過酷な日々だったのですね
ここがその場所なのですね
そんなことがあったとは思えないほど
緑豊かなとても綺麗なところですね
信州を旅行中、野麦峠方面の標識は見るのですが行った事は有りません!
小説や映画で女工哀史野麦峠見たのですが、かすかに覚えてる位ですね!
信州の田舎では家の中で蚕を飼ってたのを思い出し、岡谷など紡績工場が多かったのですね
野麦峠、桜の紅葉の様ですが、乗鞍は紅葉真っ盛りと思います
夏の乗鞍は行ったのですが、紅葉の乗鞍一度行って見たいです。
女工哀史「ああ野麦峠」は大竹」しのぶさんの映画で見ました。
元々涙腺の弱い飲兵衛涙、涙で・・・
今では当時より更に涙腺が弱くなり「野麦峠」と聞いただけで
もう目がうるうるしてきます。
女房殿から馬鹿にされそうで、
もうトホホホです。
野麦峠の名前だけは知っていました。
そんな悲惨な歴史があったんですね。
私も雪国で育ったので、雪の大変さはよく分かりますが、
この女の子たちの出で立ちで、よく深い積雪の中を峠越えしたものですね。
手も足も凍てつくようで大変だったと思います。
女工の仕事は辛かったでしょうが、それでも家にいるよりましだった、
というところで胸が詰まりました。
その小説を読んだら涙で顔がぐちゃぐちゃになりそうです(^^;)