男心に男が惚れて
意気が溶け合う赤城山
澄んだ夜空のまん丸月に
浮世横笛 誰が吹く
上野国佐位郡国定村(現・伊勢崎市国定町)の豪農の家に生まれた国定忠治(本名・長岡忠次郎)は天保の大飢饉の時に私財を投げ打って貧しい人達を救った侠客と語り継がれておりますが、そうした一面が人々の心を魅了するのでしょう。
ここ大戸の関所は家から車で30分ほど、榛名山の西側に在ります。忠治はこの関所を破った罪で捉えられ磔刑に処せられましたが、くしくもその日が今から169年前の12月21日、忠治41歳の時でした。
忠治は刑の朝、上州の地酒を所望しますが一杯飲み干すと2杯目は ❝死に臨んで酔ってしまっては死を恐れた事になる❞ と断りこの近くに在る処刑場へと足を向けました。この時、天下のお尋ね者を一目見ようと集まった群衆は役1500人。忠治は刑吏に向かって先ずは一礼、そして一槍突かれる毎に目を見開き見物人を見回し14回目に息絶えたと史実は記しています。
皆さんの心の中の忠治はどんな人物像でしょうか。
国家権力と戦い民衆を助ける、真の侠客としての印象が強いですね。
映画や芝居などで幾度となく取り上げられました。
最近は国定忠治を知る、若い人も少なくなってきているのでしょうが
赤城山といえば国定忠治と結びつきますね。
そうでしたか、今日が磔刑に処せられた日だったのですか。
「赤城の山も今宵限り・・・」の名セリフが生まれてから、169年の
歳月が経つのですね。
国定忠治 お芝居の一場面はよく見聞きするのですが
最初からじっくりと見たことがないので
今一つストーリーがつながらない
今度ゆっくり見てみないといけないですね
いや、史実に忠臣蔵のように、脚色も入っているのでしょうか?
>男心に男が惚れて 意気が溶け合う赤城山
澄んだ夜空のまん丸月に 浮世横笛 誰が吹く
なんとなくどこかで聞きかじったことがある気はしますが・・・
恥ずかしながら、その下の記述を読んだのは初めてです。
国定忠治という名だけ知らず知らずの内に覚えていました。
「たかたかのトレッキング」でこんなお話が聞けて最高です!
有難うございました。
忠治様は群馬だっのですね。木枯らし紋次郎と何故か重なる(笑)
ありがとうございました。
僕も、ここ行きましたよ。
懐かしいです。
中之条から18号を突っ切って東京へ帰るときに、たまたま通りかかって存在を知りました。
五差路の近くでしたっけ?
交通の要衝だったんですね。
国定忠治の実像、それまでの悪者イメージが覆ってびっくりしました。
処刑の時の様子は、(たか)さんの解説で初めて知りました。
遠山の金さんが登場する時代劇にも国定忠治は渡世人のお尋ね者として登場していましたが
清水の次郎長のように人柄も人物で肝が据わっていて腕の立つ良いイメージの渡世人でした。
国定忠治は群馬の人だったのですね
大戸の関所は今も綺麗に残っているのですね
処刑の事も年齢のことも知りませんでした。
イメージの人物像から年齢はもっと上かと思っていました。
国定忠治は「赤城の山も今宵限りだ・・・」のセリフとたすき掛けの姿で刀をかざす姿
そして追ってに取り囲まれる
そこの場面しか知らずにいましたので
渡世人かな?くらいのイメージのみでした。
たかさんの記事で貧しい人達を救った侠客と知り
それで名が残っているのかと納得でした。
私は子供の頃から何度となく耳にして来ましたので空で歌えますが哀調をおびた旋律が心を打ちます。
忠治が八州見回り役の追手から逃れ赤城で子分たちと3ヶ月、身を隠したと伝えられる岩谷が不動の大滝の近くに今も残っております。
梯子で降りていくわけですが洞窟内は結構な広さがあり当時に思いを馳せながら私も2度ほど探検したものでした。
いよいよ赤城の山を下り信州へ国越えする、その時に言った「赤城の山も今宵限り」があの辰巳竜太郎さんの名セリフなのですよね。
その時に頭に浮かんだのが「名月赤城山」
これをどう構成しようかと考えたあげくが今回のブログでした。
新国劇で定番だった国定忠治も昭和63年に劇団の幕が閉じられ忠治も次第に伝説の人物となって参りました。
何時か私もユーチューブで見つけて辰巳竜太郎さんの「国定忠治」をジックリ観賞してみたいと思っております。