妙義神社から更に車で登って行きますと中之嶽神社へと向かいました
此処には大きな駐車場が有りますがほぼ満杯
私が何時も初詣に行く神社は2日には人影も途絶えてしまいますが
此処は4日経った今でもかなりの賑わいです
駐車場から眺められる蛾々たる山容の妙義山
圧倒されると共に自然に対する畏敬の念が沸々と湧いて来ます
地図は表妙義全図(裏妙義は載っておりません)ですが
黒枠内が駐車場から眺めた南面の妙義です
道路の反対側には筆頭岩(ろうそく岩)が一際、目立ちますが
ウエストン夫婦をこの岩に紹介し案内したのが根本清蔵でした
時は1912年、大正元年の事です
以来、清蔵のクライマーとしての才能や段取りの良さに惚れ込んだウエストンは
殆どの山行に清蔵を帯同したという事でした
写真はH22年、みやま文庫から出版された本に載っていたもので
左から 嘉門次 ・ 根本清蔵 ・ ウエストン
先ずは大国神社を下から参拝
近年、この神社の近くに日本一大きいと言うキンキラ大黒様の像が建てられました
最初の写真の下の方に一際目立つ像がそれです
余りにも違和感が有り写真にも撮りたくない、見たくもない像ですが、嫌でも目に入ってしまいます
右手に延びる石段を上がって中ノ嶽神社をお参りする事に
ヤットコサで振り向けば・・・あれ?雄さんが居ない
見れば鳥居の下に・・・この横着者!!
雄さんには「女は強し、良く頑張った!」と褒め逃げされてしまいました
私は小声で 「大崖西郎・・・」
中之嶽神社の御神体は拝殿後ろの轟岩です
勿論、鎖頼りに私も登りましたが考えてみますと御神体を踏みつけてた訳ですよね
当時は足が竦みながらも絶景にみとれ、そんな事、考えてもみませんでした
今日は謝って帰ろう
ついでなので蝋梅の郷に寄って帰りましょうかね
続く
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この形ですよ・・
いつも気になっていた山 妙義山
うれしいです。こんなに大きな画像でくっきり見えたて
ゾクゾクします。
一度 まじかで見たいものです。
高速から私が見た妙義山の画像をURLに入れてます
シャモニーから見上げるエギーユ・デュ・ミディ針峰群を思い出してしまう程の山が、この日本にもあるのですね。
知らない事が恥ずかしいですが・・・<汗&
迫力に圧倒されてしまいそうです。
アハ<笑。
キンキラキンの大黒さま、見たくもない・・・と書かれたお言葉に<惹かれ>わざわざ見てしまう私です<爆。
人の心理とは、おかしなものですね<爆。
キンキラ大黒は、私も見たくありませんが、、、
私も間近で、一度は見てみたい妙義山です。
やっぱり、ホンの少しだけ足を踏み入れてみたいかな・・・です<笑。
何度もPCで現地を検索して眼にします。案内係として嘉門次さんの名も出てきますが
根本清蔵さんは、今回教えていただいて知りました。
さすがどんな山も、きびきび昇りそうな精悍な体型をしていらっしゃいますね。
清蔵さんはクライマーとしての技術をどう身につけたのでしょうね。本にはその辺のことも出ていますか?
聞きしに勝る凄い迫力
人を寄せ付けないような・・・荒々しさを感じますが
それがまた魅力的な岩山ですね
岩峰が続く 稜線は
異様な雰囲気 自然の造形に驚くばかりです
一度 傍で眺めてみたくなりました
続きも楽しみです
でも行く人も多い・・
皆さんすばらしいです
この山容に似てる山が大分にもあります
通称のこぎり山・・
険しい山で遭難者も出ました
我が家の主人は絶対行かないでしょうね
昨日歩いただけで今日は足が痛いとか・・(笑)
普段どんだけじっとしてるのだか・・いかんいかん愚痴ってもしょうがない
私は行ってみたいなと思いました
景色が見たいです
参拝も足腰が丈夫じゃないと無理そうで、
新年早々よい健康診断になりそうです!
私達は上毛三山の一つとして子供の頃から慣れ親しみ
其処に有るのが当然として生活してきましたが
初めて目にする人達にとって、この特異な山容はかなり印象深く心に残るようですね。
今度は高速から降りて是非、中之嶽神社の駐車場に車を停めて眺めてみて下さい。
お待ちしております。
妙義はあの針峰群に比べたら赤ちゃんの様なものですが
初めてエギーユ・デュ・ミディを目にした時には体が動きませんでした。
広大なお花畑を過ぎると景色は一変し冬の様相
山頂でお餅を焼いて食べたあの日が懐かしく蘇りました。
sisiさん、妙義は上級者コースから初級者コースまで非常にバリエーションに富んでおります。
是非、日本の三大奇勝「妙義」へお出かけ下さい。
牧師だったウエストンが何故、妙義山が有る松井田を訪れたのか・・・
それは新島襄の関係だったのではないかと思います。
今「登山家W・ウエストンと清蔵」の本を捲ってみましたが
清蔵に関する生い立ちや山歴などの記述は見当たりませんでした。
それは私も知りたいところです。
『清蔵の様に優れた支持者に恵まれて幸運であった。これ程、素晴らしい支持をしてくれる人は日本では彼しか居ないであろう』
『彼の勇気と足腰の敏捷さ、更に完全な身体の熟し方は立派である』
『漸く尾根上に出て・・(略)・・強力たちは“万歳ウエストン様、万歳”と叫び声を上げた。余り感情を表さない清蔵の真面目な顔にも見た事の無い感動の様子が見られた→鳳凰山記より』
ウエストンの残された日記から清蔵の人と成りを想像するしかなさそうです。
ただ一つ、
ウエストンが帰国した後も数名の外国人の依頼で道案内をした。
また妙義山の山案内人としても病に倒れるまで親切な力のある案内人として活躍し続け
白雲山を見上げる墓地で静かに眠っている
と締めくくられていました。
多分、妙義は清蔵氏にとって遊び場だったのでしょうね。
会って見たかった魅力的な人ですよね。
火山活動と地殻の変動によって造られたと有りました。
その後の風化と浸食の作用により火山の内部が露出し
この様な景観が生まれたのでしょう。
妙義はsisiさんの所でも書きましたが上級者から初級者のコースが設けられていまして
どのコースも妙義の醍醐味が得られます。
石門めぐりも楽しいし、お中道は私の好きなコースです。
ぜひ、側まで来て下さいよ。