現在建設中の「道の駅」兼 「高速道SA」は私達が前夜着いた時には閉まってしまいましたが温泉付きです
写真を写しませんでしたので名称は忘れてしまいましたが確か道の駅「いしづち」だった様な・・・?
そこから畑が広がる道を今治に向かう途中、後方に見えた立派な山
多分、石鎚山だろうとカメラに納めました 足跡を残した懐かしい山です
(松山、砥部はその時に観光しましたので今回はパス)
大分遅くなってしまいましたが(9:20)朝食を道の駅「ゆのうら」で済ませ一路「今治」へ
「せんざんき」・・・関東人間には解らない言葉です このままでは気持ち悪いですよね
「こちらでは唐揚げの事を“せんざんき”と言うんですよ」店の人が教えて下さいました
右の写真 のマークが有りましたから近くで温泉が湧きだしているのでしょうか
道の駅から30分ほど走りますと左に今治城が見えて参りました
何て美しいお城なのでしょう 絵の様なお城ですよね
思えば四国はお城が多い所です
行く先、行く先で城を見ますので、まるで城廻りの旅に出た様な錯覚を起こしてしまうほどです
掘りをぐるり半周した所の駐車場に車を預け土橋を渡りますと瓦の補修工事をしている職人さんや
国内でも珍しい海水をお堀に引き込む水路が目に留まりました
この水路は今治港に繋がっているとの事で潮の満ち引きで海水が出入りし
その為に多くの海水魚が泳いでいる訳ですが
この日は水が濁っていたため目視は出来ましたが映像に残す事は出来ませんでした
一方、堀底から真水が湧き出ている場所も有るとの事で淡水魚も見られるのだそうです
土橋を渡り切りますと行く手を鉄御紋が立ち塞がります
当時の資料から忠実に再建された風格ある門でした
先ず目を引くこの大きな石 これは勘兵衛石と呼ばれているそうで
建て2・4m 横4・6m 重さ16・5t有ると言いますから度肝を抜かれました
この様な石は城主の力の大きさを誇示する為に目につく場所に置かれる様ですね
因みに勘兵衛と言う人物は今治城の築城総奉行を務めた人だと言う事です
天守閣が見えて来ましたね
その前に馬に跨る人物像 築城の名手と言われた藤堂高虎公の雄姿です
(この像を作ったのは日本彫刻界の第一人者で文化勲章を受章された中村晋也氏)
さて今治城ですが1604年から築城を始め9年をかけて完成したと言われておりますが
明治維新後に建造物の殆どが取り壊され内堀と主郭を残すのみとなってしまった訳です
現在の天守は昭和55年以降、明確な資料も残されておらず
明治期の写真を手掛かりに再建された城、いわゆる模擬天守と言う事でしょうか
天守最上階からは今治港・燧灘方面、そして眼下には吹き上げ神社の屋根が眺められましたが
この神社は今治城下に在った神社を明治期に移設した物だそうで
この外にも幾つか神社が置かれておりました
でも・・・これほども神社を集合させてしまっていいのかな?
この道は武具櫓に続きます のんびり歩くにはとても気持ちの良い道ですが
実際には武具の取り出しで慌ただしく駆け回っていた道なのでしょうね
山里櫓
内堀を挟んで外側に在った庭園「山里」に通じる位置に在った為そう呼ばれているそうです
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こうして長かった四国の旅も、いよいよ「しまなみ海道」を残すのみとなりました
石鎚山が綺麗に写っています。山だらけの中でよくあれがそうだと分かりましたね。
道の駅「ゆのうら」は私の生家に近いです。偶然今日私もここをアップしました。
あの湯気はイミテーションです。
「せんざんき」は正確には「から揚げ」とは違います。衣をつける前に鶏肉を出汁に漬けて下味をつける料理です。不思議な事に北海道にも「せんざんき」があるんですよ。
今治城の神社の位置が本当の天守閣が在った位置なんです。ここは高校生時代のデートの場所(他にこれといって行く所がない)です。お堀の手漕ぎボートに二人で乗るのが定番でした。お堀は釣り禁止です。
嬉しくて色々と書いてしまいました。
しまなみ海道を楽しんでくださいね。
って、もう帰宅しているか。
私は仕事の途中に一度立ち寄ったことがあるだけで
中までは入ってなかったんです
堀の魚ほとんど海水魚 堀でカレイやチヌが釣れたらびっくりしますね
せんざんき 隣の新居浜ではざんき 千がなくなる
他のとこでは唐揚げですから同じ県内でも違うんですよね
坂本龍馬にも会ったし藤堂高虎にも会ったし
四国の歴史相当詳しくなりましたね
後は島の点在する瀬戸内の風景堪能ですね
島に落ちる綺麗な夕陽は見られたかな?
今治城は、瀬戸内しまなみ海道スリーデーマーチに参加した時の主会場だったのでよく覚えています。
写真を拝見して懐かしく思い出しました。
ここからバスで大島の "よしうみバラ公園" まで移動し来島海峡大橋を渡って今治城まで20km歩きました。
道中、体育授業の一環で参加しているという、地元の女子高生とおしゃべりしながらの歩きでした。
橋を渡りきったところで受けた、ボランティアさんの接待と人情の厚さが蘇りました。
終わってから天守に登ろうと思ってはいたのですが、疲れてそれどころではありませんでした。
見残した天守からの素晴らしい風景を見せていただき嬉しかったです。
今治は街も人も素晴らしい街です。
道の駅「ゆのはら」のお近くに御実家がお在りなのですね。荒川散歩さんがアップされた温泉スタンドは気が付きませんでしたが道の駅に有ったのですか?
そちらは本物なのでしょうが私が写した湯気がイミテーションだったとは、まんまと騙されました。
「せんざんき」→下味がシッカリついている唐揚げと解釈すれば宜しいのでしょうか?地方地方で呼び方も色々・・・面白いものですね。
神社が移築された場所に今治城の天守が在ったと言う事は知りませんでした。 その場所が荒川三歩さんのデートの場所だったとは・・・
夢多き多感な十代
最近、鮫やエイの姿も目撃されたらしいですね。何だか楽しくて暫くの間、夢中で眺めておりました。
「せんざんき」「ざんき」・・・同じ県内でも呼び名が変わるのですね。初めて耳にした言葉ですが、どうして、そう言う言葉が生まれたのか興味深いな!
そうですね、四国を旅して教科書の中だけだった歴史上の人物がとても身近になった様な気がします。これは私にとって画期的な事です。
宇和島の歴史も良かった~。何かにつけて思い出される事でしょう。
いま思えば歩いてこその「しまなみ海道」ですね。 もし、このまま島に寄らずに尾道に直行してしまったなら、きっと印象も薄くなってしまったと思います。
歩くのが大変ならば今、人気のサイクリングでもいいですよね。
イケリンさん! 20kという長い距離も女子高生と楽しくお喋りをしながらでしたら10k位に感じられたのではないでしょうか?
今治に着いて有り難い接待を受け目の前には美しい今治城
感動のゴールだったのですね。
本当は今治の奥まった所に在る♨に一泊したかったのですが、そこまで行く気も失せて城見物後、しまなみ海道へと向かってしまいました。
車で走っていると私が描いていた「しまなみ海道」もただの高速道を走っている感じで長閑な瀬戸の海を堪能するまでに至りませんでした。
やはり、歩くか自転車で渡るのが良さそうですね。
島に下りなかったらかなり印象の薄い「しまなみ海道」になっていたと思います。
青葉太郎さんは全行程を歩かれたのですね。凄いです! 私も今度、機会が有ったなら絶対そうしたいと思います。
今日はコメントを有難うございました。またお出かけ下さいます様に。お待ちしております。
藤堂高虎の築城とあれば、なるほどと頷けますね。
明治の廃城で多くのお城が壊され、再建ままならぬお城が多い中で、
このように当時を彷彿とさせる姿で再建されたのは素晴らしいことですね。
今治の人たちの喜びが伝わってくるようです。
海水をそのままお堀に引き込んでいるんですね。
城内のお堀で海の魚と淡水の魚が泳いでいるのは面白いですね。
いざという時には、舟で海に逃げ出せるメリットもありますね。
天守からの眺めも素晴らしいですね。
全く越後美人さん仰る通りです。 高崎も市役所の在る場所に丁度、宇和島城の様な城が建っておりました。 築城したのは後に彦根の城主となった井伊直政公なのですが明治維新後、廃城令が発せられると、そこは陸軍の駐屯地として使われる様になり、やがては取り壊される憂き目にあってしまった訳です。
当時の写真も資料も残されているのですから、もし高崎にそれだけの財力が有れば今頃は観光地として成り立っていたでしょうに、こうして各地のお城を目にしますと何ともやり切れない寂しい気持ちになってしまいます。 名城と謳われている箕輪城もしかりですね。
気分を変えましょう!
お堀に海水魚が泳いでいるお城なんて今まで聞いた事が有りませんでした。
この頃は天下泰平の世となり戦いも無かった様ですが、いざ籠城と言う時には窓から釣り糸を垂れて凌いだりして・・・・・・なんて私は馬鹿な事を。
天守からの瀬戸の海は素晴らしかったですよ~。
何よりも姿の美しい今治城が今でも目を瞑ると浮かんで参ります。