大好きな、皆様とご一緒に聖書の分かち合い です。
土曜日の孫たちとデートから、3日間休んでいたので、まとめて、3日分です。
よろしくお願いいたします
まずは・・・。
10月19日。日曜日。 『主日の御言葉』
『皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。』
マタイ福音書 22章21節
そして・・・。
10月20日。月曜日。 『神の御言葉』
『イエスはたとえを話された。
「ある金持ちの畑が豊作だった。
金持ちは「どうしよう。作物をしまっておく場所がない」と思い巡らしたが、やがて言った。
「こうしよう。
倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、こう自分に言ってやるのだ。
「さあ、これから先何年も生きていくだけの蓄えが出来たぞ。
ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。」
しかし神は、
『愚かな者よ、今夜、お前の命はとりあげられる。』
お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。
自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」』
ルカ福音書 12章16~21節
最後は・・・。
10月21日。火曜日。 『神の御言葉』
『腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。
主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。』
ルカ福音書 12章35&38節
ここから・・・
皆様と、分かち合いをさせて下さい。
まずは・・・。
日曜日。主日ミサ。
『司式司祭の挨拶』 でした。
『神様!
この世のすべてのものは、あなたがお造りになったもの。 あなたのものです。
今朝も、 私たちは、
神のものすべて神にお返しになったイエスの奉献に合わせて、
私たちの一週間の労働や祈りや 一週間のすべてを、司祭と共に、感謝をもって、捧げるために、
ここに集まりました。』 と。
私も考えました。
『神のものは神に返しなさい。』
そうなのよね。
私たちの命も、家族も、友人も、自由も、信仰も、すべて、神から頂いたものなのです。
そして
イエスは、死によって、すべてを神に返しました。
同様に、
私にも、『すべてを神にお返しする日』 が来るということです。
すべての人が
命も、自由も、すべてを、持ち主の神に 『お返しする日』 が来る。
しかも
『その日』 は、突然に、来るということです。
事実。
豊作の作物を、新しい大きな倉に移して、『安心した金持ち』 に 『その日』 は、突然に来ました。
『愚かな者よ、今夜、お前の命はとりあげられる。』 と言われたとおりに。
この世のすべては、神の造ったもの。 すなわち 神のものです。
明日の命も分からない。 人の寿命も神のもの。 神が決めることです。
私のものはすべて、神からの預かり物です。
”預かり物を返して下さい!” と。 神は、私たちを、突然に、訪れるのです。
神に、”良い管理人であった!”と言われるように、気を抜かずに、準備しておくことが大切です。
自分のためにのみ、収穫物や財産を使おうとする『金持ち』は・・・それらを楽しむ間もなく『最期』を迎えるのです。
以上が、『外なる現実』 です。
この世において・・・
神から預かった『能力』も『財産』も、すべては、隣人と仲良くするための、隣人に分け与えるための、『神からの預かり物』 です。
神から任された私たち一人一人が、すべての価値を問われる時が来る。 ということです。
そうでした。
『外なる現実』 を直視しながら・・・『内なる世界』 心は、明るく平安に健やかに謙遜で そして 動揺することなく。 ということです。
『心の貧しい人は幸い、天の国はその人のもの。』 ということです。 マタイ福音書 5章3節
皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
神に与えられた限りある『この世の私たちの命』です。 世界中の人々が、お互い様で、お人のために『我が命』を使いたいものですね!
それらを、楽しむ間もなく『最期』を迎えるのではなくて・・・じっくりと楽しみたいですものね。
土曜日の孫たちとデートから、3日間休んでいたので、まとめて、3日分です。
よろしくお願いいたします
まずは・・・。
10月19日。日曜日。 『主日の御言葉』
『皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。』
マタイ福音書 22章21節
そして・・・。
10月20日。月曜日。 『神の御言葉』
『イエスはたとえを話された。
「ある金持ちの畑が豊作だった。
金持ちは「どうしよう。作物をしまっておく場所がない」と思い巡らしたが、やがて言った。
「こうしよう。
倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、こう自分に言ってやるのだ。
「さあ、これから先何年も生きていくだけの蓄えが出来たぞ。
ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。」
しかし神は、
『愚かな者よ、今夜、お前の命はとりあげられる。』
お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。
自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」』
ルカ福音書 12章16~21節
最後は・・・。
10月21日。火曜日。 『神の御言葉』
『腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。
主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。』
ルカ福音書 12章35&38節
ここから・・・
皆様と、分かち合いをさせて下さい。
まずは・・・。
日曜日。主日ミサ。
『司式司祭の挨拶』 でした。
『神様!
この世のすべてのものは、あなたがお造りになったもの。 あなたのものです。
今朝も、 私たちは、
神のものすべて神にお返しになったイエスの奉献に合わせて、
私たちの一週間の労働や祈りや 一週間のすべてを、司祭と共に、感謝をもって、捧げるために、
ここに集まりました。』 と。
私も考えました。
『神のものは神に返しなさい。』
そうなのよね。
私たちの命も、家族も、友人も、自由も、信仰も、すべて、神から頂いたものなのです。
そして
イエスは、死によって、すべてを神に返しました。
同様に、
私にも、『すべてを神にお返しする日』 が来るということです。
すべての人が
命も、自由も、すべてを、持ち主の神に 『お返しする日』 が来る。
しかも
『その日』 は、突然に、来るということです。
事実。
豊作の作物を、新しい大きな倉に移して、『安心した金持ち』 に 『その日』 は、突然に来ました。
『愚かな者よ、今夜、お前の命はとりあげられる。』 と言われたとおりに。
この世のすべては、神の造ったもの。 すなわち 神のものです。
明日の命も分からない。 人の寿命も神のもの。 神が決めることです。
私のものはすべて、神からの預かり物です。
”預かり物を返して下さい!” と。 神は、私たちを、突然に、訪れるのです。
神に、”良い管理人であった!”と言われるように、気を抜かずに、準備しておくことが大切です。
自分のためにのみ、収穫物や財産を使おうとする『金持ち』は・・・それらを楽しむ間もなく『最期』を迎えるのです。
以上が、『外なる現実』 です。
この世において・・・
神から預かった『能力』も『財産』も、すべては、隣人と仲良くするための、隣人に分け与えるための、『神からの預かり物』 です。
神から任された私たち一人一人が、すべての価値を問われる時が来る。 ということです。
そうでした。
『外なる現実』 を直視しながら・・・『内なる世界』 心は、明るく平安に健やかに謙遜で そして 動揺することなく。 ということです。
『心の貧しい人は幸い、天の国はその人のもの。』 ということです。 マタイ福音書 5章3節
皆様!
ご訪問に感謝申し上げます。
神に与えられた限りある『この世の私たちの命』です。 世界中の人々が、お互い様で、お人のために『我が命』を使いたいものですね!
それらを、楽しむ間もなく『最期』を迎えるのではなくて・・・じっくりと楽しみたいですものね。