居間から眺める『葡萄の赤ちゃん』
整列して大きくなるのを待っています。 今日も一時間で終了です
『イエスは言われた。
「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。
人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、
その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」』
ヨハネ福音書 15章5節
確かに。
眺めていると・・・『イエスの御言葉』の意味がよくわかります。
葡萄の赤ちゃん枝は、ぶどうの木に、しっかりとつながっています。
葡萄の木から栄養も水分ももらって、どんどん大きくなって、甘い葡萄の実を結ぶのです。
イエスは語るのです。
「皆さん! 私はブドウの木です、私につながっていて下さい。
私につながっていて下されば、私が栄養も水分も十分に送ります。
必ず、私があなた様の実を結びます!」 と。
『神の御言葉』に豊かに養われて生かされる者は、
主イエスがそうであられたように、神様から離れることなく、つながって、
望むものを何でも求めることが出来るし、神はそれを豊かに与えてくださるのです。
絵画。
『一年の計は5月19日にあり』は、三日坊主の三回目までは、無事に続きました。
ていねいに時間をかけて描くと、もうちょっとうまく描けるのかな?。
技術も才能もない私としては、『毎日1時間の絵画』を続けることで、回数と経験で腕をあげていくしかないでしょう!?
そして。
今日は5月21日。年間第七土曜日。
今日は、朝ラン途中で、プロテスタント教会の掲示板チェック。
『今週の一言』=『道』 でした。
『道』といえば・・・
思い出します。
一つ目。旧約聖書から。
『神はこう言われる。
「見よ、わたしはお前たちの前に命の道と死の道を置く。」』 エレミヤ書 21-8
二つ目。新約聖書から。
『イエスは言われる。
「わたしは道であり、真理であり、命である。
わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」』 ヨハネ福音書 14-6
私達は・・・
この世で、『人生の道』を歩んでいます。
『人生の道』はどこへつながっているのでしょう? 『道の終着地点』はどこなのでしょうか?
イエスは・・・
答えます。
『私は道であり、その終着地点は御父・神、『御父・神への道』=『命の道』なのです。』と。
『イエスの道』こそ『神に至る道』=『命の道』であるなら・・・
私達が歩むべき道は、はっきりしています。
それは、イエスがそうであったように、
『私達の道』は、『人に仕える道』であり、『人のために大きな苦しみの道』かもしれません。
しかし
大丈夫です!安心していましょう!
三つ目。こんなのもありますものね。
『全ての道はローマに通ず』 (「All roads lead to Rome.」)
目的までの手段や方法は、何通りもあることのたとえ。
必ず、
『私達の道』は、どんな道であっても、『御父の元に通ず』るのです!
安心して、日々の自分の道を、しっかりと生きましょう!
以上。
家に帰るまで、走りながら考えた事でした。お粗末様です
『熊本地震』の被害に遭われている皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
枝である私達は、しっかりと栄養源の木につながって、素敵な実をつけましょう!
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ラン記録。 今日・5月21日・10㎞
6時。 走りも、長続きのために少な目、10㎞で終えることにしました。
5月ランニング合計距離 34㎞