お世話になってる美容師さんは、40になるかならないかという年頃。
彼は「お金なんか貯めたって、年取ってから使い道ないんだから、今遣った方がいい」と言う。
今なら、体も動くし旅行に行っても楽しいけど、年取ってからそんなにアクティブなこと出来ないだろうから・・・って。
そうかもねえ。
同僚が、最近話題になっている貯蓄を使い切って死ぬという内容の本を読んだらしく「やっぱり若いときにお金を使った方が楽しめると思います」と言う。
30代前半。
そうかもねぇ。
でも、二人とも若いなあと思う。
人が貯蓄をするのは老後の生活への不安があるからだということは、その本にも書かれていたらしいし
そのことへの対応も書かれていたみたいだ。
わたしは読んでいないので、本への意見は言わない。
というか言えない。
ただ、若い頃にはお金がかからず出来たことの全てに、年を取るとお金がかかるということだけは
彼らよりも実感している。
なぜなら彼らよりも高齢の親がいるから。
彼らの親はせいぜい60代から70代である。
健康寿命は人それぞれだけど、わたしの周りの70代は概ね若々しい。
自分の親だってホント、元気だった。
その後、病を得たり年を重ねたりしていくと徐々に「老い」を迎えるのだ。
単に年を取ってもそれは「老い」ではないんじゃないか。
身体か認知機能か、その両方が徐々に衰えてゆくことが「老い」なのだなーと親を見て実感した。
徐々にと書いたけど、徐々にを過ぎると急激だったりする。
しかも結構、予測のつかないスピード。
ここから自分の老後を考えると、老後を気にしすぎて貯蓄しすぎると若いときに楽しめない、という考えを否定は出来ないけれど
逆に言うと、お金をかけなくても楽しめたり快適に過ごす術を、若いときは持っているのである。
若さ、体力、気力、知力というのは財産なのだ。
どんなに金を払っても、老いてから手に入れることの出来ない財産なのだ。
若ければ、遊びに行く気力も満々で、車も欲しいテーマパークに行きたい
おしゃれな洋服を着たい、ブランドの時計が欲しい、リゾート地で羽を伸ばしたい・・・欲望は尽きないでしょう。
でも、ただその辺りをぶらぶらすることが出来る健脚があれば近所の桜を心ゆくまで楽しめる。
高額な入場料の必要なテーマパークへ行かなくても、友人と会って話してるだけでも面白い。
公園でフットサルやバスケの真似事をしたり、映画のレイトショーを一人で観るのも楽しい。
高齢になり、自力移動が難しくなった人が、家族の力を借りずに徒歩5分の公園に行きたいと思ったらどうするか。
ヘルパーを頼み、車椅子を借りて、連れて行ってもらうことになる。
そのシステムだけでもありがたいと思うけど、全てのことにお金がかかるのである。
そのお金が惜しいという話ではない。
それこそが必要経費だと思うのだ。
若い頃に自力で出来たことの全てに人の手を借りる必要が出てきたとき、自分はどこで誰と暮らしているのか。
家族と同居しているのか。
同居家族は介護を担ってくれるのか。
どの程度の手助けをしてもらえるのか。
一人暮らしだったとして、近くに頼れる人は住んでいるのか。
その人はどの程度、頼ることが出来るのか。
80代後半で、頼りになる息子に急逝された知人を知っている。
自分が老後、どこでどんな風に暮らしているかなど誰にも分かりはしないのだ。
だから貯蓄は必要という話ではなくて。
「老後」と一言でくくられがちだけど、百人いれば百通りの老後があるのだ。
老後を快適に過ごすには人の助けが必要になる。
そしてそれにはお金がかかる場合が多い。
一ヶ月に一回くらいならちょっと手伝ってあげてもいいという、自分より10歳以上若い友人、知人を持つことを提唱したい。
そういう人が5人いれば、週に一度は誰かに助けてもらえるのだ。
そんなたいそうな助けではなくて、ちょっとしたゴミを片付けてもらうとか
(年を取ると段ボールすらまとめられなくなる)
銀行やスーパーまで車を出してもらう。
(ATMの操作がよく分らなくなったり、買物の荷物は重くて持てなくなるから)
役所からのよく分らない書類を読んで、内容を教えてもらう。
そういう、介護サービスや支援サービスでもやってくれるかもしれないけれど
ちょっとしたことを頼める友人・知人を持つことはライフラインだと思うのだ。
それにはまず、今からお金を使うのは、ライフラインになる友人、知人作りのためではないですか。
日頃から後輩の面倒をよく見て、ご飯をごちそうし、決して先輩風を吹かせたり武勇伝を語ったりせずに
この人といると楽しい、困ったことがあれば恩返ししようと思わせて
ゆめゆめ、食い逃げされないように・・・