まりはな屋

地方都市で、清貧生活  

どきどきバレンタイン

2021年02月06日 17時47分56秒 | 子供時代

初めてバレンタインという伝統行事に参加したのは小学校5年か6年のときだ。

と思うが、定かではない。

クラスにD君という強烈な個性の持ち主がいた。

ただでさえ無駄なエネルギーを発散しがちな小学生男子の中でも

際立つそのエネルギーは、トイレの電気くらいなら灯せそうだった。

そのD君が、クラス中の女子に「チョコをくれ」と交渉し始めたのは

かなり早い時期だったと思う。

多くの女子が了承したのだが、わたしも了承したのは

本命にあげやすくなる・・・と思ったからだ。

D君にもあげたということでカモフラージュできる。

軽い気持ちでD君用のチョコも用意した。

バレンタイン当日。

女子からの戦利品を次々に受け取るD君を見て驚愕した。

みんな、ものすごく豪華なチョコを贈ってるのだ。

義理チョコなのに。

あんなチョコどこで買ったのだろう。

お小遣い、みんないっぱいもらってるんだなあ。

わたしが用意したのは、今でもスーパーで見かけるけど

義理チョコ用の100円とか200円の、安っぽいラッピングのハートチョコみたいなものだ。

とてもじゃないけど出せやしない。

わたしは見栄っ張りなのだ。

チョコを取り立てに来たD君に、「やっぱりあげない」と伝えると

ものすごい形相で「なんで?どうして!?」と詰問された。

忘れたとか適当な嘘をつけば良いものを「持って来たけどあげない」と答えたわたしにD君は

「持って来たんでしょ?約束したじゃん!」と責め立てる。

でも、あんなみすぼらしいチョコ出せない。

わたしは教室から逃げ出した。

旧校舎から新校舎まで走って逃げた。

その頃は子供が多かったので一学年で7クラスくらいあり、

校舎が足りず、増設されていたのだ。

今となっては幻みたいな話だが。

D君はずっと追ってきた。

「ねえ、なんで。なんでくれないの?」

しつこい。

逆に聞きたかった。

なんで欲しいの。

別にわたしのことが好きなわけでもないし、あんなにもらったじゃん。

校舎から校舎の端まで逃げたところで力尽きた。

激しい動悸と息切れで、これ以上は逃げられないと思ったわたしは

息も絶え絶えに言った。

「分かった、あげるよ」

上機嫌でわたしからのチョコを受け取ったD君は、わたしのチョコの安っぽさに

別にがっかりもしていないようだった。

この出来事が強烈すぎて、本命にどんな風に渡したか全く覚えていない。

ただホワイトデーに本命から可愛いキャンディーをもらった記憶はある。

D君はといえば、大きな紙袋からクラスの半数以上の女子に

ほいほいと、次から次へとクッキーを配っていた。

 

 

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果てに・・・

2021年01月31日 22時15分55秒 | 子供時代

「果たし状」を受け取ったことがある人は、世の中にどれくらいいるのだろう。

わたしは、ある。

小学校3年か4年の時。

クラスの女王様のMから「放課後、校庭に来い」という手紙。

馬鹿らしい。

行くもんか、と思った。

その日は土曜日。

当時は土曜日も登校日で、半ドンと言って午前中で終わり。

昼ご飯は食べずに帰る。

やれやれ、わずらわしい一日だった・・・と靴箱に向かうと靴がない。

こんな漫画みたいな出来事が自分の身に起こるとは。

そこへ、側近のTとHを連れたMが現れた。

勉強も運動も出来、ルックスが垢抜けていて先生からも好かれている女王様のM。

中学生と間違われるほど身長が高く抜群の運動神経を誇るT。

家柄が良く勉強の出来るH。

わたしなんかほっとけばいいのに。

「校庭に来いよ」とすごまれ、靴がないと言うと

自分たちが隠したんだから出せばいいのに、なぜかTがおんぶして校庭まで連れて行かれた。

間抜けな感じ。

校庭でやっと靴を返され、Mと向き合った。

抵抗する気はなかった。

ちょっと殴ったら気が済むんでしょ、と思っていた。

家でも母親にぶたれることはよくあったし、同級生風情に殴られる事なんて大したことないと思った。

なのに、Mの平手が頬を打った瞬間、秒速で頭に血が上った。

痛さを感じるのと相手に飛びかかるのはほぼ同時だった。

彼女らより10cmくらい小さかったわたしだけど、

運動神経の鈍いわたしだけど、自分でびっくりするほど俊敏だった。

気がついたらTに馬乗りになっていた。

そうは言っても相手は3人、多勢に無勢・・・

わたしピ~ンチ!

そこへなぜか、クラスの男子のリーダーRと暴れん坊Kがやってきた。

「1人に3人は卑怯だろ!」

え、Rってそういう正義キャラじゃないのに。

どちらかというとTとRは男女のリーダーとして仲が良かったと思う。

わたしは密かにRを好きだったけど。

Kはと言えば、先生もクラスメートも巻き込んで教室中をしっちゃかめっちゃかにする暴れん坊。

決してわたしと仲がいいとは言えない。

何しに来たの、この人たち。

そのうち、クラスメートの男子が他にもわらわらやって来て男子同士で大騒ぎを始め

収拾がつかなくなり、よく分からないけどこの隙に・・・としらけた気持ちで帰ってきた。

家に帰るまで頬が熱く、じんじんして(親に見られたら面倒なことになる)と思ったが

気付かなかったのか、さほど赤みは出ていなかったのか、親には何も言われなかった。

それにしてもあんな大騒ぎしてたのに、先生は気付かなかったのだろうか。

学校というのは本当に、死角の多い場所だし見る気がなければ何も見えない場所だ。

そして子供は学校でのもめ事を親にはひた隠しにする。

親にそんなこと知られるのは恥だと思う。

ましてわたしの親は「どうしたの?」とか「なにがあったの?」

などと心配するのでは無く

「いじめられてんの?情けない」とか

「あんたが悪いんでしょ」

というタイプの親だったので、何があっても知られたくないとわたしは思っていた。

だから今、「サバイバー」というのは大げさかも知れないけど

無事に大人になれたことも、誰かに助けを求めることが出来る人間になれたことも

本当に、ラッキーだったと思うのだ。

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上等

2021年01月29日 23時44分27秒 | 子供時代

社会人になってから喧嘩で負けたことがない・・・なんて言ったら

嫌なやつ、とか馬鹿なの?ということより何より

社会に出て喧嘩するなよ、と呆れられそうですが。

でもまあ、喧嘩はしてしまうのだ。

もちろん殴り合ったりしないけども。

で、漫画みたいだけど本気で喧嘩した相手とは、わだかまりなく付き合ったり

逆に仲良くなったりしている。

ま、わたしの人徳ですな。

というのはもちろん嘘で、相手の心が広いからだろう。

子供の頃から屁理屈言いなんで、とにかく減らず口で口喧嘩が強い。

自分から喧嘩を売ることはないのだけど

小学校の時など、軽く仲間はずれにされて

別にいいけどー、なんて一人で過ごしていたら

そーゆーの良くない、って先生が思ったのか学級裁判が開かれたのだ。

今だったら炎上案件ですが。

昔はSNSもないし。

親も先生は正しいって思ってたし。

わたしがなぜ仲間外れにされたか、を首謀者の女の子や関係者が証言したんだけど

そもそも原因は首謀者の女の子が遊びでずるしたのを、空気読む気のないわたしが

「そんなのずるじゃん」と言ったことが原因なので

大勢で仲間外れにしたことも含め、非は向こうにあるからして

わたしの証言の番になったとき、ガンガン言い返したのだ。

これ、わたしの悪い癖です。

防御してるつもりが過剰防衛になり、相手の攻撃の上を行ってしまうのだ。

そもそも相手も子供だから、自分の非を正確に激しく言い立てられて

どうしていいか分からなくなり、泣き出してしまった。

結果、仲間外れにされていたのはわたしなのに

ひどい目に遭わされたのはわたしなのに

XXさんを泣かした!と非難GO!GO!

裁判の行方がどうなったか覚えていない。

ま、わたしに人望がないのは昔からのことなので。

正しいことを言っても通らないことがあるのは子供の頃から分かってる。

正しくなくても魅力のある人の側に人が集まるのも知ってる。

正しいか正しくないかなんて、時代で国でコミュニティーで、全く違ってくることも

今はもう知ってるのだ。

大人になって良かったなーと思うのは、こういうことが分かってるっていうこと。

 

 

 

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