まりはな屋

地方都市で、清貧生活  

恐るべき実力

2012年02月28日 18時32分34秒 | 日々雑感
洗脳だなんだと騒がれているタレントについて、御年76の師匠が

「あれは、失恋がきっかけだったんじゃないの」と言うので

(師匠、結構ワイドショー見てるな)とおかしくなった。

が、あれだけメディアで騒がれていればワイドショーを見なくても知っている人が多いだろう。

まして、元々は人気タレントである。

今の彼女の状態を「どうして・・・」と言える人は健やかな人生を送ってきた人だろう。

ひどく悩んだときに、親身になってくれたり自分のことを見透かすようなことを言われたりすると

心を持っていかれてしまうことがあるというのが、わたしにはよく分る。

相手が宗教だって占い師だって整体師だって、保健室の先生だって隣のおばさんだって

こちらの状態によっては、心を持っていかれてしまうのだ。

わたし自身は、子供の頃から何かを一途に信じることの出来ない性格なので

そういった経験はないのだが、もしも全てを委ねることが出来たら

どんなに安らかな気持ちになるだろうと、想像することはある。

世の中に、信用できる人間などいないというのが持論だが

本当は、信頼に足る良き人がいることは分っている。

だが、そう思って心を預けて足元をすくわれたくないので

そういう人物にはめったに出会えないと思って生きている。

たぶん、多くの人は完全に自分を預けてしまうことなく

家族や恋人や友人や知人やネット上の見知らぬ人に悩みを打ち明けることで

心を軽くしているのだろうと思う。

化粧品のカウンターではきっと、肌や化粧のことだけではなく人生相談も行われているのではないだろうか。

と思ったのは、今日わたしが化粧品カウンターに行って来たからだ。

ものすごく肌が弱いので、使える化粧品が限られている。

カバー力のあるファンデーションを使えば、もっと若々しく見えたり

少しもきれいになるのかもしれないが、まず駄目だ。

そういうファンデーションを使うと、途端にぶつぶつが出る。

しみもしわもくまもくすみも、隠しようがない。

それでも時々、もっと使えるものはないかと手を出しては敗北するのだが。

また懲りずに、某有名化粧品店に立ち寄ってみた。

名前を言えば、誰でも知ってるメーカーである。

ここの化粧品は、成分が強いイメージがあり、これまで使ったことはないのだが

数年前から敏感肌用の化粧品を販売しており、それがなかなかに評判が良いのだ。

ちょっと覗いてみるか・・・

棚を見ていると、きれいなお姉さんが寄ってきた。

(来た・・・)

あれこれセールストークが始まったら嫌だなーと身構えたが軽く声をかけて離れてゆく。

ふーん。

ちょっと手に付けて色を見ていると、絶妙のタイミングで再び声をかけてきた。

小柄な美人、きれいな肌。

年齢不詳。

20代ではないだろうが、しかし30代か40代かも分らない。

まさに年齢不詳。

やや早口だが、きれいな話し方。

わたしの話に上手に相槌を打ち、自分だけが喋ることはしない。

媚びない笑顔。

なんだか楽しい。

色々な接客業の人と話したことがあるが、こちらの投げた球を上手に打ち返す人は少ない。

しかしこの人は、何を言っても上手に打ち返す。

この会社の美容部員はみんなこうなのか、この人だけがそうなのか。

ガツガツ売りつけてこないので、サンプルだけをもらって帰ったのだが

見送られて、少しして振り返ると深々とお辞儀をしている頭が見えた。

きっとわたしはまた、ここに来るのだろう。

美容部員、恐るべし。
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きっと初めはお姫様

2012年02月24日 20時02分30秒 | 日々雑感
夫婦で買い物に来るお客さんの、大半は奥さんが実権を握っている。

旦那さんが気に入っても、奥さんが気に入らなければ買ってもらえないことも多い。

「どう?」と問う旦那さんに対して

「いいんじゃない?」と気のない返事だったら、気に入ってない証拠。

「自分が良ければいいんじゃない?」などと言おうものなら、旦那さんはうろたえ始める。

奥さんがイニシアチブを取るのは悪いことではない。

大体、男というのは優柔不断で意気地のない面を持つ。

それを隠すためか知らないけど、大きな声を出したり威張ったりする。

結婚前はどうにかこうにか握っていた主導権を、あっさりと奥さんに渡して

案外、ほっとしている旦那さんも多いのかもしれない。

たまに、ものすごくきつい奥さんがいて、さすがに可哀相になるが

結婚前からそうだったのか、結婚後に急変したのか

あるいは、徐々にそういう風になっていったのか気になるところだ。

結婚前に限って言えば、男は女よりも要求が多いように感じる。

例えば、恋人の駄目なところもだらしないところも受け容れようとする女に対して

大半の男は、だらしないところは見せないで欲しいとか、いつもきれいでいて欲しいとか。

女は、彼氏が自分だけに見せる素の状態を見たいと思う人が多いけど

男は、彼女の素なんか見たくないらしい。

ロマンチックかなんか知らないけど、女には砂糖菓子のように甘く

花のように美しい存在であって欲しいらしい。

そんなんで家庭が切り盛りできるか。

子供が育てられるか。

わたしは結婚したことないから知らないけど。

相手のいいところだけを見ていたいなら、結婚なんてしないことだ。

一緒に暮らして分る良さ、というのはもちろんあるだろうけれど

女は優しいだけでも美しいだけでもなく、本質的には強い生き物だということを

認めた上で、家族になることが結婚なのであって

そこに、ドキドキとか甘いムードとか期待するのが間違いだろう。

そもそも生活は『日常』なのだから。

ときめきを忘れない夫婦・・・なんて聞くと

うそ臭いというか、生臭いというか、疲れそうだ。

結婚するときによく「幸せになります」と言う人がいる。

もちろん幸せな面もあるだろうけれど、むしろ困難を乗り越えてゆくことのほうが多いと思う。

わたしから見ると結婚は、修業のようなもので

実のところ、どうして普通に結婚する気になるのか分らないのだ。

ただ、言いたい放題・夢見放題の独身男性に比べて

既婚男性の、妻に対する従順さというか諦観を見るにつけ

結婚も悪いもんじゃないんだろうなーと感慨深い。

ちなみに、女に過大な期待を抱きがちな独身男性に限って年齢層が高い。

ガラスの靴が合う人を待ちすぎたみたい・・・?
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ちょっと嬉しい

2012年02月22日 21時48分32秒 | 日々雑感
ハンバーガーの好きな人には申し訳ないが、他に選択の余地があるのなら

わたしはハンバーガーを選ばない。

それでも年に2回ほど食べるのは、出張先で他に適当な店がないからだ。

その店はいつも混んでいて、店員も客も殺気立った雰囲気が漂う。

カウンターの端のほうで注文した品を確認しあう店員と客がおり、

責任者らしき女性が、客をさばきながらも心配そうにチラチラ見ている。

業種は違えど、同じ接客業の身としては落ち着かない気持ちになる。

忙しいときに限ってトラブルは起きるのだ。

いや、忙しいから起きるのだろうか。

大丈夫ですか、大丈夫です・・・という小声のやり取りを耳にして

なんとなくホッとする。

同僚が会計をする際、1000円を500円玉2枚で出したので

500円玉貯金から持って来たみたい、と2人で笑っていると

先ほどの責任者らしき女性が笑っている。

そして、わたしはちょうど500円のお釣りをもらったのだが

彼女が「500円貯金に入れてください」と言うので笑ってしまった。

マニュアル接客が揶揄されるチェーン店では珍しいことである。

さすが、スマイル0円。
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ちょっと不思議

2012年02月21日 18時15分55秒 | 日々雑感
買い物の帰り、駅への道を歩いていると道端に女の人がしゃがみこんでいた。

年の頃は70歳くらいだろうか。

つらそうな顔をしているし、あんな場所でしゃがんでいる時点で尋常じゃない。

どうしたんですか?と声をかけてみた。

「病院の帰りなんですが、ちょっとふらふらして・・・大丈夫です」

そうですか、と立ち去れるほど大丈夫そうには見えなかったので

せめて椅子のあるところまで一緒に行こうか、それとも近くのお店で椅子を借りようかと考えていると

「あそこのバス停まで行けば大丈夫」と200mくらい先のバス停を指す。

ああ、あそこまで行けば座れるところもありますね。

立ち上がって「どうもありがとう」と言うので、あんまりお節介焼くのも迷惑かと思い

じゃあ、無理しないでお気をつけて・・・と立ち去ろうとしたら

2、3歩歩き出して、しゃがみこんでしまった。

見ると手が細かに震えている。

もしや血糖値が下がったのでは?

これは救急車を呼ばないと駄目かなと思案していると、またつらそうに立ち上がった。

とにかくバス停まで行くというので、腕を貸すとしっかりつかまってゆっくりと歩き出した。

なんでも、腰の骨を折ったとか、コルセットを着けているとか。

途中、お菓子屋さんの前に椅子が出ていたので

ここで休ませてもらいましょうか?と聞いても、もうバス停だからと歩き続けた。

バス停の目の前まで来たとき、一台のバスが目に入るやその人は

これまでしっかとつかんでいたわたしの腕をぱっと放して

「あれに乗ります」と言う。

じゃあ、運転手さんに少し待ってもらいましょう・・・とわたしが先に行こうとすると

大丈夫、と言ってスタスタと、しっかりした足取りで歩き始めた。

あれ、歩くの早いな・・・と見送っていると

バスのタラップも難なく上っている。

なんだったんだ、あのふらふら加減は。

まあ良かったですけどね。

大丈夫ならば。
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身ひとつで行く場所

2012年02月14日 12時52分06秒 | 日々雑感
ホイットニー・ヒューストンが亡くなったと聞いたときに、あまり驚かなかったのは

薬物やアルコールの依存症であることが公表されていたからだ。

わたしの率直な感想は、類まれなる美貌と美声の持ち主の死を悼むよりも先に

「薬は怖い」というものだった。

それと新聞のコラムに書かれていた「6歳年下の夫」うんぬんというくだりに引っかかった。

特筆するような年の差だろうか。

10以上離れていたのなら、まだ分かる。

6歳差。

3歳差なら書かなかっただろうか。

もしも、男性が6歳年上だったのなら絶対に書かれない年の差だ。

なんなんだろう、このコラムを書いた人の感覚は。

まあ、それはどうでもいい。

ホイットニー・ヒューストンといえば「素敵なサムバディ」(邦題)という曲だ。

底抜けに明るいこの曲が、わたしは好きだった。

出勤前に聴いてテンションを上げたりした。

大勢にとっての彼女は「ボディガード」の主演と主題歌の印象が強いと思うのだけど

わたしにとっては、スタイル抜群の彼女が踊りながらハイトーンで歌い上げる「素敵なサムバディ」のほうが思い出深い。

美貌、スタイル、才能、富、人気、名声。

多くの人が望んでも手に入れられないものをすべて手中にしても人生は満たされないのだろうか。

満たされてしまったからこその不安や虚しさなのだろうか。

持たざる者が陳腐な推測をしても、なんの意味もないのだけど。

ひとつ言えるのは、手にしたものはいずれ手放す日が来るということ。

生きているうちか死んでからかは分からないけど。

そして、手放すことは必ずしも不幸ではないんじゃないかと思う。

わたしはまだ、いろいろなものを欲しがったりしているけど。

今はそれでいいと思う。





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