まりはな屋

地方都市で、清貧生活  

便利な単位

2003年01月31日 17時01分00秒 | 日々雑感
以前うちの店にいて、今は他店の店長になっている人からの電話を受けた。

「XXさんからの電話だったよ。もうしばらく会ってないなぁ」とKさんに言うと

「あたしも半年くらい会ってないよ」と答えたので

「よく覚えてるね、どれくらい前に会ったかなんて」と驚くと

「ううん、適当」

聞けば、「半年」というのは長い期間の単位だという。

2、3年会っていなくても彼女に言わせりゃ

「半年くらい会ってない」なんだそうだ。

なんというアバウトさだ。

ちなみに5年とか10年になると「半年以上会ってない」になるそうだ。

ますますアバウトだ。

こんなKさんとわたしは、実に10年以上の付き合いである。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そのわけは

2003年01月30日 22時03分00秒 | 日々雑感
数年前に百人一首を覚えてみた。

「なんでまた」なんて言われたりもしたが

覚えられるかな?という軽い気持ちからだった。

意外と簡単に覚えられた。

でもあれは毎日復習しないと忘れるね。

今では数首しか覚えていない。

しかも様々な上の句、下の句が混ざってしまってわけ分からない。

そこで、また本を読み返してみた。

この解説本は分かりやすい上にカラーの写真も入っていたりして、読んでいて楽しめる。

前に読んだときはね、農民が飢えや寒さで苦しんでいるときに

愛だの恋だの、身分の高い人ってのはのんきだよな、なんて思ったもんだが

あらためて読み返すと色恋ばかりではなく、自然の美しさ、人生のはかなさなどが

驚くほど豊かに表現されている。

それにしても人はなぜ、歌を詠むのだろう。

俳句や短歌、詩・・・。

なぜ、感情をこういう形で表現するのだろう。

わたしに関して言えばそれは、客観視のためである。

例えば不本意な別れを経験したときは動転して

「なんでよどうしてこんな目に遭うの。悔しい、バカバカバカ。

畜生、こんな悲しい思いさせて。逢いたい。バカ、あんたなんか死んじゃえ」

なんて思ったりする。

しかし、ふと我に返ってその気持ちを指折り始めると気が紛れるのだ。

そしてああでもない、こうでもないと推敲するうちに落ち着いてくる。

そしてそのときの自分は先ほどのわたしを客観的に見ることができるのだ。

昔のことを思い出していたたまれない気持ちになったときも5・7・5など考えると

いつの間にか気分が落ち着いてくる。

だからというんじゃござんせんが、ここで一句。

思い出ぐさに君をささん・・・と題しまして。

「かかしは畑(はた)を守る物 ななしは花を手折る者」












コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日の短・歌

2003年01月30日 20時45分00秒 | 57577または575
「カレンダーの格言を見て なるほどと思いはするが ただ思うだけ」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日の一句

2003年01月29日 21時22分00秒 | 57577または575
「脳みそも ふやけています 発情期」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

責任転嫁

2003年01月27日 22時07分00秒 | 日々雑感
お昼の時間に休憩室の電子レンジの回転板(ガラス製)を割ってしまった。

他のテナントの所有物である。

慌てふためいて自分の店に戻り、レンジの回転板を持って来てみたがサイズが合わない。

そのテナントの店長も次長も感じが悪くて嫌いなのだが、女の人達はいい人ばかりなので

「ごめんなさい、弁償します」と謝ると

「大丈夫よ、気にしないで」と笑顔で言ってくれた。

ところでわたしは最近、今昔物語を読んでいるのだが

膨大な量の物語の終わりが、たいがい

「これも前世からの因縁であろう」なのだ。

すっかり洗脳されたわたしは思ったね。

「今日、これを割ってしまったのも前世からの浅からぬ因縁であろう」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする