まりはな屋

地方都市で、清貧生活  

悪いお金

2024年03月23日 21時00分53秒 | 日々雑感
「好事魔多し」とか「泣いて馬謖を斬る」なんて言葉が思い浮かぶけれど、いまいちピンとこない。

しっくりくる言葉を見つけたところでどうしたという話でもないのだけど。

それはそれとして。

あれは12歳くらいだっただろうか。

夏休みに親戚や親の友人の何家族かが集まって田舎のバンガローのような所へ泊まりに行った。

自然に溢れ、川遊びも出来て楽しいところだったのだが、売店や娯楽施設もあった。

その中で、パチンコかルーレットのようなゲームがあり、大当たりしたわたしは三千円を手にした。

今になって考えると換金して良かったのか?と疑問がわくけれど

まあ数十年も昔のことなので時効だろう。

当時のわたしにとって三千円は大金。

何に使おうかとほくほくしていたら、周りの大人たちが「悪銭身につかずというから、早く使った方がいい」と言う。

早く使ったら余計に身につかないじゃないかと今なら思うけど、

その時はもう「悪銭」という言葉に怯えてしまった。

悪いお金。

持っているだけで良くないことが起こりそうな気がした。

「そういうお金はみんなに奢って使った方が良い」という大人もいて

周りの子供たちにもお菓子を買ってあげたりした。

初めは、使ってもなかなか減らないもんだと思った三千円は、あっという間に消えた。

その後、特にギャンブルに手を染めるような機会は無かったのだけど

「悪銭身につかず」という言葉は何かの拍子に思い出した。

どういう拍子に思い出したのかは分からない。




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最後に登る、高い山

2024年03月18日 23時21分45秒 | 日々雑感
「マウンティング」なんて言葉はいつから使い始められたんだろう。

嫌な言葉だなぁと思うけれど、広く使われるようになる前から

意識的にも無意識的にもマウントを取ったり取られたりしながら生きているんだと思う。

子供の頃は走るのが速いとか勉強が出来るとか明るいとか友達が多いとか先生に気に入られてるとか。

中高生から20代にかけては有名校に合格したとか、ルックスがいいとかモテるとか。

20~30代以降は、仕事の内容とか給料とか結婚相手とか。

それ以降は若く見えるとか、子供の自慢、孫の自慢と延々、マウントの取り合いが続くのだけど、

マウントを取られっぱなしでも大丈夫。

最後の頂上決戦は「長生きと健康」。

病気自慢をしてくる老友に「大変だね。わたし、どこも悪くないの」と言い放つ。

さあ若者よ、つまらないマウントにとらわれず、健康で長生きして最後の山に登ろう!

でも、健康も運に左右されるからなぁ・・・
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年下の男

2024年03月05日 17時55分44秒 | 日々雑感
久しぶりに男の子から「車、乗る?」と誘われた。

でもそれ、ママの車だし。

君はまだ4歳くらいだし。

また遊びましょうね。
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友達100人いなくても♪

2024年03月02日 19時08分46秒 | 日々雑感
大掃除をしていると小学校の通知表が出てきた。

捨てていないのでどこかにあるとは思っていたがこんなところにあったのか。

成績のことはともかくとして、先生からの連絡欄に

「お友達と仲良くしましょう」の文字。

一度だけではなく、何学年にもわたって、担任が替わっても書かれている。

どれだけ友達と仲良くしていないんだ。

昔の先生は雑だったなぁ。

友達と仲良くできないのはわたしの自己責任で、頑張って仲良くしなさいって書いちゃうんだから。

頑張れば仲良く出来ると、本当に思っていたのだろうか。

いじめをしていたとか、そういうことではない。

むしろ逆だ。

今もそうかもしれないけど、小学校でも中学校でもクラスには「女王様」みたいな子がいる。

大抵は運動も勉強も出来て明るくて活発で子供らしくて、

なんとなく見た目も良くて先生には気に入られている。

そういう子が遊びの場でずるをすると、みんなは黙っている。

わたしは「ずるいよ」と言う。

正義感とかいうより、わたしは我が強いのだ。

それですぐ仲間外れになった。

周りの子に「あの子と喋っちゃダメ」と命令され、わたしはよく孤立した。

他の子がそういう風に仲間外れになったときに、わたしは話をしたけど

わたしが仲間外れになっても、その子は口をきいてくれなかった。

子供の処世術とはそういうものだ。

友人が多い子供が素晴らしいという風潮はずっとあり、

子供の頃から肩身が狭いなーと思っていた。

が、大人になって分かったのは友人が出来るかどうかというのは

性質に負うところが大きいのではないだろうか。

人と波長が合いやすい人、合いにくい人。

1人でいるのが嫌な人、平気な人。

でも孤独と孤立は違う。

誰もいない場所で1人は平気でも、みなが楽しそうな場所で

ぽつんとしているのは楽しくない。

絶賛、仲間外れ中の昼休み、わたしは1人で校庭をあてもなく歩いた。

仲間外れにされる筋合いはなかったが、わたしを仲間に入れる義理もかばう仁義もない。

それが子供というもの。

いや、大人になってもあるけどね。

でも子供の時よりはましかなあ。

大人になってよかったと、本当にいつも思う。

友人がいてもいなくてもどうにかなるもんである。

学校で浮いていても大丈夫。

浮きっぱなしでもどうにかなるから。

大人になったら自由が待っているから。


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