まりはな屋

地方都市で、清貧生活  

レーゾンデートル

2016年05月28日 19時34分27秒 | 日々雑感
若者のテレビ離れ・・・みたいなことが言われるけれど

ネットの普及だけが原因ではなく、若者に限らず離れたくもなるじゃないかと思う時がある。

番組製作者側の「世間はこういうのが見たいんでしょう?」という思い込みが

なんだかずれているなーと感じられるとき、若者じゃなくてもテレビはもうおしまいじゃないかと思ってしまう。

4月や5月に必ず一度は目にする「信じられない新入社員」みたいな特集。

もう何十年繰り返しているんだろう。

新人がいかに非常識で使えないかということを街頭インタビューで言わせて

アンケートや再現映像などであげつらう。

挨拶ができないとか、電話の受け答えがなってないとか、指示されないと動けないとか。

「ゆとり」だの「さとり」だの言うけれど、言ってる人たちだってかつては

「現代っ子」「新人類」と揶揄された世代だろう。

こういう、「うちの新人使えねぇ」的な発言を聞くと

じゃあもし、配属された新人がきちんとしていて即戦力になり

しかも性格も明朗快活だったりした日には、どうだろうと思ってしまう。

自分の存在意義も居場所も脅かされるじゃないか。

若く賢く有能な部下。

そんな風に自分が育てたのならまだいい。

初めからそうだったら、たまったもんじゃないでしょう。

細かいことばかり注意する古参社員は、本当はそんなこと直して欲しいわけではなく

自分が、気の付く人間だということをアピールしたいだけだったりする。

誰かを注意するとき人は、意識的にも無意識的にも優越感を覚えるものだから。

何べん言ったら覚えるの!とうんざりした口調で言いながら脳内では

無能な相手に教えている有能な自分にうっとり・・・なんてこと、ないわけではないだろう。

だってわたしは、そういう自分を感じたことあるもの。

それで、存在意義の証明のために口うるさくするのはやめたのだ。

本当に必要なことならば、筋道立てて話せばいいだけだし。

というより、近頃の若い子が冗談じゃなくしっかりしてて

教えることがなにもないので、口うるさくできないってのが事実だ。

小言幸兵衛か、わたしは。










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達観できない

2016年05月26日 23時14分21秒 | 日々雑感
20代の頃、同じ職場の40~50代の人たちから

「いいわね、若い人は」というようなことを言われた。

若さの真っただ中にいた当時のわたしにとって、若さは当たり前のものだし

周りの若い子がみんな持っているものなので、

(若いだけじゃダメなんだけどな)と思っていた。

美人とか可愛いとか特別なものに恵まれていないわたしには

若さしか褒めるポイントがなかったのかもしれない。

今、その人たちと同年代になって分かるのは

若いというだけでみんな可愛く見える、ということだ。

もちろんそんなこと、今だから思うのであって

20代の頃に思えるわけがない。

だがわたしは、20代の子に向かって「いいわね」と言わないことにしている。

昔、そう言われたときに微かな優越感を覚えたことを思い出すと言いたくないし

(狭量なのだ、わたしは)

あなたたちにだって若いときはあったでしょ、と心の中で思ったりしていたから。

そう、若いときは誰にでもあったのだ。

いきなり年をとって生まれる人はいない。

(そういう映画あったけど)

今の自分のことだって、あと20年もすれば

ああ、あのときは若かったなあと思うだろう。

誰もが若いときを過ごしながら、それでももっと若い人を羨んでしまう。

もっとも、10代や20代に戻りたいかと言えばちょっと考え込む。

色々しんどい。

やっと通り過ぎてきたあれこれを、また繰り返すのはちょっとなあ。

そう思うと「若い人はいいわね~」と言って、優越感を持たせるのも

通り過ぎし者の役目か?と思うものの

まだそこまで老け込まなくてもいいでしょ、と思ったり。

大したあれこれ通り過ぎてない気もするし。

どっちやねん。

ま、とりあえず「いいわね」は封印しよう。




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大人になる

2016年05月11日 18時52分52秒 | 日々雑感
子どもの日などによく新聞に小さく載っていることが多いのだが

「小学1年生の将来なりたいものランキング」のような記事。

見るたびに、一体何の意味があるんだろうと思う。

小学1年生の知っている職業には限りがあるし、

「なりたい」という意思自体、周りの誘導に過ぎない場合が多い。

もっとも、広い意味では、みんな周りの誘導で今の職業に就いているのかもしれないけれど。

ただ、1年生に聞くことないだろうと思うのは

わたしに「将来の夢」トラウマがあるからだ。

いや、トラウマというほど大げさなものじゃない。

1年生の時に「わたしの夢・ぼくの夢」という作文を書かされたのだ。

わたし以外の全員が「けいさつかんになりたい」とか「おはなやさんになりたい」とか書いていた。

わたしはと言えば、前の晩に見たリアルドリームを書いてしまったのだ。

どうして周りの子供は「夢」が「将来の希望」を意味すると知っていたのだろう。

いや、なぜわたしだけ知らなかったのだろう。

思うに、将来のことなど考えたことがなかったのだと思う。

当時のわたしにとっての将来とか未来というのは、せいぜいがとこ一か月後か

下手すると一週間後ではなかっただろうか。

もしかすると、明日のことも考えていなかったのかもしれない。

だって、ものすごく忘れ物が多くて、それは性格がぼんやりしていたせいもあるが

明日は何を持って行くのか、なんて考えもしなかったからじゃなかろうか。

わたしの母親が小学生に将来の夢をきいたところ、答えない子がいる・・・と

なんだか嘆かわしいことのように言うのを聞いて腹が立った。

将来のことなんか考えなくてもいいじゃないか、子供なんだから。

考えてもいいけど。

瞬間瞬間を生きているだけで精一杯の子供がいたっていいじゃないか。

気の利いたこと言える子供がいてもいいし

ぼんやりした子供がいてもいいじゃないか。

輝ける未来もいいけれど、「混沌とした今」こそ子供には楽しんで欲しいのだ。

なんていうのも、すでに大人になったわたしの勝手な希望かな・・・
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星になった

2016年05月03日 11時37分12秒 | 日々雑感
今の中・高校生と好きな音楽について話す機会がないのではっきりとは言えないが、

わたしが高校生だった頃よりは、洋楽を聴かなくなっているような気がする。

今、洋楽を聴いている中・高校生はバンドをやっているか

マニアックに音楽が好きな子、ではないだろうか。

なんて、勝手な考察しているが現在の洋楽シーンに疎いので

本当のところは分からない。

ただ、1980年代にはアイドル的な洋楽バンドが多かったこともあり

普通の女の子が、洋楽を聴いていたと思う。

戦場のメリークリスマスという映画の影響もあり、D.ボウイの人気は高く、

当時、彼はすでに30代だったけれど、15歳の女の子たちがうっとりとしていた。

訃報を聞いた時、彼を好きだった子たちは感慨深いだろうなと思ったものだ。

中学の頃はM.ジャクソンが人気で、高校に入学した頃も

ベストヒットUSAのビデオは人気だったのだが、

あるとき音楽通(?)の友人が

「アメリカではプリンスの方が人気で、ディスコでは(クラブではない)

マイケルの曲がかかると休んで、プリンスの曲になると踊るんだって」

というようなことを教えてくれた。

(マイケルが可哀想だな)と思ったものの、プリンスのミュージックビデオを見たときには

衝撃を受け、次々と曲を聴くようになった。

しかし、どちらがいいということではなく音楽の方向性が違うということだろう。

高校の友人と主演映画「パープル・レイン」も観に行った。

高校生の観に行く映画か?と思うが、今も昔も

大人が思うより、高校生は大人である。

次第に音楽を聴く機会は減ったが(ノーミュージック・ノーライフではなくなったのだ)

プリンスやD.ボウイやクイーンやビリー・ジョエルやポリス、プリテンダーズetc・・・は聴きつづけた。

80年代の音楽は、ビデオも含めて他の時代より軽薄でバブルのにおいがするのだが

その時代にわたしは成長し、熱狂して聴いていたのだ。

多くのポップスター、ロックスターが彼岸の人となった。

もうあんなに夢中で音楽を聴くことはないだろう。









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