まりはな屋

地方都市で、清貧生活  

根深い問題

2015年06月14日 19時31分44秒 | 日々雑感
病気見舞いに鉢植えの花がいけないことは多くの人が知っているだろう。

鉢植え=根付く=寝付くを連想するからというのだが

日本人はこういうの好きだなと思う。

梨を「ありの実」とか

するめを「あたりめ」とか

終わりを「お開き」とか。

そういう繊細さというか気遣いは、嫌いじゃないけどたまにくどいと思う。

日本人はとうっかり書いたが外国にこういう言い換えがあるかないかはしらない。

根付くを寝付くという連想を初めにした人はどういう人だったんだろう。

意地悪な人じゃないかしら。

せっかく持って来た見舞いの品に難癖つけたくて縁起が悪いと言ったんじゃないかしら。

だって鉢植えを見てすぐにそんな連想するだろうか。

植えたものが簡単に根付くと思ったら大間違いである。

根付いたということは生命力が強いということで、見舞いの品に最適ではないか。

切り花って、そんなに長持ちはしない。

きれいな花が花瓶でしおれてゆく様を見るほうが病気の時はこたえるんじゃないか。

それよりは次から次へと花が咲き、その後も葉を繁らせる鉢植えのほうが

よほど人を元気づけると思うのだけど。

つぼみをたくさん持った鉢植えを

「この花が咲くころには外に出て、地植えにしたやってね」と渡せたらどんなにいいだろう。

そもそも見舞いは、親しい人以外が行くべきではないのだ。

義理や損得やなんやかやで見舞う不埒者がいるからつまらない勘繰りをされたりする。

とはいえ。

やっぱり親しい人の見舞いに鉢植えを持って行く勇気はわたしにもない。

そんなことして根に持たれても困るから。

おあとがよろしいようで・・・
コメント
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