まりはな屋

地方都市で、清貧生活  

時に北風、時に太陽

2012年10月24日 19時27分53秒 | 日々雑感
「裏話」や「暴露話」というのは悪趣味だと思うけれど

そういうものに興味を持つ人が多いから、テレビや週刊誌などで特集を組まれたりもするのだろう。

わたしも、悪趣味だなーと思いつつ気になるような話もある。

テレビの裏話なんてものはたいてい、予定調和で当たり障りのないものだ。

人気俳優のちょっと変な趣味とか、アイドルの他愛無い失敗とか。

週刊誌になると、かなりえげつないことまで書き立てるけれど。

最近では、ネット上で芸能人のことを暴露する人がいて、非難を浴びることもあるようだ。

例えば、お客さんとして来店した芸能人のことを店のスタッフが悪く言ったとか。

これは本当によくないことだと思う。

悪く言わなかったとしても、その店で働いている以上、お客さんのことを暴露するのはよくない。

では、特定できないように暴露するのはどうだろう。

例えば、いろいろなサービス業(販売、客室乗務員、水商売、レストラン、営業・・・)に従事する人や

看護、介護や教職員、カウンセラーなどに従事する人が

自身のブログやツィッターで、裏話的なことやちょっとした悪口を

相手が特定できない形で書いていることもあると思うのだ。

わたしは、それもよくないことだとは思うけれど

気持ちはわからないでもない。

接客業をしていると、理不尽な要求をされたり罵倒されたりということがある。

そういうことに関してのケアをしてくれる企業はまれで、

解消できずに日々積もるもやもやは、人心をむしばみ疲弊させる。

「クレームは宝」とか「苦情の中にこそ、サービスのヒントがある」などという

経営者が喜んで使いたがる言葉も、あながち的外れではないけれど

現場はクレームを受けないために必死である。

宝であるはずのクレームが来れば、叱責されることもあるからだ。

もちろん、叱責されて然るべきという場合もあるけれど

クレームがきたという事実だけを叱責されかねないこともあり、

現場はクレームを生まないために、理不尽な要求に応じるということもしばしば。

わたし自身、他社にクレームの電話をしたことが何度かある。

同じサービス業に従事する者として、それはないだろうという憤りを覚えた時だ。

しかし絶対に名指しはしない。

名指しは、個人に対するクレームでしかない。

そういう個人にきちんとした教育を施さない企業にクレームをつけてるのだから。

などと偉そうなことを言ってはみたが、日々のストレスの反動という面も否めない。

しかし、わたしはこれまで色々なところでサービス業に従事して

ずいぶんと、お客さんに救われたこともあったのだ。

気持ちが荒んでいるときに感謝の言葉をかけてくれたり褒めてくれたりねぎらってくれたり。

サービス業に従事する者が、お客さんの喜ぶ顔に心を動かされないのなら

その人は仕事が向いていないと思う。

生活のためと割り切るのもあるけれど、基本的には人に喜んでもらうのがうれしい人のが向いている。

わたしは人嫌いな面もあるけれど、矛盾するように他人を喜ばせたい気持ちも持ち合わせているのだ。

そうはいっても、なかなかお客さんが喜びをあらわにしてくれることはない。

たとえ満足していても、ごく普通に帰ってゆく人がほとんどだろう。

わたしだってそうだ。

そこで最近、「一人北風と太陽運動」を始めたのだ。

誰しも初めから素晴らしい販売員になれるわけではない。

お客さんが販売員を育てる、というのはどうだろう。

些細なことでも褒められれば販売員は嬉しいものだ。

褒めろと言うと語弊があるけれど、ちょっとした嬉しい気持ちを述べてくれると

販売員は張り切ることができるのではないか。

相手が喜んでくれたこと、相手を喜ばせた自分に対しての自信・・・のようなもの。

なんか、自己啓発本みたいで嫌な書き方だけど。

よりどころ、とでも言えばいいだろうか。

その仕事を続けるための、疲弊しないための。

だから最近わたしは、買い物をしたら店の人に喜びをアピールすることにしている。

これ、販売員の側からすると図々しいお願いになってしまうけど。

クレームよりも有効かもしれないじゃないか?

褒めて伸ばす!

まあ、はしにも棒にもという感じじゃ怒られても仕方ないですが。

もしもほんの少しでもいい感じと思う人がいたら大げさなくらい褒めてみて。

次からその人の態度はもっとよくなるから。

保証はしないけど。





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