まりはな屋

地方都市で、清貧生活  

相対か絶対か

2010年01月18日 16時51分33秒 | きれいになりたい?
先日、母の実家へ行くと祖母に

「夏はやせちゃったなーと思ったけど、今はふっくらしたね。その方がいいよ」

と言われびっくりした。

なぜ驚くかといえば、この祖母は92歳。

目も耳も悪くなく、飲んでいる薬もなく、記憶力もいい。

さすがに年のせいか、暮れから足が痛いと言っているが

それまでは毎日畑に出て野菜を作っていたのだ。

それにしたって、わたしの顔を見るなり「あら、XX子」。

孫は11人、そのうち半分は女、しかもうちは三姉妹。

よく誰かと間違えたり名前が分からなくなったりしないものだ。

しかも夏に訪ねたときのわたしの様子を覚えていたとは。

恐るべき観察力だ。

確かに昨年の夏、わたし史上一番といっていいほどやせていたのだ。

6月の半ばから食欲がなくなり、ダイエットをしたことがある人ならわかるかもしれないが

食べなくなってすぐに体重が落ちるわけでもやせるわけでもない。

三食抜けば1キロくらいはすぐに落ちるが、それは単に胃が空になっただけでやせたわけではない。

やせるのは、食べない状態が続いてしばらくしてからだ。

40.5キロまでは量ったが、後はもう怖くて体重計に乗るのをやめてしまった。

39という数字を見てしまったら、立ち直れないような気がしたからだ。

その後、内科で相談したところ食欲の出る薬を処方され(そんなものがあるのだ)

7月の半ばにはだいぶ食べられるようになっていたのだが

その後もしばらく体重は戻らなかった。

テレビでも街でも口を開けば「ダイエット」「やせたい」という女の子は多いが

彼女らのほとんどがやせすぎである。

やせているのに自分がやせているという自覚がなく、もっとやせたいと言う。

とある女性タレントがテレビで

「どんなにやせていても、自分は太っているからもっとやせなきゃと思っていた」と語っていたが

それはもう、病気である。

十分に美しいのに整形を繰り返したりという悲劇も、そういうところから生まれるのだろうか。

他人との比較がコンプレックスを生み、コンプレックスは人を不幸にする。

急にやせたせいで、顔がたるみ、しわが増え、わたしは老けた。

しかしそういうことも、昨年の苦しみを思えばどうってことないじゃないか。

祖母が「夏よりいい」と言ってくれたじゃないか。

もっと美しくなりたい、若くありたいと願うより

まあまあの自分で納得したほうが幸せなんじゃないだろうか。

なんて思うのは、負け惜しみだろうか・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

獅子舞・・・じゃなくて姉妹

2010年01月05日 16時05分56秒 | 日々雑感
大みそかに帰省した姉と、テレビを見ながら話していると母親が

「どっちが何を喋っているのか分からない」と言う。

声が似ているのは当然としても、話し方やアクセントまでそっくりだからだ。

わたしと姉が一緒に暮らしていたのは20年以上前で

それ以降は年に一度か、多くても数回しか顔を合わせることはない。

それなのに、こんなにも話し方が似ているということは

話し方や身振り手振りというのは二十歳以前にある程度出来上がってしまい

その後、それほど変わることはないということだろうか。

三つ子の魂百までというから、もっと以前に決まってしまっているのかもしれない。

もしかすると離れて育っても、似たような話し方をしたのだろうか。

別れて育った双子が、同じような人生を歩むことがあるように。

姉が東京に戻って数日経つが、いまだに自分の話す声を聞くと

(姉が喋っているようだ)と驚く。

DNAって怖いなあと思った正月。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする