まりはな屋

地方都市で、清貧生活  

極意

2011年08月29日 20時35分31秒 | きれいになりたい?
『老い』というのは突然やってくる。

実際は、毎日少しずつ老いているのだけど昨日まではなんとも思わなかったのに

ある日ふと鏡を見て、突然老けたなーと驚く。

何日か落ち込み、その顔に見慣れ、まあこんなもんかと気を取り直す。

また何年かあとに、ふと鏡を見て・・・

そんなことを繰り返しながら歳を取ってゆくのだろう。

わたしは今、その「すり合わせ」の最中である。

少し前に突然目の周りのしみが増えたことに気付き、急にこめかみのしわに驚き、

数日前に20代半ばの若い娘と食事をして、その若い肌(当たり前ですが)を見て、

自分の老いをいっそう意識し・・・

まあわたしも、羨望される若さを持っていた頃があったのだから

いずれ誰しも通る道ではあるのだが。

これから若返るということはもはや、美容整形しかないので

今後は折り合いを付けてゆくのみである。

そこでわたしは、鏡を見るときには以下の3つを守ることにしたのである。

①近くで見ない。

②心構えなしに見ない。

③「いい顔」をする。

鏡を間近で見ていいのは、若さに自信のあるうちだ。

鏡を見てため息をつくくらいなら見ないほうがいい。

だけど見なきゃ見ないで、みっともない顔をしていたら嫌だと気になる。

だから少し遠く離して見る。

そしてなるべく口角を上げる。

ま、こんなもんか。

と思える距離は、年々遠くなるのだろうか。

それとも鏡を見なくなる日がくるのだろうか。
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親の因果が子に報い・・・

2011年08月11日 15時08分58秒 | 日々雑感
自分の育った家の常識と、他家の常識の違いに一番最初に気づくのは幼稚園くらいなのだろうか。

物心がつき、自我が芽生え、自分の母親とよその母親の違いとか家庭習慣の違いがなんとなく分かってくる。

まったく、育つ環境というのは恐ろしい。

大人になったら、自分のことは自分で責任を持てというけれど、大人になる前に人格はある程度形成されてしまうわけだし

それを大人になって矯正するのは困難である。

矯正自体も困難であるが、矯正しなければいけないと気づくことすら困難だろう。

なので、人は育った家庭環境の因果から逃れることはできないのではないだろうか。

そんなことを思ったのは、最近、父親の厳しい家庭で育った男性の話を聞いたからだ。

その家では父親が専制君主のような存在で、家族は父親の顔色を窺って暮らし

彼は父親を恐れ、憎んで育ったとまで言う。

そんな父親に耐えて従う母親が可哀想だという。

今も別れないところを見ると母親が可哀想とは決め付けられないと思うが

息子の目から見れば可哀想なのだろう。

夫婦のことは子供であっても分かりにくい。

わたしは子供の頃、両親は憎みあっているのだと思っていた。

それくらい激しく毎日喧嘩ばかりしていた。

いつか離婚するだろうと思い、姉妹が離れ離れになることを恐れた。

しかし成長と共に気付いたのは、確かに喧嘩は激しいし憎み合うときもあるが

離れることはできないという関係である。

「絆」や「結びつき」なんてきれいな言葉では括れない「愛憎」「共犯」ともいうべき関係。

夫婦って誤解を恐れずに言えば、そういうやましい関係で成り立ってるんじゃないだろうか。

「愛」だけの夫婦は珍しいだろう。

わたしの家では、母親が厳しく父親に怒られたことなどほとんどない。

大体、母親があれだけ怖いのに、父親まで厳しかったら今頃わたしはまともな人間にはなっていないだろう。

今だって、そんなにまともでもないのに。

父親が厳しい家庭で育つかそうでない家庭に育つかは、その後の人生に大きな影響を与える。

そんなことを考えるようになったのは、やはり父親が厳しい家庭に育った女性の話を聞いてからだ。

彼女は、父親に従順な母親を見て育ったので男性に逆らうとか口答えするとか言うことが無く

恋人と喧嘩をしたことが無いという。

例え相手が悪くても、謝ったり泣いたりしてしまうという。

ふーん。

となると、わたしが男と喧嘩するのが平気なのは、言い返す母親を見てきたからなのだろうか。

男に従うとか、男を立てるとか、男のプライドを守るとかいう考え、わたしの中にはないもんね。

女に守ってもらわなきゃ保てないようなプライド持つな!と言いたいが

実際はそんなちまちましたプライド持ってる男の、なんと多いことか。

多くの男はいつでも「女より優位に立ちたい」と考えているし

女と対等だなんて思っちゃいないんである。

別に声高に「男女平等」なんて言うつもりはない。

だって、そんなことありえないから。

男が女より優位に立ちたいように、男に庇護してもらいたい女はいっぱいいるし、

女であることをフルに利用する女もいっぱいいるわけだし。

そういう女が好きな男はいっぱいいるわけだし。

こういうこと言うのは、女をフル活用できないわたしのヒガミかもしれないし。

需要がある以上、女を活用することは悪いことではない。

活用しないのも自由だし。

どっちがいいとも悪いともいえない。

因果なものですよ、家庭環境って。









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お互い様?

2011年08月10日 22時56分44秒 | 日々雑感
若い独身男性(といっても30代)と話していると

かなりの割合で女性というものにやたら理想を持っている人が多い。

結婚するなら、美人あるいは可愛くて、明るくて優しくて怒らなくて・・・

ははは。

そんな女いないよ。

いや、いるかもしれないけど君たちのところに回ってこないよ。

ほとんどの女性は、結婚したら強くて怖くて怒るようになるんだよ。

女性というものは、弱くて守ってやる存在でいて欲しいと思ってるらしいけど

今どきそんな弱々しい女の子いるのかしら。

それに、ホントに守れるのか?

女性に対しての理想が高い男の子に限ってひ弱そうである。

とはいえ、わたしも「男だったら弱音を吐くな」とか「ちまちまするな」とか

男に対して、古臭い価値観押し付けがちだからなあ。

もっともわたしは、女も弱音を吐くな!と思っているけれど。

男も女も、いつでも肩肘張れと言う気は無い。

ただ今日び、誰にでもすぐに弱音を吐いたり愚痴ったりする男が多い。

そしてやたらと口の軽いおしゃべり男。

それでも男か!

・・・とまた、差別発言。

男とか女とかいうより、人としてちゃんとしないとなーと

自分に対しても思ったりする今日この頃。
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