まりはな屋

地方都市で、清貧生活  

誰が何のために使うのか?

2010年03月23日 17時09分56秒 | ごちそうさま
こういうものあったらいいな、というものを考えた。

名刺くらいの大きさで、2cmくらいの厚みの冷蔵庫。

チーズを1、2個入れて持ち運ぶためのもの。

なんのためかといえば、外出先で小腹が減ったときに食べたいのだ。

わたしは子供の頃から、小腹が減ると手が震えたり目が回ったりすることがあり

なにかの病気じゃないかと思いながら今日まできてしまったが

そういうときに、ちょっと何かを食べると治まるのだ。

喫茶店に入ると時間がかかるし、これまではコンビニでチョコなど買ってしのいできた。

しかし、そういうときに甘いものじゃなくてもっとカロリーのあるものが食べたい。

カロリーメイトはボソボソするし(好きだけど)バナナは食べ歩きが難しい。

となれば、個包装されているチーズはどうだろう。

いいじゃないか。

しかしチーズは要冷蔵食品である。

保冷バッグや保冷剤では長時間の持ち運びは無理だろう。

そこで、極小冷蔵庫。

冷凍庫で凍らせておけば、一日くらいは中の温度が一定に保てる仕組み。

欲しいなあ。

もしかしてあったりして。

あんまり需要はなさそうだけど。

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ことわざの裏技

2010年03月16日 19時56分11秒 | 日々雑感
無人島に一冊だけ持ってゆくのなら辞書・・・というのはよく聞く答えだ。

確かに、普通の物語は一度読んでしまったら何度も楽しむのは難しいが

辞書は読み応えがありそうだ。

言葉のひとつひとつや用例から、様々な想像ができる。

孤独で長い時間を過ごすには役立ちそうだ。

しかしもっと積極的に楽しみたいなら「ことわざ辞典」が面白い。

見たことも聞いたこともないようなことわざは「なるほど」と思うものあり

「なんでやねん」とつっこみたくなるものあり、思わず笑っちゃうものあり・・・

『座禅組むより肥やし汲め』・・・自分の身に添わないことをやるより本業をおろそかにせず励めということ。

なんか耳が痛い。

『時の用には鼻をも削ぐ』・・・緊急の場合には、ためらうことなくどんな方法でもとるということ。

何も鼻削がなくても。怖いよ。

『姑の十七見た者なし』・・・姑が若い頃のことを自慢しても、その時分のことを知ってるものはおらず、当てにならない。

あはは、その通り。

『娘の子は強盗八人』・・・娘を大きくして嫁にやるまでには莫大な費用がかかることのたとえ。

なんというとたえだ。娘三人持てば身代潰すどころの比ではない。

いやはや。

ことわざって。
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魔物の見物

2010年03月12日 19時41分26秒 | 日々雑感
バンクーバーオリンピックで、一番記憶に残ったのは

思うような結果が出せず「オリンピックには魔物がいる」とあるベテラン選手が語った新聞記事だ。

本当にそういう発言をしたのか、そういうニュアンスの発言を

記者が「魔物」と表現したかは分からないが

どちらにしたって、あまりに陳腐だ。

そんなこといったら、箱根駅伝にだって甲子園にだってウインブルドンにだって魔物はいるだろう。

なんだったら、幼稚園の学芸会や社内運動会にだって結婚式のスピーチにだって魔物はいるだろう。

どうせありふれた言葉を使うなら、「勝負は時の運」のほうが潔くないか。

歴然とした実力差があるのならともかく、コンマ以下の速さを競う競技なら

運だって大きく関係するのだから。

でなければいっそ「実力不足」と言ってしまったほうがいい。

言うに事欠いて魔物だなんて。

21世紀に。

いるかもしれないけど。

それと嫌だったのは、自国の選手を応援するあまり、ライバル選手の不調を言い立てて

いかにも「だから勝てるチャンスはある」という言い方をする解説者がいたこと。

この発言は双方の選手に失礼だが、特に自国の選手に失礼だろう。

相手の調子が悪いから勝てるかも知れませんよと言われて、喜ぶ人がいるだろうか。

「競争」というより「狂想」ばかりメディアは流す。

一番嫌なのは、あまりにもスポーツに人生を重ねること。

もちろん、選手たちにとって競技は人生そのものかもしれないけれど

それはスポーツばかりではない。

先日、電卓競技日本一を決める大会の様子を見たのだが、これがまあすごいのだ。

一秒間に7回だか10回だかキーを叩くという。

「この日のために一年頑張りました」という出場者。

優勝して喜ぶ人、負けて静かに涙を流す人、友人と抱き合って号泣する高校生・・・

たぶん、この光景に感情移入できる人は少ないだろう。

電卓早く打ててなんになる?とかいう人さえいそうである。

しかし、競技人口が多いか少ないか、メジャーかマイナーかの違いがあるだけで

オリンピック競技も電卓早打ちも、それに賭ける人の気持ちは同じなのだ。

だから、スポーツだけを大げさに人生にかぶせないでほしい。

もっとも電卓選手権ではお金が動かないけどスポーツでは大きなお金が動くからなあ。

世の中は結局、大金に動かされているのだろうなあ。

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流行も、続けば伝統・・・?

2010年03月02日 21時08分19秒 | 日々雑感
腰パンの歴史は、どれくらいのものなのだろう。

記憶に残る一番古い腰パンの思い出は10年ほど前だ。

もっと前から腰パンの若者はいたのだろうが、

なぜ10年前のことが一番強烈に思い出されるかというと

腰パンをしていたのが26歳の社会人だったからだ。

今のわたし26歳はまだまだ若く、いろいろと大目に見ることも出来るのだが

当時のわたしにすれば26歳は立派な大人で、

腰パン?

26にもなって!?

という衝撃を受けたからよく覚えているのだ。

しかもこの人は茶髪でカラーコンタクトを入れていて、香水ぷんぷんで

わたしから見たら宇宙人であった。

茶髪もカラーコンタクトも香水も珍しくはないけれど

仕事の場にそれを持ち込むことにびっくりしたものだ。

今は茶髪のサラリーマン、増えましたが。

それから10年が経ち、腰パンなどとっくに世間に許されているのかと思ったら

あんなにも叩かれたのは、彼がオリンピック代表だったからなのだろうか。

彼を批判した人たちは、まさか自分の息子や娘には

きちんとした格好をさせているんだろうなと思う。

そうでなければ批判する資格はないはずだから。

わたしは腰パンは嫌いだが、写真で見る限り彼の格好はさほどひどくはなかった。

あまりにも騒がれていたので、どんなにだらしないのかと思ったが

着崩し方にはセンスがあり、見る人が見ればおしゃれと思うだろう。

彼は多分、自分の格好が非難の対象になるなど思わなかったのだろう。

思ったのならばしなかっただろうから。

そこまでのこだわりも根性もないだろうことは、非難を浴びた後の態度でわかる。

批判を受けて反省したのならばきちんと謝罪すればよかったのだし

悪かったと思えなかったのなら謝らなければよかったのだ。

悪いと思ってもいないのに、周りがうるさいから嫌々謝るなんて一番格好悪い。

彼の格好悪さは、謝罪も主張もちゃんと出来なかったところにある。

つまり彼には想像力も意地もなかったということ。

「普段と同じ格好では、もしかしたらこの場にふさわしくないと思う人がいるかも」

と考える想像力の欠如。

「これは自己表現であり、僕の個性だから悪いとは思っていない」

と押し通す意地。

腰パンなんて単なるファッションであって、確固たる主張があってしてるもんじゃないんだろうけれど。

不貞腐れるくらいなら、意地を張ったほうがいい。

仲間内ではどんな流行り言葉を使ってもかまわないが、公の場ではきちんとした言葉を使う・・・

そんなことの出来ない人が増えた。

「マジッすか」

「わかんないッす」

会社で、年上の人に平気でこういう言葉を使う。

しかし若い人ばかりとも限らない。

先日、明らかにわたしより年上と思う母親が息子と買い物に来て

「このデザイン、マジやばくね?」

と例のイントネーションで言ったときはめまいがした。

別に若ぶっているわけではないのだろう。

若い息子と話すうちに身に付き、普段も自然に使っている言葉なのだろう。

しかし他人の前なんだから、もっときちんと話せないか?

家の内も外もなく、TPOの区別の出来ない人が増えた今、

オリンピック代表というだけで叩かれるのは、可哀想というものだ。

わたしが一番疑問に思うのは、もしも彼がもっとよい結果を残していたら?ということだ。

結果よければすべてよし、服装のことは不問に付すなんていうことになったのだろうか。

勝てば官軍負ければ賊軍・・・

そんな世論を見ないで済んだだけ良かったと思うべきだろうか。
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