まりはな屋

地方都市で、清貧生活  

すごい質問

2015年11月14日 21時14分54秒 | 箸が転んでも
テレビで谷崎潤一郎の特集をしていた。

母が「この人、まだ生きてるの?」

え!

こういうこと、母はわりと詳しいほうなので驚いた。

いや、詳しくない人も知ってると思う。

とっくに死んでるけど!

「じゃあ誰が生きてるの?」

何を聞きたかったか漠然と分かるけど、唐突すぎて・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ささやかな

2015年11月13日 22時49分35秒 | 日々雑感
知人と『名前を書いた人が死ぬというノートを手に入れたらどうするか』

という、中学生のような話をした。

わたしはきっと、何もしないと思う。

そこまで憎い相手がいないというのもあるし

たとえ、瞬間的に憎悪が芽生えたとしても

生殺与奪の権利を握っていると思えば余裕ができて

相手を許すことができると思うのだ。

もちろん、憎しみの理由にもよるけれど。

そう考えると、生きていくのに必要なのは

「可能性」なのではないだろうか。

100%近くないとは分かっていても、わずかな可能性を感じることができれば

なんとか希望を失わずにいられるのではないか。

まあ、この場合は「いつでも相手をひどい目に遭わせられる」という

ちょっとどうかと思う可能性なわけだけど。

今は貧乏だけど、いつか宝くじが当たるかもとか

出した企画が社長の目に留まって、急に出世するかも

とかいう、他愛もない夢みたいなことから

今日は嫌なことがあったけど、明日はいいことがあるかも・・・という

わりと現実的なことまで

意識するしないにかかわらず、絶えず可能性を感じているから

生きていけるのではないか。

信じている、というのとは違う。

そこまで強い期待はない。

もっとあやふやだけど、だからこそ落胆もせず

生きていけるのではないかしら。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

素顔のままで?

2015年11月07日 16時50分26秒 | きれいになりたい?
テレビや雑誌で「美魔女」と呼ばれる人を見ると、同年代としては心穏やかではなく

(こんなの、撮影のライトアップ効果だよ)などと毒づいてみるのは

うらやましさの裏返しだろう。

いつまでも若く美しくありたい・・・

と、いつまで思い続ければいいのだろう。

今の40代とわたしが子どもの頃の40代では見た目が全く違う。

そりゃそうだ。

10年ひと昔どころか四半世紀を超えている。

同じだったらそのほうがすごい。

25歳を超えたら行き遅れとまで言われていたのが今では

現役でアイドルをやっていたりする。

ある程度の年になったら「おばさん」と認定してもらえた昔とは違うのだ。

だが、これからは美魔女の時代は主流ではなくなると思うのだ。

これから来るのは「素朴の時代」。

外国の女優が「勝手に写真のしわを修正してほしくない」とか

日本のモデルも「毛穴を消したり足を細くしたりされたくない」と言っている。

潔さが半分。

あまりにも自分とかけ離れた修正をされると恥ずかしいというのもあるだろう。

それに今どき、写真を投稿できるサイトならかなりの修正ができるのだし

CGではどんな美女も美男も思いのままなわけだし

カラーコンタクトにつけまつげ、整形レベルのメイク技術の進化により

美しさというものがそんなにありがたくなくなっている。

美しさのデフレ状態。

わたしが子どもの頃「美少女」にはめったにお目にかかれなかったが

今は街を歩いていると全体のレベルが上がっていて、

まあよく見ると結構化粧が濃かったりするのだが、パッと見はかなり可愛い子が増えた。

そうなると、逆にすっぴんで髪を普通に結んだだけの子に清潔な美しさを感じてしまう。

若さや美しさには、それだけで人を引き付ける魅力も魔力もあるが

それは期間限定だからではないだろうか。

いつまでも若さや美しさにこだわるのは、他に魅力がないのか?

という風潮にこれからはなってくるんじゃないか。

身だしなみというのは必要だけど

過剰な努力をしなくてもパートナーから愛される・・・というのが最強じゃないかしら。

なんてね。

見た目を愛してくれる人も中身を愛してくれる人も、今のわたしにはいないんですけどね。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ただそれだけ

2015年11月03日 17時40分55秒 | 日々雑感
不定期なサイクルで英語の勉強をしたくなる。

テレビの英語講座を見たり、図書館でCD付の本を借りてみたり。

それにしても、6年も勉強して日常会話どころか、簡単な文章も作れないってどういうわけだ。

どうもこうもない。

困らないからだ。

ただ、高校でやたらと英単語のテストを受けさせられたおかげで

自分で英文を作ることはできなくても、簡単な英文は分かる。

ちょっと難しい長文だと、たちまちお手上げになるけど。

日本の企業で、英語を公用語にしているとか

英語の資格テストで高得点を取らないと出世ができないとか

まあ、わたしには関係のない世界だ。

英語ができなくてもなにも困らない代わりに、英語ができてもなんのメリットもない。

じゃあなぜ時折、無性に英語を勉強するかと言えば

一瞬でもいいから、英語を日本語のように感じてみたいからだ。

ヘレン・ケラーが冷たい水に触れたとき「WATER!」と叫んだように

わたしも感じてみたい。

水に触れたとき、頭の中で水→WATERと考えるのではなく

ストレートにWATERと感じてみたい。

もしくはWATERという単語を見た瞬間に、水と変換せずに

水しぶきを頭に描いてみたい。

なんちゃってバイリンガルになってみたい。

その感覚を味わってみたいだけなのだ。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする