まりはな屋

地方都市で、清貧生活  

君は何系?

2009年03月31日 13時23分01秒 | 日々雑感
父が「テレビで言ってたけど、草食人間ってなんだ?」と聞いてきた。

なんのこっちゃと思ったが、ああ「草食系男子」のことか。

全くメディアというやつは、古くは「新人類」だの「勝ち組」だの「負け組み」だの「ちょいワル」だの。

最近では「婚活」なんて言葉を、さも気の効いたキーワードかのようにもてあそんでいる。

本当の流行り言葉を紹介するのではなく、自らが濫用することで無理に流行らせている感じ。

それでまた、善良かつ軽薄な市井の人々が

「今の男の子って『草食系』って言うんでしょう」と得意げに使ったりするから悪循環。

大体「草食系男子」なんて言葉、かなり前から囁かれていたじゃないか。

おしゃれで優しくて、ガツガツしてなくて女の子とホテルに行っても何もしないような男の子・・・

対して女子は肉食獣が増えているのだと、これまたメディアはご丁寧に紹介してくれる。

確かに女子は元気だけれど、どうでもいいことだ。

大体、草食系男子を食って面白いのだろうか。

肉食系同士で闘ったほうが、充実感があると思うのだが。

ちなみに草食系よりも更に受動的な「植物系」という男子もいるらしく

そのうち「路傍の石系」とか「電柱系」なんて男子も出てきたりして。

どんな男子だ、それは。

ちなみにわたし個人としては人付き合いが嫌いなので「深海魚系女子」になりたいと思う。
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いけない一夜

2009年03月28日 21時41分34秒 | 日々雑感
思わせぶりなタイトルだが、例によって夢の話である。

夢の中で姉の夫を好きになってしまった。

どうやら向こうも同じ想い。

密かに熱い視線を交わす二人。

なんだか切ない・・・

ハッと目を覚まして夢と気付いた後も、なんだか甘美な感覚が残った。

ちなみに姉は未婚で、夫はいない。
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雨上がりに街の灯揺れて

2009年03月25日 23時26分16秒 | 日々雑感
寒い寒いといったって春なんだからと、自分に言い聞かせてみたものの

帰り道のあまりの寒さに、頭が痛くなってしまった。

数日前の暖かさに、うかうかと春を満喫していた身には堪える寒さだ。

雨が降ったせいで、余計に空気が冷えている。

しかし、濡れた道路や水たまりに街の灯が映っているのはきれいだ。

ギラギラしたネオンを醜悪と思うのに、一方で街灯りに惹かれるのは矛盾だろうか。

夜遊びの記憶は酒場でも人でもなく、車から眺める街灯りだ。

流れる街灯りは、気持ち次第で様々に表情を変える。

出かけるときの心弾みとともに見る灯りは、きらきらと楽しげなはずなのに

どこか寂しい気もするのはなぜだろう。

まして帰りの気だるさの中で見る灯りは、寂しいというよりも虚無的だ。

もう夜遊びはしないけれど、街灯りは今もわたしの心を揺らす。

それは過ぎ去った日への感傷だろうか。

ふふん、と鼻を鳴らせば、湿った空気は春の匂いがした。
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深くて暗きは

2009年03月21日 22時03分36秒 | 日々雑感
人の心は気まぐれで、清楚な美人妻がいても奔放な女性とアバンチュールを楽しんだり

さわやかで働き者の夫がいるのに、定職にも就かない男に魅かれたりする。

ないものねだりというよりは、今の生活があるからこそのつまみ食いで

つまりはステーキばかり食べていると、たまにはお茶漬けが食べたくなるようなものだけど

結婚というのは基本的に「つまみ食いはしません」というルールに基づいていることを考えると

世の中にはルールを守らない人がたくさんいるものだ。

わたしなどあずかり知らない上流階級では

お互いに黙認状態で、それぞれ愛人を持ったり浮気をしたりするという。

そういう関係からすれば、浮気が原因で離婚するというのは愛とプライドがあったということだろうか。

多くの男は、高めの女と付き合うことを夢想するけれど、

実際に付き合いたいのは、自分よりも何かが劣る女である。

今の若い世代はデートが割り勘だったり、関係が対等に見えるけれど

それでも男には脈々と、頼られたい、優位に立ちたいという気持ちがあるのではないだろうか。

偉業を成し遂げた男性に、内助の功の妻はよくあるが

偉業を成し遂げた女性を支えた夫はあまり聞かない。

そういう女性はたいがい独身であるか夫の死後、活躍している。

基本的に男は立派な妻など持ちたくないのだ。

昔読んだ小説を思い出した。

これといった取りえのない平社員が、社内の高嶺の花である美人秘書と結婚することになった。

彼女は彼より有能でありながら仕事を辞め、家事にいそしむ。

掃除も料理も全てが完璧で、人も羨む妻を手に入れ鼻高々であった男だが

次第に息苦しさを覚え始め、汚かった自分の部屋を懐かしくさえ思う。

そんなとき、好きでもない飲み屋の女の子となんとなく浮気。

彼女の部屋の汚さとだらしなさに、安らぎを覚える。

浮気を知った高嶺の花は、怒りと悲しみを覚えつつも

そこまで男を追い詰めた自分に気付き、わざと手抜きの家事やだらしない振りをする。

二人の仲は修復した。

もしかしたら男は彼女の作戦に気付いているのかもしれないけれど・・・。

という一応ハッピーエンド。

言っちゃなんだが男は無駄にプライドが高いので、完璧な女と付き合いたいはずがないんである。

どこかダメで可愛気のある女と付き合って

「こいつは俺がいないとダメだ」とか「こんなこともわかんないの?」とか言いたいんである。

才色兼備の女性に、意外と独身が多いのはもちろんこういうことと無関係ではない。

本当に賢い女の人は、知っているのに知らないふりをしたりする人である。

そうすれば世間から、男から可愛がられるのだから。

「高めの女」を手に入れて嬉しいのは初めのうちだけだろう。

その喜びは周りに対して見せびらかす気持ちから発生するので

見せびらかす期間が過ぎてしまえば、後は生活があるだけで

性格もよく容姿もよい女なんて、多分つまらないんである。

ちょっとわがままとか、お馬鹿さんじゃないと、きっと男は嫌なのだ。

と、ここまでわたしが言い切るのは自分にそういう気持ちがあるからだ。

わたしは天邪鬼であるから、絶対に素直な好青年とは付き合えない。

彼の性格のよさや育ちのよさを、素晴らしいことだと思いはするが

もしも付き合ったなら、比べて自分はなんとひねくれた人間なのだろうとまずは自己嫌悪。

それだけならまだしも、徐々にわたしは彼に物足りなさを感じると思うのだ。

素直な彼を「単純な物の見方しかできない」と、つまらなく感じるようになるだろう。

美点は、ふとした拍子で欠点になってしまうものだ。

一緒に素直な人間になろうとは思えないに違いない。

しかしだからといって、性格の曲がった男と付き合うと

それはそれでいろんな問題があり、やっぱりうまくいかないんである。

というわけで、恋愛や結婚などに果敢に挑戦する気を失っているわたしには

他人の色恋沙汰や離婚話など、本当はどうでもいいのだけれど。
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無冠の帝王に花束を

2009年03月10日 21時22分00秒 | 日々雑感
評価のひとつに「世界に通用する」というものがある。

スポーツ競技はわかりやすい。

陸上でも水泳でも結果がはっきりと出るので、国内では1位でも

世界大会では入賞できないということもあるわけで

そんな中で外国人選手に混じって健闘すれば、それは「世界に通用する」実力といえるだろう。

だが、スポーツのように記録の出ないものはどのように比べたらいいのだろう。

ミスユニバースなんか見てると、いずれ劣らぬ水準の容姿で

誰が優勝してもおかしくないというか、順位を決めるのは不自然というか。

結局は審査員の好みということになるのではないだろうか。

三ツ星レストランに選ばれたからといったって、それは別に世界に認められたのではなく

フランスのひとつの権威に選ばれただけである。

正直なところ、日本人にフランス料理の味が本質的にはよくわからないように

外国人にも日本の味はわからないのではないだろうか。

こんな乱暴なことを言うのは、とある日本人シェフが書いたものを読んだからだ。

そのシェフは数年フランスで修行していたのだが、まかない料理を任されるとき

夏はあっさりとしたものを作ることが多くなったという。

すると同僚のフランス人たちから「こんなもの食べてたら身体がもたない」と

クレームの嵐だったそうだ。

そこでシェフは悟るのだ。

彼らは子供の頃からおふくろの味といえば生クリームとバターなのである。

夏になるとそれらを受け付けなくなる自分とはバックボーンが違う、と。

だからわたしも思うのだ。

味噌と醤油で育ったわたしは、フランス料理を美味しいと感じても

理屈ではなく身体で理解することはできないだろうと。

それでいいと思うのだ。

どちらの味が繊細だとか、優れているとかそんなことではない。

バックボーンの違い、土地の違いはあって当たり前なのだ。

誰の口にも合う料理なんて、つまらない味に決まっている。

「アカデミー賞」に選ばれることは確かに栄誉かもしれないが

選ばれなくても素晴らしい映画はいっぱいある。

「アカデミー賞」に選ばれることは「世界に認められた」というわけではなく

単にアメリカのひとつの賞に選ばれたというだけのことだ。

選ばれなかったら人々が映画館に殺到することはなく

地味ながらよい作品として細々と上映されたことだろう。

しかし芥川賞や直木賞に選ばれた途端に著書が売れるように

ブランドというか「お墨付き」に弱い人は多い。

わたしは誰もが評価する対象に、まったく興味を覚えない。

例えば地方でしか人気のない歌手とか芸人とかもっといっぱいいてもいいのに

東京で、全国区で評価されなければ意味がないという風潮がどうにも解せないのだ。

テレビで一時脚光を浴びて消費されるより、地方で絶大な人気を誇り続ける人がいてもいいと思うんだけど。

で、その土地に来ないとその人のライブは見られないとかね。

地域活性化なんていうつもりはないが、一極集中ってつまらないことじゃないんだろうか。

もっとも様々なメディアがあり、インターネットが普及しているのだから

今や地方の出来事でさえ、瞬時に世界中に広がってしまうんだけど。

なんでも知れるということは、案外つまらないことだなあ。

世界は広がっているようで、徐々に狭まっているような・・・
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