まりはな屋

地方都市で、清貧生活  

未来の色は

2015年10月31日 17時18分20秒 | 日々雑感
星新一のショートショートを読み返すと、書かれた当時はなかった文明の利器が

今のわたしの周りには出現していて、著者の予測能力に驚かされると同時に

子どもの頃に想像した未来に生きているのだなーと思う。

テレビのニュース番組で、子供の描いた絵が、すぐにデジタル処理され自在に動き出す様子が放映されていて

もう、このくらいのことでは驚かない自分に驚く。

最近「こういうものが開発されました」というニュースを見ても

そんなもの、とっくにあると思ってた・・・。

昔の人が初めてテレビや車を見たときのような驚きはきっともうないだろう。

話を戻すと、子供の描いた絵はすぐにアニメーション化できるだけではなく

立体図としてプリントアウトすることができ、それを組み立てると

自分の描いた絵が、平面から立体になるという仕組み。

そこまでやってしまうのか。

子どもの頃、自分の描いた絵を切り抜いて割り箸に貼り、動かして遊んだ人は少なくないだろう。

描いた飛行機や車を立体化するためにあれこれ工夫をこらし、テープとのりで格闘した挙句、

結局思ったような形にならずに投げ出したこともある。

そういう過程はもう必要ないのだ。

というより、機械が瞬時にやってくれるのだ。

30年以上前に書かれた星新一の随筆に

「今のおもちゃには、大人の使うミニチュアのようなものがあるが、そのものずばりの形ではつまらない。

なんの変哲もない木の箱ならば、想像力次第でバーごっこのカウンターにもなり

ままごとのキッチンにもなる」

というようなことが書かれていたと思う。

(これ、記憶に頼って書いているので文章は違っていることをご了解ください)

先回りしてなんでも与えることがよいことではないと、今のありさまを見て言っているようじゃないか。

折り紙や塗り絵には見向きもせず、スマートホンばかりを見ている幼児がいる。

そりゃそうだろう。

より強い刺激を知ってしまっているのだ。

こういうことを嘆いたり問題視する気力は、わたしにはない。

人が開発して人が使うのを誰が止められようか。

医療の分野でもよく「そこは神の領域」という議論が起きるが

できるようになってしまったものを、止めることはできないのだ。

それでもひとつだけ、希望的観測をするならば

テレビ誕生後も生の舞台はなくならなかったし

スマートホンがあっても紙芝居が好きな子供もいるのだ。

与えられたものを受け取るだけではなく、想像力と創造力を失わなければ

文明に文化が駆逐されることはないのだ。

たぶん。









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不思議な求人

2015年10月11日 16時31分18秒 | 日々雑感
仕事の休憩中、求人広告に目を通すと、本当に今は介護職が多い。

仕事内容がきついわりに給料が安いのは、雇用する側が

いくらでも人材の替えがきくからと思っているからだろうか。

だから事件が起きるんだよ・・・などと短絡的に思ってみたりする。

正直なところ分からない。

ストレスがすべての人を凶暴にするわけではないから。

ただ、ストレスからくる攻撃性を自分に向けるか他者に向けるか。

弱者に向かうか強者に刃向かうか。

たいてい、弱者に向けられるから悲劇なわけで、

強者に向けていれば、自分が窮地に追い込まれる。

世間でも職場でも、弱者が必ずしも弱者とは限らないけれど。

いや、こんな分からないことを書こうと思ったのではない。

広告の中に、不思議な文言を見つけたのだ。

「犬・猫の好きな方、大歓迎!」

で、仕事が警備会社。

犬は、分かる。

散歩中の犬や、吠える犬を恐れていては警備は務まらないだろう。

でも猫はなあ。

嫌いな人はいるけれど、怖がるような生き物ではない。

猫が人間にダメージを与える気になれば、かなりの攻撃力を発揮するけれど

そういう生き物ではない。

もしかしたら事務所で飼っているのだろうか。

その世話も業務のうちなのかもしれない。

なんだかほのぼのとした会社を勝手に想像し、

犬のおまわりさんなど思い浮かべ、休憩室を出た。





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