学校でも職場でもご近所でも、噂話や悪口がなくならないのは
それが一種の娯楽だから、ということは多くの人が知っている。
人の噂話や悪口は面白い。
自分の悪口が面白い人はあんまりいないと思うけど。
人の悪口がいくら面白いからと言って、堂々と楽しんでいいことにはならない。
悪口は節度を持って、というのは大人の常識だ。
悪口を言い合っている時の昂揚と背徳、そして連帯感は否定できない。
でも、相手がセクハラやパワハラなどを行っている絶対悪ならば
悪口なんか言ってる場合じゃないから、解決策を話し合った方がいいと思うし
嫉妬や劣等感や軽蔑からくる悪口ならば、自分の心に芽生えてしまう感情は仕方ないにしても
誰かと悪口を言い合っている時点で、それは薄汚い行為で
それが自分たちにとって一種の娯楽になっていることに無意識であってほしくない。
なんて、ええかっこしいですかね。
わたしは、ええかっこしいなので人の悪口をほとんど言わない。
他人に言わせて楽しむのも悪趣味と思ってる。
でも、どういう風に人が悪口を言い始めるかと言うことには興味がある。
知人に、人の悪口ばかり言ってる人がいるけれど、
その人は、みんなが自分の悪口を楽しみにしてるって事を知っているのだ。
自分が口火を切ることで、周りが悪口を言いやすくなることも分かってる。
ただ、こういう人はまれで、大抵は口火を切りたがらないから
悪口を言い始めるにはまず、探り合いが必要だと思う。
相手もその人のことを悪く思ってるに違いないという確信があっても
いきなり悪口を言っては自分の人格が疑われる。
まずは軽いジャブからだろうか。
「XXさんてさ、ちょっと言い方きついときあるよね」とか
「XXさん、前の部署で評判悪かったみたいだよ」とか
「わたし、ちょっと苦手なんだよね、何が嫌ってわけじゃないんだけど」とか。
相手の反応が薄ければ「ま、悪い人じゃないんだけどね」で締めれば、悪口言ったことにはならない。
相手が「わたしもちょっとそう思ってた」と乗ってきたなら成功。
2人で悪口にたどり着ければもう共犯者だから。
その後は、共犯関係が続く限りは仲良しでいられる。
はじめはガス抜きのための悪口が、悪口を言うための悪口になるまでに時間はかからない。
その悪口何度言うんだ?というネタさえ古典落語のように何度聞いても楽しめる。
でもいつか、蜜月は終わりを告げるのだ。
共通の敵がいなくなったとき。
どちらかに、もっと仲のよい共犯者が現れたとき。
「XXさんの悪口ばっかり聞かされて、もう疲れちゃう」
新しい共犯者に悪口を言われるのは自分かもしれない・・・
って、どうして悪口言い始める前に考えないんだろう。
それともわたしが人のことを信用しなさすぎなんだろうか。
それが一種の娯楽だから、ということは多くの人が知っている。
人の噂話や悪口は面白い。
自分の悪口が面白い人はあんまりいないと思うけど。
人の悪口がいくら面白いからと言って、堂々と楽しんでいいことにはならない。
悪口は節度を持って、というのは大人の常識だ。
悪口を言い合っている時の昂揚と背徳、そして連帯感は否定できない。
でも、相手がセクハラやパワハラなどを行っている絶対悪ならば
悪口なんか言ってる場合じゃないから、解決策を話し合った方がいいと思うし
嫉妬や劣等感や軽蔑からくる悪口ならば、自分の心に芽生えてしまう感情は仕方ないにしても
誰かと悪口を言い合っている時点で、それは薄汚い行為で
それが自分たちにとって一種の娯楽になっていることに無意識であってほしくない。
なんて、ええかっこしいですかね。
わたしは、ええかっこしいなので人の悪口をほとんど言わない。
他人に言わせて楽しむのも悪趣味と思ってる。
でも、どういう風に人が悪口を言い始めるかと言うことには興味がある。
知人に、人の悪口ばかり言ってる人がいるけれど、
その人は、みんなが自分の悪口を楽しみにしてるって事を知っているのだ。
自分が口火を切ることで、周りが悪口を言いやすくなることも分かってる。
ただ、こういう人はまれで、大抵は口火を切りたがらないから
悪口を言い始めるにはまず、探り合いが必要だと思う。
相手もその人のことを悪く思ってるに違いないという確信があっても
いきなり悪口を言っては自分の人格が疑われる。
まずは軽いジャブからだろうか。
「XXさんてさ、ちょっと言い方きついときあるよね」とか
「XXさん、前の部署で評判悪かったみたいだよ」とか
「わたし、ちょっと苦手なんだよね、何が嫌ってわけじゃないんだけど」とか。
相手の反応が薄ければ「ま、悪い人じゃないんだけどね」で締めれば、悪口言ったことにはならない。
相手が「わたしもちょっとそう思ってた」と乗ってきたなら成功。
2人で悪口にたどり着ければもう共犯者だから。
その後は、共犯関係が続く限りは仲良しでいられる。
はじめはガス抜きのための悪口が、悪口を言うための悪口になるまでに時間はかからない。
その悪口何度言うんだ?というネタさえ古典落語のように何度聞いても楽しめる。
でもいつか、蜜月は終わりを告げるのだ。
共通の敵がいなくなったとき。
どちらかに、もっと仲のよい共犯者が現れたとき。
「XXさんの悪口ばっかり聞かされて、もう疲れちゃう」
新しい共犯者に悪口を言われるのは自分かもしれない・・・
って、どうして悪口言い始める前に考えないんだろう。
それともわたしが人のことを信用しなさすぎなんだろうか。