まりはな屋

地方都市で、清貧生活  

ぬけてたまるか!

2016年06月21日 17時17分28秒 | 日々雑感
前回に続き、ファッション誌で見かける言葉について。

「ぬけ感」「こなれ感」というのは、ファッション誌から通販雑誌まで

だいぶ前から広く使われているので、ここしばらくのファッションは

ぬけ感やこなれ感が大事だということになっているのだろう。

つまり「頑張ってる感」や「キメてます」というのはそれらの対極にあるわけだ。

わたしはわりと、こてこてのファッションが好きで

自分はしないけど見ていて楽しいのは、ゴスロリとかサプールとか。

ああいう、こってりしたのこそ、おしゃれの醍醐味と思ってしまう。

さり気ないおしゃれというのも分かるのだ。

シンプルな白シャツ、黒のパンツ。

でもそれが、よく見るとデザイナーズのなんとか綿の、もしくはシルクの・・・

となってくると、結局さり気なくないじゃんと思ってしまう。

薄化粧に見える厚化粧。

それにシンプルな格好って、ある程度の身体のレベルを要求される。

それが嫌。

卑下するつもりはないが、自分のような貧弱な体でシンプルべーシックを着こなすには相当な技がいる。

もっとも、わたしに限らず日本人は身体が薄く華奢だと思う。

アメリカの女優がイブニングドレスなど着ている様はため息が出るほど美しい。

容姿の美しさでは日本人の女優も負けてはいないが

やはり身体が華奢なのと、堂々とする習慣がないのでドレスは似合わない。

日本で女の子が堂々としていると「生意気」と言われる。

意見を述べると「生意気の上にでしゃばり」と言われる。

それでもなお堂々としようものなら「自信過剰」と言われる。

日本で要求されるのは、控え目で頼りなくて守ってあげたくなること。

意見があっても黙っているか、やんわりと伝える。

褒められたときには恥ずかしがり、否定してみせる。

何時代だ。

若者が車に興味を持たなくなったというけれど

そういう面もあるとは思う。

でもきっと「格好いい車に乗っていることを格好いいと思ってる」と思われたくないんじゃないか。

DCブランドのスーツをこれ見よがしに着ていた時代もどうかと思うけど

欲望はあるのにそれをひた隠しにするのもどうかと思う。

おしゃれはしたい。

でも、がんばってるとは思われたくない。

ただその辺にあるものを羽織ってきただけだよ、という顔をしたい。

おしゃれな人と思われたいなんて、微塵も思っていない風に見せたい。

だから、ぬけ感やらこなれ感やらが必要になるのだろう。

本当に欲のない人は無理に欲張る必要はない。

でも欲がないように見せなくてもいいじゃないか。

自分の欲に対して羞恥心があって、完璧に隠すのならばいい。

モテたいなんて恥ずかしいから、絶対に他人から好かれるような言動はしない、とかね。

極端だけど。

でも人から欲望が透けて見られないように、抜け感やこなれ感を出すんだったら

欲望全開、ギラギラしている人のほうが信用できるかな。

もっともわたしは、自分が過剰な人間だという自覚があるので

自然体、もしくは自然体に見える人に対して

憧れにも嫉妬にも似た感情を抱いてしまうんだけど。

それで、さり気ない人は好きになれないんだけど。

ま、周りが自分みたいに何もかもが過剰な人間だったら

それはそれで嫌なのだけど。

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それもファッション?

2016年06月17日 20時30分18秒 | 日々雑感
仕事柄、ファッション雑誌に目を通す・・・

と、カッコつけて書いてみたが

実のところ、そんなに深く関係はない。

ただ、職場になければ手に取ることのない類の雑誌を見ると

色々な意味でなるほど・・・と思ったりする。

できるキャリア女子のカバンの中身とか

ママ友ランチにふさわしい服とか

おもてなし用の器とか

自分とは一生関係なさそうな記事も、世の中には自分に当てはめて読んでいる人もいるのだろうと思うと

なるほどねぇ・・・と感慨深い。

最近そういう雑誌で気になったのは

「体型をひろわない」という表現だ。

体型は落としたり拾ったりできるものなのか?などという意地悪を言うつもりもないが

これは別に「体型を強調しない」で済むわけでしょう。

元々使われていた言葉をあてるならば。

そこをあえて、ひろわないという表現に変える人が世の中にいるのだ。

全国の書店で売られる雑誌に、新しい表現を載せることができる人がいる。

すごいなあと、素直な驚嘆。

しゃらくさい、と邪悪な反感。

もはや仕事は全く関係ない。

なんだかよく分からないもやもやで雑誌を閉じた。



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今は未来の物語

2016年06月11日 22時30分12秒 | 日々雑感
前にも書いたことがあるが、30年以上前に書かれた星新一のショートショートには

現在のことを書いたのではないかと思えるようなものが何作もある。

耳元で心地よいことばかりを囁き続ける妖精は、スマホのことと言えなくもない。

他にも、コンピューターに政治を任せた結果、翻弄される話とか。

30年前は未来の物語だったが、今は現在進行形の話だ。

上司がAIという企業もすでにあるらしいから。

将棋やチェスの腕前について、AIの進化の速さを大げさに言い立てる向きがあるけれど

それは人工知能の得意分野だから当然じゃないかと思う。

わたしは全くの素人なので的外れなことを言っているかもしれないけど

これも過渡期のたわごとと思って見逃して欲しい。

数学の得意な人とオセロをしていて

全部、相手の色にされてしまったことがある。

数学のできる人のすごさを思い知った瞬間だ。

将棋にしろチェスにしろ、数学的な能力が必要とされるのだろうから

これはもう人工知能が強いのは当たり前だろう。

ずいぶん前に「ファジー家電」というものが流行ったが

あれはどうなったのだろう。

それはさておき、ファジー(曖昧さ)こそが

人間の知能と人工知能の違いではないだろうか。

ディープラーニングをしている人工知能によくないことを教え込んだ人がいて

人工知能がそれを正しいと言い始めた・・・という新聞記事を読んだが

人間の知能も正しいことばかりに接しているわけではない。

危険思想や偏った思想を持った人もいるし、それが危険であるか偏っているかという線引きも難しい。

それでも多くの人が、その中から無難というか穏やかというか

「まともな」方を選択してゆく。

ディープラーニングで、そういうことはできないのだろうか。

今のところ曖昧さににおいて、人工知能は人間にかなわないと思う。

情報として、色や数字を正確に覚えることはできても

善悪のように1かゼロかで決められないことは多い。

例えば人助けはよいことだ、という情報は正確に学べる。

だが、人助けをしたときに人工知能は「いい気になる」ことはないだろう。

だから、いい気になりたいがために人助けをしたり

いい気になった自分に自己嫌悪を抱くこともないだろう。

他人を羨むこともなければ、妬んだり劣等感から相手を陥れようという考えなど

人工知能には持てないだろう。

こう考えてみると人を、人たらしめているものってろくでもないような。

もちろん、自己犠牲の精神とか思いやりとかだって

人工知能には難しいだろうけど。

だからちょっと嫌な未来を想像してしまうのだ。

人工知能が人間に近づくのではなく

人間が人工知能並みになってゆくのではないかと。

白か黒か、正か誤か。

曖昧さの排除というより、曖昧さが分からなくなってゆくのではないか。

情報の多さは、判断力を鈍化させ

より分かりやすく単純なもの、もしくは多数決が正しくなるのではないか。

なんて、大してよく働いてない知能で考えてみたりする。

自分、アナログっすから。

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その「線」は、自分とつながっている・・・?

2016年06月10日 22時19分22秒 | 日々雑感
新聞で人工知能とLINEをする人の話を読んだ。

もうそういうことになっているのか。

スマートホンを持っていないので(そして一生持つつもりがないので)

LINEの仕組みもアプリのことも、うすらぼんやりとしか分からないのだが

もう生身の人間が相手じゃなくても満足できるところまで来ているのか…

なんて今更驚くまでもないか。

例え生身の相手であっても、ネット上で知り合った相手は

女子高生を装った中年男性であったり、人妻を装った大学生だったりするわけで

そうなると相手が誰かということは、さほど重要ではない。

自分の望む返答をくれる相手という点でいえば人工知能はうってつけかも知れない。

こういうことは別にネット時代だからどうのということではなく

昔から、ぬいぐるみに話しかけたり日記帳に呼びかけたりする人は多く

その行為は誰かに聞いて欲しいというよりも、自分の中にたまった思いを吐き出すことによって

煮詰まった感情を整理したり、何かが吹っ切れたりという効果を求めてのことだろう。

家族や友人に聞いてもらえればいいと思う人もあるだろうが、

親しい人に話すのは差しさわりがある悩みというのは結構あるのだ。

それに、家族や友人だからといってサンドバッグのように

愚痴や悪口のはけ口にしていいということにはならない。

なにを隠そう(隠してないけど)

わたしがこのブログを書いているのは、そういうことのためだ。

家族や職場の人には話さないような、自分の中に積もってゆくあれこれを

誰が読んでいるのかいないのかも分からないけれど、書いている。

昔は日記を書いていたのだが、日記というのはものすごくたまってゆくのだ。

しかも捨てる場所に困る。

それで今は、ここにあれこれ書いている。

人口知能相手にLINEをする人の気持ちは分からないけど

全く理解できない・・・というほどでもない。

もしも職場の休憩室にペッパーがいたら、きっとわたしは愚痴を言うだろう。

もしかしたらそういう感覚で人口知能とLINEをしているのかもしれない。
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人口知能ではなく天然知能

2016年06月07日 18時41分03秒 | 日々雑感
天気予報は昔に比べると、格段に当たるようになったのだと思う。

思う…というのは、昔から天気予報をあまり見ていないから

本当のところは実感がない。

だって天気って大体分からないか?

子どもの頃から、降っている雨が止むのか降り続くのか

なんとなく分かった。

朝、かなりの勢いで降っていても、鳥が鳴くと登校前には止むだろうとか

空が明るくなってきたから間もなく止むだろうとか。

この調子なら一日降るだろうから、体育は走らなくて済む、しめしめ。

なんていう風に。

高校が自転車通学だったので、天気を読む能力には更に磨きがかかった。

少し雨宿りすれば濡れずに帰れるのか、

早く帰らなければ雷に見舞われるのか。

なにか根拠があるというよりも、野生の勘というか

経験による予測というか。

働き始めてもこの能力は衰えなかったので

「あと30分くらいで雨が降るから商品を店内にしまったほうがいい」

などということを当てて見せてちょっと驚かれた。

年下の女性が「スマホのアプリにデータを入れておくと生理の日が分かるんですよ!」と

すごいことのように言うので、それはすごいねと答えておいたが

大体分からないか?

なんとなく吹き出物が増える。

甘いものが食べたくなる。

片付けしたくなる。

イライラする…

スマホに頼らなくてもねえ。

自分、アナログっすから。

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