まりはなの、のんきでありたい日々

地方都市で、清貧生活  

のんきな職場 家族編 「早く食べなきゃって思ったんだ」

2024年07月07日 23時32分28秒 | のんきな職場
思うに人間の大らかさというのは先天的なもので、努力でどうにかなるものではないのではないか。

鷹揚に見せたりすることはできても、本当の大らかさは培われるものではなく備わっているものではないか。

こんなことを思うのは同僚に非常に大らかな人がいるからだ。

「鈍感力」という言葉が流行ったときにはピンとこなかったけれど

この力を持つ人が非常に強く幸福だと、最近は思う。

鈍感は決して悪いことではなく周りを楽な気分にさせてくれる。

のほほんとしているようで思いやりがあり、他人の失敗を責めない。

そして自分の失敗もいつまでも悔やまない。

誰に対してもフラットで先入観も持たずに接する。

そんな素敵な同僚だが、夫といると自分は細かい人間かも・・・と思うらしい。

例えば。

新居を購入した不動産屋からお中元が届いたのだが

二人とも仕事で家を空けていたので、賞味期限の過ぎたものが再配達されてしまった。

そもそも賞味期限の短いものを送ってしまったらしい。

すぐに気づいた不動産屋から謝罪の連絡を受けた彼女は

「もう、信じらんない!」とぷりぷりしたらしい。

家に帰って夫に、事の次第を告げると彼は

「え、食べちゃったよ」

賞味期限の切れていることに気づかなかったのではなく

気づいたからこそ「早く食べなきゃ」と思って食べたのだという。

ふたつも。

なんかいいなあ、こういう人。

カスタマーハラスメントとは対極にいる人。
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のんきな職場過去編 「帰れないよ・・・」と彼は答えた

2024年07月03日 22時46分30秒 | のんきな職場
「XXさんはいますか?」

はい、失礼ですがお名前をお伺いしてもよろしいですか?

「あの、家族です。妻、です」

(あ、XX君の妻か。妻なら妻と初めに名乗ればいいのに)

電話を代わると、ぼそぼそと漏れ聞こえてくるやり取り。

「え、無理だよ。帰れないよ・・・」

電話を終えた彼に、何かあったの?と聞くと

「家にゴキブリが出て」

ああ。

帰ってやったら?と言ったが彼は帰らなかったので

妻は一人でどうにかしたのだろうか。

ゴキブリ平気なので、わたしが行ってあげたほうが良かったか?
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10年前もどうでもいいことを考えていた

2024年07月02日 10時51分09秒 | 日々雑感
10年前に何を考えていたのか、ブログを読み返したらこんなことを書いていた。

以下、2014年 6月の日記から



テレビを見ていて、不意に母が「美人だけど不幸な人っているよね」と言うことが度々ある。

ドラマの内容が美人が犯罪に手を染める話だったり、

私生活で不幸な美人女優が出ていたりするときに、そう思うらしいのだが

あまりにも度々なので、一体どういう気持ちからそういう発言が出るのかと考えてみた。

『美人だって不幸になるんだから、別に美人じゃなくてもかまわない』

という負け惜しみなのだろうか。

更に言えば『美人であるがゆえに不幸になることもあるから、むしろ美人じゃないほうがいい』

というもっと上から構えた負け惜しみなのだろうか。

世の中には美人じゃない上に不幸な人もいるのだから、

不幸なんだったら、せめて美人だったほうがいいじゃないかと思うのだが。

そこで母に言ってみた。

「だって、わたしなんか不幸なブスだよ」

すると母は狼狽したように

「えっ。あんたはそんなことないわよ」と答えたので

ブスじゃないって言ってくれるのかと思ったら

「あんたは・・・不幸じゃないもん」

そっちですか。

そっち否定ですか。

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