柔軟性を失うことは、老化現象の一種らしい。運動をしている人が若々しいのは、運動によって、体の柔軟性が保たれているかららしい。しかし、見えないところで、同じ細胞である脳細胞も柔軟性を失っているに違いない。脳内革命という本のなかで、運動は脳細胞も活性化させるという内容が書いてあったように記憶している。本当に?
自分が人に(必ず自分より歳下の人)説教じみていることを話してることに気付き、愕然とすることがある。ちょっと、為になるような気がして、とか、ちょと気になったもんだからとか、断り書きは入るに入るが、内容はまったく説教ではないか。脳が硬くなって自分の経験や考え方がまるで正しいかのように、自分で自分の中の何かを固定して、その上悪いことに、自分で肯定までしている。
亀の甲より年の功 という、金言がある。昔、母は年取った人の功より亀の甲羅の方がよっぽど良いと逆に解釈していて、呆れたり、大笑いをした事を思いだす。しかし、昔の知恵者は(母のことではありません)さすがだなあと感心するのは、功はあっても、歳を重ねると、どこかしこが硬くなるという、ニュアンスで、亀の甲羅と比べたのではないなだろうか。音の問題だけとは感じられない深さを感じてしまう。歳を重ねた人たちの知識は素晴らしいと称えた金言だとは思うが、最近の私はちょっと母の解釈の方に近い自分を感じて反省することが多い。
功を甲羅と比べていただくほどの年長者ではない。まだまだ修行の足りない怠け者だ。だが、しかし、このまま行くととんでもない、意地悪、ひとりよがりおばんになるような気がする。軌道修正しないとね。