教育現場にはいろいろな立場の人たちがいる。私も、親として、現役で教育現場に携わっていることになる。
昨日のセミナーは大変興味深いものになった。つまり、一方で親としての興味があり、他方、カレッジで学び始めた教育学からの、実地学習をしているようでもあった。
アメリカには数学、英語を中心にすえた、Tracking 制度というものがある。出来る子、出来ない子を、コースで分けてしまう。どこの時点で始めるかには、州でも、学校でも差があるようだが、この地域では、はっきりとは、8th つまり中学二年生で分かれる。(水面下ではそれ以下でもあると聞く)
どういう基準で分けるのかを、昨日のセミナーでは質問してみた。セミナーに参加してくださった講師は、この地域の教育学区のカリキュラムの責任者なので、明確な答えが返ってきた。この制度は実にシビアーで、上のクラスから下のクラスへ落ちていくコースはあるが、下のクラスから上のクラスに上がるコースはほとんどない。全否定をしないのは、アメリカンドリームの可能性がどこかにあるような気がするからだが・・・文章上、システム上では、その道は探せない。
他方、カレッジでは、Tracking 問題をクラスで討議していたから、実に面白い経験をしたことになる。そして、私自身が、親としての立場と、学生としての立場だと、微妙に見方も、持つ意見を違うことにも気づかされる。
この国の人口の裾野は驚くほど広く、誰もが中流意識を持っているわけではない。それどころか、誰もが自分が社会的にはどのクラスなのかは、きちんと把握している。親の社会的クラスは、子供たちの、数学のクラスに反映されるといっても、それもまた、嘘ではない、現実だ。
現実に問題をたくさんかかえている、この国で、私もまた、教育現場に、親とは違う立場でかかわることになった。小学校へ三回、本を読み聞かせにいく。そして、そこで、子供たちに、本をテーマに討論をしてもらう。ただ、話し合うのではなく、こちら側は教育者としての意図をもっていく。時間は30分。自分で小学校を選び、先生にお願いに行く。その他、三回、小、中、高の授業を見学させてもらい、その授業に対する、レポートを課題に添って提出する。また、7回以上の授業参加をこれまた、自分で設定する。先生がしてくれるのは、小学校で読む本を提供すること。チェックをすること。
お先真っ暗だった、私に、米人の友人が、中学校の先生を紹介してくれるという。ほんとうに、感謝、感謝、感謝。
どんな子供たちと会えるのか・・・・。小学校へは、日本の折り紙で作った手裏剣を持って行こうと思う。