昨日、掛川経由で森町行ってきたので帰りに掛川で葛湯買った〜
濃厚で、湯、っうよりは緩いプリンみたいな感じ。
で、森町は別名・遠州の小京都。
以前一回だけちょっと歩いた事あるんだが、どこが京都なのかはよくわからなかったんだな。
で今回は、森町の歴史民族資料館に行ってみました。
古民家、つうか和風旅館?って外見ですが、こちらは元々明治前半くらいに『郡役所』として作られた建物を移築したそうです。
江戸→明治、って廃藩置県となりますが、廃藩されて置県になる前に数年間置郡、となった期間があったそうなんですねー。
今の市にあたるような感じでいくつかの村を集めて郡とした、このあたりは周智郡でした。
周智郡はその後しばらく市ではなく周智郡◯◯町、となってましたが大合併で森町以外は浜松市に合併し、浜松市天竜区になりました。
が、森町だけは相変わらず『町』なんですねー。
で、その当時の建物で残存してるのは珍しいそうな。
博物館ではなく資料館なんで、専任の学芸員さんがいるわけではないんですが、地元史に詳しい方が常駐していて、いろいろ話を聞かせてもらいまして、これが面白かったんだねー。
森町って秋葉神社参拝の通り道にあたるそうで。
秋葉神社つうのは浜松天竜区にある主に火災避けの神様を祀ってます。
江戸時代は火災も多かったので、結構全国的に人気だったらしい。
実は東京の秋葉原の名前の由来は、この火除けの秋葉さんから来てるらしいよー、まあ諸説あるかも、だが。
江戸時代はお伊勢参りのオプションツアー?で秋葉神社にお参りする人も多かったそうで。
後は塩の道の一つでもあり、長野との通り道となり、魚や塩が長野に運ばれ、長野からは黒曜石とかがやって来た。
そんな感じで人の往来が増えると町は賑わうし、各地から商売人が集まる、ってわけで鋳物をやってた人が流れてやってきた。
鋳物って木を大量に使うから一ヶ所にとどまれずに移動してた、んだろうねー。
で、たまたま森町にいた時に家康とコネができ、武器作って提供したりしたんで家康が天下統一後は彼らが日本の鋳物界のドン的な立場になった。
で、浜松、といえばピアノ、バイク、以前は織機なんだがこれは天竜区の木材と森町の鋳物技術という下地があったからだそうで。
なーるほど・・
で、小京都って呼ばれてはいるがパッと見は京都みたいな町屋があるわけでなくどの辺りが京都?って正直思ったが、これは町並みが似てるんではなく、地形的なイメージが似てるから、だそうで。
明治に有名な地理学者が森町に来て、芸者さんとかに接待うけて町中を流れる川の橋の上で一息つきながら、あーなんか鴨川みたい京都にいるみたい、と思ったから、らしい(笑)
でも、他にも京都の祇園祭とかの奉納の舞が森町には伝えられていて、本家祇園ではもうやってない踊りや山車の名残がこの森町には残ってたりするそうで。
あー、なんかあれみたい。
アラビアオリックスが野生では絶滅したんだけど、とある王族が自分の庭園で飼ってて生き残ってたんでその群れを元に繁殖させて野生へ帰した、って話。
やはり大切な物は集中させるより分散させた方が何かあった時に代替えが効くもんですよね、ハイ、マイナ保健証!(爆)
後は、この間読んだ小田原漫画にありました外郎の話、ういろうって読むんだが、小田原ではういろうはお菓子もあるが薬なんだそうです。
その薬を作ってたのが外郎さん?なんだが元は中国で権力争いに敗れ日本に逃げてきたんだそうで、九州に来てそこで薬を作り評判となった。
それを聞いた京都の偉い人が京都に招き、その後北条氏の招きで小田原に行き現在に至る、そうなんですがその小田原に行く途中に森町に滞在していたそうで!
その関係で京都文化が森町に残されていたりするそうです。
あー、なんか自分の中の『点』としての知識が『線』になっていくなあ、と実感しました。
今度小田原に薬のういろう買ってみよう〜
資料館の中は昔の生活用具や稲作とか茶栽培の農機具なんかがたくさんあります。
何故か茶摘み娘人形。
静岡人なら皆、漢方薬の荷井屋のアレ、と呼ぶ。
今はプッシュフォンも消えつつあったりして
これ、前の職場で現役で使ってた!
機織り期ならぬムシロ織り機!
化石の前にはおもちゃがあったりしてなかなか混沌としてるなー
地元の名士コーナー。
白砂糖製造法の特許取った人とか、烏龍茶製造した人とか。
あと、森町は次郎柿の原木があるそうで。
川から流れてきた柿の種を植えたらすごく甘くて良い柿が生った、という伝説があるらしいがあくまで伝説だそうな。
いやー、いろいろ楽しかったです。
また今週末に行く予定です。