新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

多忙だった12月6日

2013-12-07 09:03:34 | コラム
多忙だったのかな:

午前9時30分に家内と共にYM氏と恵比寿駅で待ち合わせて、彼の車でお台場へ。彼と会うのは8月の入院中に見舞って貰って以来のこと。目的は10時に開場の東京ビッグサイトで開催される某商社のファミリーフェアー。順調に走って10時15分過ぎに入場。この時刻でも招待券のみのお客様は入場待ちの長蛇の列。当方は担当する子会社発行のカードがあって、直ぐに入れる仕組み。

あの広いビッグサイトの西館を埋め尽くすような大勢の買い物客をかき分けてすたすたと歩く長身の彼を懸命に追って、先ず目指す家庭用雑貨品のブースへ。残念ながら狙いだった”Bレット置くだけ”の詰め替え用は出品されていなかったが、歯間ブラシは買えた。彼も当方も衣料品等には関心がなかったが、一応見るだけは見て、多くの出展者が乱立する食料品の売り場に急いだ。

ここで、YM氏が計画していた食料品を買って、11時まで別行動だった家内との待ち合わせ場所にたどり着いた時は10分前。彼は午前中しか時間がなくここで別れた。私が見ても今回の場内の混雑は凄まじく、YM氏にとっても印象的だったそうだ。彼が観察した限りでは「国内では安売りの部類に入る価格でも、同様な商品のアメリカの市価と比較すれば割高で興味を感じない」とのことだった。我が方の狙いも経済的である肉類とその加工品で、これは言うなれば"competitive"である。

その後に家内と場内で入手可能な簡単で経済的な昼食を済ませた後に無事に食料品を購入して、商社の送迎サーヴィスである大型観光バスで東京駅八重洲口に向かった。恵比寿からお台場に向かった際と同様に、この復路でも周囲は高層マンションと高層の貸しビルばかりで、自分が今何処を走っているかの目印になる建物がなくなったのには驚くばかり。

鍛冶橋で下車してから東京駅に隣接する大丸の地下でおそらく都内で最も実質的且つ経済的な価格で提供されているだろうと確信する肉まんを購入して山手線を利用して帰る。途中乗り込んできた老人ばかりのガイド付き観光客の一団が皆英語で話し合っているので訊けば、ハワイの日系三世の方々の旅行で、最早日本語が解らない世代なのだそうだ。その中の高齢の女性と今年で3度目の英語での束の間の会話を楽しんだ。彼等の多くは杖を持っておられ、池袋で下車された。

帰宅後に前夜久し振りに英語で書いた長年のつきあいであるW社の船舶部門の副社長だった友人宛の手紙をアメリカ向けに出しに、往復20分となる郵便局に向かった。家内には朝持って出れば良かったのにと言われたが、皺になってもいけないし大量の?買い物を先ず家に置くのを優先した次第だ。一体今日はどれほど歩いたかと少し疲れを感じた。

夜の10時過ぎに過労のためか眠れないままに見ていたテレビ東京のニュースで、日経新聞の記者がミヤンマー人が最も多く住んでいるのが新宿で約1,030人と言っていたのが聞こえた。11月現在で新宿区の外国人が34,366人だから、その約3%に過ぎないと知った。私には興味深い数だった。遺憾ながら、私にはどの人たちがミヤンマー人かの見分けはつかない。彼等の言葉は何処かタイかベトナムに似た響きがあると思うだけだ。