新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

今更ながらのマスコミ批判

2013-12-04 15:32:23 | コラム
何が何でも自民党を悪者にしたいらしい:

私は近頃マスコミというかテレビ局の偏向した報道を確認するために、意識的にTBSのNスタ(=毎日)、古館の報道ステーション(朝日新聞)を見る機会を増やしている。NHKの夜9時のニュース等は見る必要はない。TBSの関口の「サンデーモーニング」における毎日の元主筆・岸井成格の偏り方と言うか世論誘導型ような反安倍内閣的で反自民的な姿勢も一流であると思う。

今週だったかの石破幹事長のテロ発言に対する多くのマスコミの扱い方を見ても「あーあ」と思うだけであり、「何が何でも自民党を悪者にせねば」と叩きまくる姿勢は酷いものだと言いたくなる。あれでは彼等は情報操作をしているだけではないか。罪なき多くの国民の皆様を操作していると思ってしまう。

また、この時期に自公政権が秘密保護法案を参議院で「強行採決」に持っていこうとすると強調しようとするためか、民主党が政権の座にあった時に何でも「前政権が悪かった」で片付けようとした福山哲郎如きが怒鳴りまくるところをここを先途と流し続けた。これなどは無様を通り越して異様だった。福山の形相などは「もしかしてその筋の方だったのか」と疑わせてくれたほどだった。

私はマスコミが挙ってこの法律を「(国民の)知る権利を奪う」だの「取材を難しくする」だの「危険極まりない」など批判するのはおかしいと思っている。私は退職後かなりの年数、マスコミの隅っこの片隅に片足の爪先を入れさせて頂いていた」ので、新聞社やテレビやラジオ局の方々がこれという話題を隅から隅までと言うか裏も表もご承知でありながら、先ず彼等の知るところを全てを報じているとは限らないと知る機会があった。

即ち、知っていながら知らせずにいる張本人が「知る権利を奪う」とは、一体何のことかと思うのである。勿論、そこにはスポンサー様との間の言うに言われぬ関係もある。だが、そこには「君ら程度の知識なら持ち合わせている」と言いたい視聴者も読者もおられるのだ。

嘗て、大手印刷会社の実力者購買部長さんに「納入業者の多くは私に市況の話しを聞かせたがる。これはとんでもない勘違いだ。我が国最大の需要家である我々が市況を作っていると知らないのは笑止だ」と言われたことがあった。それと同じようなものではないか。念のため申し上げて置くが、私は有り難いことに市況など論じる必要がない立場にあった。

単純にアメリカの家庭と比較すれば、我が国で家庭でテレビを見ている時間が圧倒的に長いと感じている。長ければ即ち、テレビを主たる情報源にすれば、あの種の偏向報道に毒されている罪なき国民の方々は多いと言って誤りではないと思う。

即ち、朝日新聞だけを閉め出したのでは不十分である。耳から入った偏向報道を防ぐ手立てをせねばならないのだ。簡単に言えば「テレビを見なけりゃ良いのだ」なのだが、一家に一台の時代ではない以上、多くを期待できないのでは。

間食は危険な信号か?

2013-12-04 08:36:51 | コラム
奇跡の6%の生還と退院後3ヶ月が過ぎた:

国立国際医療研究センター(NCGM)の主治医にも、長い間お世話になってきた開業の先生方にも、「8月29日に人生で二度目の心筋梗塞から立ち直って退院後の循環器系(身体?)の具合には問題がない」と聞かされている。

当人も自覚しているが、9月から10月にかけて苦しんだのは「再発するのではないか」と「室内外の温度差で風邪でも引けば生命の危機が・・・・」といったような精神的な恐怖だった。

それ以外に意外に悩まされたのは、食欲の有無よりも何を何処で食べても「味が薄い」と言うか「味を感じない」ので美味くないことだった。自然に食べる量も減って食事制限などする必要もなかった。体重は8月14日のカテーテルの処置でstentを留置して救命された後でICUのベッドで自動測定された際には、60.3 kgもあったと聞かされた。重すぎだ。8月13日には59.35 kgで「少し多いな」との自覚はあったが、60 kg突破は意外だった。

退院後の9月2日には57.55 kgにまで減少していて、じっとしていたことと病院食の効果かと思っていた。または「入院中には比較的回復が早かったようで、半ばを過ぎた辺りからは院内を何処でも自由に歩き回って良いとの許可を得ていたので、足が衰えないように方々を歩き回って運動するようにしていた」成果かも知れない。

9月20日にNCGMの指示で飯田橋の特殊MRI専門のクリニックで検査を受けた際には、診断を担当された医師から「循環器系統は安全圏内にあるので最早食事制限の必要ない」と診断を頂いた。だが、肝心の食欲というか「何でも食べてやろう」と言う意欲がわき起こってこない期間が11月前半まで続いた。事実、11月15日にジムで真っ裸で計量した時には55.15 kgまで下がっていた。

この頃までは美、味くなかろうと何だろうと最低必要量だと思っただけは何とか食べていたし、商社との昼食会を兼ねた懇談会も復活していた。食べる際の意識には嘗て私を拾い上げて下さった編集長の至言「海外をパック旅行する際に出てくる食事は生き抜くための餌だと思えば食べられるでしょう」があったほどだった。

しかし、先月下旬に入ってから徐々に3食の間に「特に空腹というわけでもないが何か食べたいな」という気分が出てきて、静岡から贈って頂いた柿であるとか、アイスクリームなどに手が出てくるようになって来た。商社との昼食会でもデザートを注文しようという気になってきた。その結果かどうか、今月に入って一度56 kg台を記録した日もあった。

私の感覚では「間食をしようという意欲は危険信号では?」と捉えている。退院後の食欲不振は「循環器の検査結果は安定していても、まだ身体に栄養分を吸収するだけの力が戻ってきておらず、『大量摂取の体制は整っていない』との信号を送っていたのだ」と解釈してきた。それが、3ヶ月を経て外出等の活動をするには、3食以外のエネルギー源が必要だと知らせているのだとも考えている。

だが、8月14日前の59 kg台の体重は明らかに過剰で、食べ過ぎの結果が裏側の冠動脈のstentのところでの梗塞の遠因(原因の一つ?)になったのではないのかと自戒している。要するに、今では古くから言われている「間食は控え目にすべきだ」という健康法が当てはまるのではないか考えている。現実には間食もさることながら、何を食べても「これはこういう味だったのだ」との感覚が漸く入院前の状態に戻ってきている。

だが、胃そのものが収縮した感があって、何を見ても出されても「よし、沢山食べてやろう」という戦闘?意欲は湧き上がってこない。だが、これは病後のためと言うよりも単に老化しただけかとも素直に捉えているし、その方が自然だと思うのだ。

念のため付記しておくと、当方はアルコール類は一切嗜まず自宅には何もないし、20年ほど前につきあいでビールをコップ2杯を飲みきる前に急性アルコール中毒で失神した苦い思い出がある。煙草は未だ嘗て手を出したこともない。