持てる力を出し切ったが残念ながら準優勝に終わった:
以下はモーツアルトをBGMに流して精神を落ち着かせて書いたもの。あそこまで行って負けた彼女たちの心中を察すると、心穏やかではいられないもので。
私は躊躇うことなく女子代表23名と佐々木監督と彼を支えたコーチ等を含めた裏方の人たち(「スタッフ」というカタカナ語を避けるとこうなる)のここに至るまでの全身全霊を献げての努力を讃えたい。彼女らは持てる力を出し切ったと言える。それはここに至るまでに誰一人として試合中に足がつって倒れ込んだ者がいなかったにも拘わらず、あれほど走って真摯敢闘した鮫島が後半に至って遂に倒れたではないか。力を出し切った証拠ではないか。
他国ではさして動いていない者がバタバタと倒れていたが、我が代表では初めてのことで、私は鮫島を準備不足などと非難するよりも、あそこまでやった敢闘精神を認めて褒めておきたい。それほど左サイドにはボールが集中し、鮫島以下は懸命に守り且つ攻め上がっていたと見た。やるべきことはやった後で倒れたのである。それでも、アメリカに後一歩及ばなかっただけだ。
我が代表は漸く4:1にされてから覚醒し、本来の形が作れるようになって、そこから後はボール保持率も50%を超えて、1:1の拙戦のような形に持って行けるようになり、後半開始直後には4:2にまで迫ってくれた。「遅かりし由良之助」でもあるが、前半開始3分で1点を取られた劣勢は最後まで挽回出来なかった。
私は、故に彼女らは持てる力を出し切ったが、遺憾ながらアメリカの力は一枚上で、最後まで我が方の力を抑えきったのだと認めざるを得ない。私はここでは「実力を出し切れずに」等というお為ごかしの表現は採らないし、また採りたくはない。それは「持っていない力など始めから出る訳もなく、アメリカ側は我が方の持てる力を最低限に押さえ込むことに成功したのであるから。そこにはFIFAのランキングの2位対4位のギリギリの差が出ただけだと思う。
実は告白すれば、私は開始3分でCK(コーナー・キック)から意外にも低い球を蹴り込んで岩清水以下の守備陣の間を縫ってゴール前まで通し、そこにロイドが飛び込んできた見事な作戦で(誤ったカタカナ語で言う所謂「サイン・プレー」だと思う)で先取得点された時に、居合わせた家内に「残念ながらこの試合はここで終わった。なでしこ(私はこの戦時中の「大和撫子」を想起させるニックネームが好みではない)の女子たちににここまで素晴らしい思いをさせて貰えた善戦健闘に心から感謝すると言わねばなるまい」と言ったほど先が見える失点だった。
恐らくあの4失点するまでの間は自分たちが何をやっているかも解らないほど茫然自失状態ではなかったかと、経験上も言えるかと思って見ていた。サッカーでは常識として試合開始直後と前半と後半の終わり5~10分間が最も注意すべき時間帯で、ここを無難に乗り切ってから自分たちのサッカーに持って行くのが鉄則なのである。そこを警戒していたはずだが、アメリカの意表をつくCKの蹴り方に崩されたのだと思って見ていた。それがあの試合の流れを作ってしまったのだ。
この5~10分間が如何に大切か(”critical”という単語が当たるだろう)は我が方はオーストラリアとイングランドを最後の3分足らずの間に崩して快勝したではないか。それと同じことをアメリカにやられてしまったのだ。それは恰も4年前の決勝戦で延長戦の最後のところで、宮間が澤と打ち合わせたプレーでCKから澤が後ろ向きのアウトサイド・キックで同点に持ち込んだのと同じように。
私は全員が覚醒して後半開始直後に大儀見の見事なゴール前での身体を回転させたシュートから得点したところでは「もしかして」と思わせて貰えたが、アメリカも然る者で、結局5:2と引き離してしまった。彼女らの姿勢には最後まで勝負を棄てず、勝ちに行っていた姿勢は賞賛に値する。アメリカにはどの辺りで勝ちを意識したか訊いてみたい気もするほどだ。
細かい技術面に少し触れておけば、アメリカはピッチを一杯にとって全員が広がる形で、我が守備陣が簡単に寄せていけない態勢を整え、大きなパスを縦横に交わして攻めてきた。また守備面では寄せが早く、大儀見を始めとするトラッピングの問題点を衝いて、就中相手のゴールに背を向けて縦パスを受けた場合に奪い取るか再び後ろに戻さざるを得ないように追い込んでいた。
また後難を怖れずに我が方の選手の問題点を挙げてみよう。それは既に指摘した宇津木の攻撃面での不安定さが後半になって相手ゴール前に入り、ここぞという時に洩れた来た球が全て宇津木に集まり、中途半端なパスかシュートとなってチャンスを逃していたことだ。だが、これを宇津木の責任にするのは酷で、勝負というものは兎角こうなるものだという残酷さの表れに過ぎないのだから。
この決勝戦でも上記の場合を除けば私には誰も非難したいような者はいなかったと見た。皆が持てる力を出し切ったが、アメリカの方がごく僅かの差で我が方の力を凌駕して、5点も取ってしまったのだという結果だ。W杯での7試合は誠に見事な出来を見せて体格差と体力差と身体能力(「フィジカル」ではなく”physical strength”と言うべきだ)差を克服して三大大会全てで決勝戦まで進出した実力を賞賛する。
ここに、あの23名の選手たちと佐々木監督以下には心から「ご苦労様でした、楽しませて頂いて、希望を持たせてくれて有難う御座いました」と申し上げて終わる。
以下はモーツアルトをBGMに流して精神を落ち着かせて書いたもの。あそこまで行って負けた彼女たちの心中を察すると、心穏やかではいられないもので。
私は躊躇うことなく女子代表23名と佐々木監督と彼を支えたコーチ等を含めた裏方の人たち(「スタッフ」というカタカナ語を避けるとこうなる)のここに至るまでの全身全霊を献げての努力を讃えたい。彼女らは持てる力を出し切ったと言える。それはここに至るまでに誰一人として試合中に足がつって倒れ込んだ者がいなかったにも拘わらず、あれほど走って真摯敢闘した鮫島が後半に至って遂に倒れたではないか。力を出し切った証拠ではないか。
他国ではさして動いていない者がバタバタと倒れていたが、我が代表では初めてのことで、私は鮫島を準備不足などと非難するよりも、あそこまでやった敢闘精神を認めて褒めておきたい。それほど左サイドにはボールが集中し、鮫島以下は懸命に守り且つ攻め上がっていたと見た。やるべきことはやった後で倒れたのである。それでも、アメリカに後一歩及ばなかっただけだ。
我が代表は漸く4:1にされてから覚醒し、本来の形が作れるようになって、そこから後はボール保持率も50%を超えて、1:1の拙戦のような形に持って行けるようになり、後半開始直後には4:2にまで迫ってくれた。「遅かりし由良之助」でもあるが、前半開始3分で1点を取られた劣勢は最後まで挽回出来なかった。
私は、故に彼女らは持てる力を出し切ったが、遺憾ながらアメリカの力は一枚上で、最後まで我が方の力を抑えきったのだと認めざるを得ない。私はここでは「実力を出し切れずに」等というお為ごかしの表現は採らないし、また採りたくはない。それは「持っていない力など始めから出る訳もなく、アメリカ側は我が方の持てる力を最低限に押さえ込むことに成功したのであるから。そこにはFIFAのランキングの2位対4位のギリギリの差が出ただけだと思う。
実は告白すれば、私は開始3分でCK(コーナー・キック)から意外にも低い球を蹴り込んで岩清水以下の守備陣の間を縫ってゴール前まで通し、そこにロイドが飛び込んできた見事な作戦で(誤ったカタカナ語で言う所謂「サイン・プレー」だと思う)で先取得点された時に、居合わせた家内に「残念ながらこの試合はここで終わった。なでしこ(私はこの戦時中の「大和撫子」を想起させるニックネームが好みではない)の女子たちににここまで素晴らしい思いをさせて貰えた善戦健闘に心から感謝すると言わねばなるまい」と言ったほど先が見える失点だった。
恐らくあの4失点するまでの間は自分たちが何をやっているかも解らないほど茫然自失状態ではなかったかと、経験上も言えるかと思って見ていた。サッカーでは常識として試合開始直後と前半と後半の終わり5~10分間が最も注意すべき時間帯で、ここを無難に乗り切ってから自分たちのサッカーに持って行くのが鉄則なのである。そこを警戒していたはずだが、アメリカの意表をつくCKの蹴り方に崩されたのだと思って見ていた。それがあの試合の流れを作ってしまったのだ。
この5~10分間が如何に大切か(”critical”という単語が当たるだろう)は我が方はオーストラリアとイングランドを最後の3分足らずの間に崩して快勝したではないか。それと同じことをアメリカにやられてしまったのだ。それは恰も4年前の決勝戦で延長戦の最後のところで、宮間が澤と打ち合わせたプレーでCKから澤が後ろ向きのアウトサイド・キックで同点に持ち込んだのと同じように。
私は全員が覚醒して後半開始直後に大儀見の見事なゴール前での身体を回転させたシュートから得点したところでは「もしかして」と思わせて貰えたが、アメリカも然る者で、結局5:2と引き離してしまった。彼女らの姿勢には最後まで勝負を棄てず、勝ちに行っていた姿勢は賞賛に値する。アメリカにはどの辺りで勝ちを意識したか訊いてみたい気もするほどだ。
細かい技術面に少し触れておけば、アメリカはピッチを一杯にとって全員が広がる形で、我が守備陣が簡単に寄せていけない態勢を整え、大きなパスを縦横に交わして攻めてきた。また守備面では寄せが早く、大儀見を始めとするトラッピングの問題点を衝いて、就中相手のゴールに背を向けて縦パスを受けた場合に奪い取るか再び後ろに戻さざるを得ないように追い込んでいた。
また後難を怖れずに我が方の選手の問題点を挙げてみよう。それは既に指摘した宇津木の攻撃面での不安定さが後半になって相手ゴール前に入り、ここぞという時に洩れた来た球が全て宇津木に集まり、中途半端なパスかシュートとなってチャンスを逃していたことだ。だが、これを宇津木の責任にするのは酷で、勝負というものは兎角こうなるものだという残酷さの表れに過ぎないのだから。
この決勝戦でも上記の場合を除けば私には誰も非難したいような者はいなかったと見た。皆が持てる力を出し切ったが、アメリカの方がごく僅かの差で我が方の力を凌駕して、5点も取ってしまったのだという結果だ。W杯での7試合は誠に見事な出来を見せて体格差と体力差と身体能力(「フィジカル」ではなく”physical strength”と言うべきだ)差を克服して三大大会全てで決勝戦まで進出した実力を賞賛する。
ここに、あの23名の選手たちと佐々木監督以下には心から「ご苦労様でした、楽しませて頂いて、希望を持たせてくれて有難う御座いました」と申し上げて終わる。