新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

7月17日 その3

2015-07-17 13:41:42 | コラム
日本大好き様

身に余るお言葉に心から感謝申し上げます。有難う御座いました。

お説には賛成致します。

国立競技場新設問題に関しましては別途新たな視点から論じておきましたので、ご一読下さい。


真一文字拝

7月17日 その2 問題は国立競技場新設だけの費用ではないのかも

2015-07-17 13:37:41 | コラム
商社筋の情報によれば問題は国立競技場新設だけの費用ではないようだ:

旧国立競技場の解体と新築に伴って、秩父宮ラグビー場と神宮野球場にも同様な工事があるとは発表になっていたと思う。私は工事はただそれだけで終わるものだと勝手に解釈していた。ところが、現実に進行している計画はその程度ではなく、両競技場に隣接する伊藤忠商事のビルも解体され移転する予定だと然るべき筋から聞いた。

誰が解体費用と移転先の土地と新社屋建設の費用を負担するのかは考えなくても解ることだろうと思う。しかも、そこには膨大な引っ越し費用も発生するのだ。私は想像するだけだが、あの近隣には伊藤忠商事の他に間組等々のビルがあったはずだから、数軒のビルが移転するとなれば、経費はより一層増大するだけではないのか。

旧霞ヶ丘競技場(こういう名称らしいが)に近い都営だったかの団地の住人の方々も既に近い団地等に転出され、そレに伴う諸々の費用も貰い受けたと報じられているようだ。だが、中には長年住んでこられたあの団地に執着されて未だ移転しない方もおられると些か情緒たっぷりな報道もあった。伊藤忠商事のビルの移転に要する費用はそんな程度では収まるまいと思う。私には見当もつかないが、その金額は2,520億円とは別枠だろうと思う。

私の想像というか推理がどれほど当たっているかは知る由もないが、国費の節減の為には先ず新国立競技場建設の費用は何としても2,520億円から削減する必要がありはしないかと思うのだ。私は迂闊にもあの会社のビルまで移転の対象になっていたとは知らなかった。だが、落ち着いて考えれば二つの競技場の解体作業が始まれば、その騒音で伊藤忠では落ち着いて仕事などしていられなくなると思う次第だ。

何れにせよ、2020年に東京でオリンピックを開催しようとすれば、マスコミが採り上げていないような高額な経費が未だ未だ発生する危険性(可能性などと悠長な表現では間に合うまい)があるのだと知って、ここに採り上げた次第。

因みに、ジャンルは敢えて「スポーツ」とはしなかった。

安倍総理も乗り出してきた

2015-07-17 09:32:05 | コラム
新国立競技場建設問題とカタカナ表記:

私は競技場を「シンプルにするのではなく、簡素か質素にせよ」と主張したいのだ。

どうやら安倍総理もこの案件に乗り出す事態にまでこの問題が煮詰まる方向に進んだ。私は結構であると思う。私はこの新競技場のデザインというか外観は支持しない。オリンピックは主競技場の見せかけの豪華さを競うものではないだろうから。その意味ではあのハディド氏とあの案を推薦した安藤氏に責任がないとは思わない。

私はこの競技場建設案は観客が見やすくするといったような観点から進められておらず、見栄えの良いデザインを売り物にしていたし、売り物にした結果建設費の積算が2,520億円に達したと報じられて批判が集中してきただけだと思っている。そもそもの予算の1,300億円でも出来る競技場があるとの「専門家」の声がある以上、コスト面で現行案よりも簡素か質素にすれば良いと考えている。

テレビに登場するコメンテーターや有識者は「シンプルにして国民の税金が使われる以上云々」と言うが、まさか新競技場建設の為に何か新税を徴収しようというのではないのだろうな。その分の予算枠は確保されているのだろうな。それならそうで、始めから明確に知らせておいて欲しい。下村文科相は東京都に500億円の負担を求めたと聞けば、都民としては新たな税負担が生じるのかと不安になる。森喜朗さん、宜しく頼みますよ。

この件とカタカナ語に如何なる関係があるのかと言われるだろう。私は大いにあると思っている。あの「アンビルドの女王」と言われているイラン生まれの「ザハ・ハディドさん」(ハディッドかハディードの表記もあるようだ)は、Wikipediaによればアルファベット表記では”Zaha Hadid”だとあるし、ロンドンの事務所の看板にも”Zaha Hadid Architects”となっている。

何が言いたいのかと言えば「多くのテレビと新聞がザハ氏と表記するのは、名字ではなく名前に氏を付けているのはおかしい」という点である。我がマスコミは未だに外国人の”first name first”表記が理解出来ず、先に出てくる”first name”=名前を名字=”last name”だと思い込んでいるようだ。私はこの点を何度も指摘してきた、故マイケル・ジャクソン等を例に挙げて。彼らは彼を「ジャクソンさん」か「ジャクソン氏」と呼ぶべきなのである。

その過ちをハディドさんの場合にも犯しているのでは、彼等は幾ら言ってやっても文化の違いを認識出ない連中だと非難したいのだ。私はアラビア語というかアラブの国での氏名の表記がどうなっているかは未だ勉強していない。だが、ロンドンで”Hadid”が後になっている以上、これが名字であるのだろうと解釈した次第だ。これなどは新競技場の建設コスト問題と比べれば微々たるものだが、カタカナ語排斥論者は黙っていられないのだ。

更に上記の「シンプル」というカタカナ語も不適切ではないのか。Oxfordには”not complicaed; easy to understand”とある。複雑ではなく理解しやすい競技場を建設せよとでも言うのか。