以下は昨年7月23日に掲載したものだが、今でも通用する点が多々あるので、加筆訂正して敢えて再掲載する次第だ。ご一読賜りたい。
アメリカの製造業を回顧する:
畏メル友・尾形氏に日経(14年7月23日、念のため)が「アメリカは何処へ・飽くなき革新。米国で先端分野研究の官民連携が加速している。」との記事を載せていたと教えていただけだ。長年アメリカの製造業の会社にお世話になっていた経験から、アメリカの製造業とは如何なるものかを振り返ってみよう。
私はこれまでに常にアメリカを批判することを書き続けてきたと思っている。W社在職中に同社ジャパンの社長(言うまでもないがアメリカ人である)に「何故君はそこまで何事に就いても批判的ないしは否定的なのか」と尋ねられたことがあった。私の答えは「それは何事につけても常に追求し広範囲な知識を身に付けようと努めたので、長所以外にも短所というか欠陥まで見出してしまうからだ」だった。
私は合計22年半もアメリカの製造会社2社に勤務して、自分なりに「アメリカとは」を追い求めてきた。そしてアメリカが如何に優れた立派な国かは専門家やマスコミが余すところなく伝えてこられたので、私は誰も触れてこなかったその絢爛豪華なコインの裏側を語っていこうと考えただけのことなのだ。
アメリカの製造業や多くの研究機関の「研究開発」(=R&D)とその設備に費やす資金と人的資源は我が国のそれとは桁違いに大きく、そこから続々と新た研究の成果が発表され、常に世界の先端を走っているの疑いもないことであろう。
やや我田引水的になるかも知れないが、1975年にW社に転身して幹線道路5号線(Interstate-5=アイ・ファイヴ)を南下してその東側に見える豪華絢爛たる本社ビルの裏側にあるI-5からは見えない中央研究所(WTC)に案内されて、その規模と合理的な設備に驚かされた。そこには大袈裟に言えば紙パルプ・林産物産業関連の研究者が世界中から集められ、博士号(Ph.D.)を持つ者が圧倒的に多いのだった。
その内部はパーティションによる研究室が設けられていた。私が先ず驚かされたことはその当時で既に研究者たちは論文を各人の席にある電話機に向かって話しかけ、それを専門のタイピストたちが打ち出しているシステムになっていた点だった。さらに「何れはこのやり方を音声入力に切り替えてタイピストはなくしていく」と説明された。
研究室以外の実験室等の設備も凄いと思わせられたが、その当時で既に樹木の「クローニング」の研究が進んでいたのだった。ここでは "Tree Growing Company" のスローガン通りに "cone" (球果または松かさ)に始まる樹種の改良を始めとする木材のR&Dに大いなる力が注がれていた。その敷地面積は2,300~2,500坪くらいを思うが、地上2階に地下1階の構造だった。
私は何もW社の提灯を持とうというのではなく、アメリカの製造業の会社ではこれくらいの規模の設備投資と人材を投入するのは珍しいことではあるまいと言いたいだけだ。事の序でに触れておけば、WTCの各階の天井には超音波が流されていてしたから上がっていく如何なる音もそこで吸収する仕掛けになっているので、所内に入れば物音一つ聞こえないとでも言いたい静寂さが保たれ研究員の集中力を保つ工夫が為されているのだ。
思うに何もW社だけに限られたことではなく、アメリカに数多く存在する先端技術のメーカーではW社以上の規模で投資(ないしは先行投資)が行われているものと推定している。私はここまでには「アメリカの製造業には侮ってはならない世界最高の力があると考えている。繰り返すが、ここまでである。
因みに、マイクとソフト、アップル、グーグル等の会社は製造業の範疇にあるとは思えないが、R&Dには十分な投資を行っているだろう。だが、これらの会社は自社内での最終製品の生産活動は極めて少ないのではないか。これは考えようによっては賢明なことではないのか。
私は問題はこれほどの投資をして生み出した斬新な着想や基本的概念を如何にして具体的な生産活動というか商業化してこそ、初めてR&Dの成果が上がってくるのだと考えている。ここには繰り返して指摘してきた1974年7月に当時のUSTR代表のカーラ・ヒルズ大使が指摘された「初等教育の改善と識字率の向上」という問題があると認識している。
また、当時のFRBの議長・グリーン・スパン氏は”numeracy”(=一桁の足し算・引き算が出来るようにする教育)の強化を指摘されたとも聞いている。
これは大使が間接的な表現で「労働力の質に問題がある」と指摘されたと解釈している。ここには「職能別労働組合」の問題もあるが、アメリカには我が国には存在しない「一旦労働組合に所属した者が会社側に変わっていく(上がっていく?)ことは先ずないという文化の違い」と、法律で「少数民族の雇用」が義務づけられていることだ。この文化の違いはこれまでに何度も述べたので詳細は省くが、アメリカの会社側の管理職以上に現場で生産業務を経験した者は先ずいないと思って間違いないのだ。
またもや私自身の経験談であるが、組合員の意識改革をしなければ我が国の世界に冠たる厳しい品質の受け入れ基準の達成は不可能であり、そのためには組合員に如何にその点を理解し納得させていくかに事業部を挙げて腐心したものだった。「異な事を聞く」という顔をされた方は多いだろうが、このように会社側と組合とは分離された別組織なのである。
結論を言えば「品質の向上なくして対日輸出に重点指向する我が事業部の存続は危うくなり、君らの職の安全(job security)も同じ運命だ。君たちが奮い立って品質の向上に最善の努力をして貰うことが肝心なのだ。君らは今までも良くやってくれているが、我々の共通の目的のために君らのより一層の技術改善に期待する」と繰り返し説得したことの効果が現れて、世界の何処に出しても最高の評価を得た品質を達せしたのだった。
この成果のコインの裏側にあったことは「組合員の意識改革」なくしては折角世界に冠たるR&Dが産み出した最高水準の発想や基本概念が所期の目標通りの製品を作り出していけない結果に終わってしまうのだ。アメリカ(の自動車等)が世界の輸出市場で成果が上がっていないことの大きな原因がこの辺りにあるのだ。それは関税を撤廃させることや、自由貿易協定を締結することの埒外にあることではないのか。
我が国の製造業の文化にはアメリカのような悩みはなく、優れた労働力の質に基づいた世界に冠たる製造業が厳然として存在するではないか。私はアメリカを侮ってはならないという点には異論はないが、彼等の研究開発の能力と実力と生産現場の力が同じではないと認識しておくことも必要だと信じている。言うなれば「我が国はそれほど優れている」ということだ。
アメリカの製造業を回顧する:
畏メル友・尾形氏に日経(14年7月23日、念のため)が「アメリカは何処へ・飽くなき革新。米国で先端分野研究の官民連携が加速している。」との記事を載せていたと教えていただけだ。長年アメリカの製造業の会社にお世話になっていた経験から、アメリカの製造業とは如何なるものかを振り返ってみよう。
私はこれまでに常にアメリカを批判することを書き続けてきたと思っている。W社在職中に同社ジャパンの社長(言うまでもないがアメリカ人である)に「何故君はそこまで何事に就いても批判的ないしは否定的なのか」と尋ねられたことがあった。私の答えは「それは何事につけても常に追求し広範囲な知識を身に付けようと努めたので、長所以外にも短所というか欠陥まで見出してしまうからだ」だった。
私は合計22年半もアメリカの製造会社2社に勤務して、自分なりに「アメリカとは」を追い求めてきた。そしてアメリカが如何に優れた立派な国かは専門家やマスコミが余すところなく伝えてこられたので、私は誰も触れてこなかったその絢爛豪華なコインの裏側を語っていこうと考えただけのことなのだ。
アメリカの製造業や多くの研究機関の「研究開発」(=R&D)とその設備に費やす資金と人的資源は我が国のそれとは桁違いに大きく、そこから続々と新た研究の成果が発表され、常に世界の先端を走っているの疑いもないことであろう。
やや我田引水的になるかも知れないが、1975年にW社に転身して幹線道路5号線(Interstate-5=アイ・ファイヴ)を南下してその東側に見える豪華絢爛たる本社ビルの裏側にあるI-5からは見えない中央研究所(WTC)に案内されて、その規模と合理的な設備に驚かされた。そこには大袈裟に言えば紙パルプ・林産物産業関連の研究者が世界中から集められ、博士号(Ph.D.)を持つ者が圧倒的に多いのだった。
その内部はパーティションによる研究室が設けられていた。私が先ず驚かされたことはその当時で既に研究者たちは論文を各人の席にある電話機に向かって話しかけ、それを専門のタイピストたちが打ち出しているシステムになっていた点だった。さらに「何れはこのやり方を音声入力に切り替えてタイピストはなくしていく」と説明された。
研究室以外の実験室等の設備も凄いと思わせられたが、その当時で既に樹木の「クローニング」の研究が進んでいたのだった。ここでは "Tree Growing Company" のスローガン通りに "cone" (球果または松かさ)に始まる樹種の改良を始めとする木材のR&Dに大いなる力が注がれていた。その敷地面積は2,300~2,500坪くらいを思うが、地上2階に地下1階の構造だった。
私は何もW社の提灯を持とうというのではなく、アメリカの製造業の会社ではこれくらいの規模の設備投資と人材を投入するのは珍しいことではあるまいと言いたいだけだ。事の序でに触れておけば、WTCの各階の天井には超音波が流されていてしたから上がっていく如何なる音もそこで吸収する仕掛けになっているので、所内に入れば物音一つ聞こえないとでも言いたい静寂さが保たれ研究員の集中力を保つ工夫が為されているのだ。
思うに何もW社だけに限られたことではなく、アメリカに数多く存在する先端技術のメーカーではW社以上の規模で投資(ないしは先行投資)が行われているものと推定している。私はここまでには「アメリカの製造業には侮ってはならない世界最高の力があると考えている。繰り返すが、ここまでである。
因みに、マイクとソフト、アップル、グーグル等の会社は製造業の範疇にあるとは思えないが、R&Dには十分な投資を行っているだろう。だが、これらの会社は自社内での最終製品の生産活動は極めて少ないのではないか。これは考えようによっては賢明なことではないのか。
私は問題はこれほどの投資をして生み出した斬新な着想や基本的概念を如何にして具体的な生産活動というか商業化してこそ、初めてR&Dの成果が上がってくるのだと考えている。ここには繰り返して指摘してきた1974年7月に当時のUSTR代表のカーラ・ヒルズ大使が指摘された「初等教育の改善と識字率の向上」という問題があると認識している。
また、当時のFRBの議長・グリーン・スパン氏は”numeracy”(=一桁の足し算・引き算が出来るようにする教育)の強化を指摘されたとも聞いている。
これは大使が間接的な表現で「労働力の質に問題がある」と指摘されたと解釈している。ここには「職能別労働組合」の問題もあるが、アメリカには我が国には存在しない「一旦労働組合に所属した者が会社側に変わっていく(上がっていく?)ことは先ずないという文化の違い」と、法律で「少数民族の雇用」が義務づけられていることだ。この文化の違いはこれまでに何度も述べたので詳細は省くが、アメリカの会社側の管理職以上に現場で生産業務を経験した者は先ずいないと思って間違いないのだ。
またもや私自身の経験談であるが、組合員の意識改革をしなければ我が国の世界に冠たる厳しい品質の受け入れ基準の達成は不可能であり、そのためには組合員に如何にその点を理解し納得させていくかに事業部を挙げて腐心したものだった。「異な事を聞く」という顔をされた方は多いだろうが、このように会社側と組合とは分離された別組織なのである。
結論を言えば「品質の向上なくして対日輸出に重点指向する我が事業部の存続は危うくなり、君らの職の安全(job security)も同じ運命だ。君たちが奮い立って品質の向上に最善の努力をして貰うことが肝心なのだ。君らは今までも良くやってくれているが、我々の共通の目的のために君らのより一層の技術改善に期待する」と繰り返し説得したことの効果が現れて、世界の何処に出しても最高の評価を得た品質を達せしたのだった。
この成果のコインの裏側にあったことは「組合員の意識改革」なくしては折角世界に冠たるR&Dが産み出した最高水準の発想や基本概念が所期の目標通りの製品を作り出していけない結果に終わってしまうのだ。アメリカ(の自動車等)が世界の輸出市場で成果が上がっていないことの大きな原因がこの辺りにあるのだ。それは関税を撤廃させることや、自由貿易協定を締結することの埒外にあることではないのか。
我が国の製造業の文化にはアメリカのような悩みはなく、優れた労働力の質に基づいた世界に冠たる製造業が厳然として存在するではないか。私はアメリカを侮ってはならないという点には異論はないが、彼等の研究開発の能力と実力と生産現場の力が同じではないと認識しておくことも必要だと信じている。言うなれば「我が国はそれほど優れている」ということだ。