安保法制案反対のために長渕剛の効用を狙っていたのか:
19日午前中に適当に合わせたチャンネルで松本人志の隣に座っている柄の悪い男が「我々も何時鉄砲を持って出ていくかも解らないような戦争に導く法案は絶対に反対。我々が経験した戦争の悲惨さを思え。出身地である鹿児島の知覧の跡を訪れると不戦の誓いをするものだ」と熱を込めて語っていた。何処かで見た顔だったと思えば、それが長渕剛だった。他には長嶋一茂と石原良純もいたが、敢えて異を唱える勢いはなかった。
私はこれはこの局が長渕剛の口を借りて安保法制案をなき物にしようと企んでいるのだなと思った。実は、私はこの歌手(なのだろう?)売り出した頃にはそういう国内の流行歌乃至はそれに類似した分野の出来事などに気を配っているほど暇ではなかったので、長渕剛なる歌い手がいることすら知らなかった。しかし、今ではその筋では大立て者で、一部の国民の皆様に対しては絶大な影響力があるらしいくらいは承知している。
私は更に我が国のマスコミと言うかメディアはある分野で名を為した方々を崇め奉り、事ある毎に有識者の範疇にお入り戴いて有り難いコメントを押し戴く傾向がある傾向があるものと承知している。私はある分野で成功者であっても専門でもない領域のことや、ましてや政治・経済・防衛・外交にまで政治家や専門の学者さん以上の見識の持ち合わせがあるとは思っていない。その意味では先日宮崎駿をこき下ろしたばかりだ。
こういう傾向は明らかな錯覚であるが、罪なき一般大衆にとっては崇拝する大先生の有り難いお言葉だと受け止めてしまう危険性が極めて高いだろうと憂慮している。今朝の長渕剛のお言葉もそういう効果を狙ったテレビ局の狙いがあったと解釈している。さらに、その悪い影響はそう遠からぬ時期に意図的な「世論調査」の結果となって安倍政権に不利になって出てくるとまで考え過ぎている。野党の党首たちは今頃ほくそ笑んでいるかも知れない。
余計なお世話かも知れないが、傘下に著名な芸人やタレントを抱えている組織と関連がある与党は、この局に負けないような強力な防衛策を講じておかないと参議院では案外な結果になってしまうかも知れないと危惧する。しかし、何処の局でだったか「参議院では党議拘束を外せ。与党内でも意見が割れているのだから、あの悪法を葬り去ることが可能」と示唆された、確か元東大教授だった者がいた気がする。
話題は変わるが、実は入院以前に頂門の一針の読者の方に私のジャズ論を語るとお約束していたのを忘れてはいないの、丁度久し振りに余り沢山あるので何処にしまったか解らず漸く探し出した”Wynton Kelly trio”の”Smokin’ at the Half Note”をかけてこの原稿を打っているので、その約束を果たそうと思う。Kellyとして往年の輝きと勢いが失われかけていた1965年のアルバムだが、ここでの彼のソロは私の贔屓の彼のソロとしては上位に入ると思い愛聴している次第だ。
1950年代初め頃から中学の2年上だった鳥山親雄さん(後に寺部頼幸とココナッツアイランダースのボーカル兼ギター担当だった)の影響で、ハワイアンからジャズに入っていった私には矢張り50年代のジャズが好みではあるが、94年1月のリタイヤー後にはその領域を離れて、HMVで親しくなっていた店員に勧められるままに現代のクラシカルから手をジャズに伸ばしてきたヨーロッパのピアニストたちのCDも喜んで聴いている。
だが、数あるあの往年のピアニストたちの中でもWynton KellyはBill EvansやOscar Petersonたちと変わらぬ頻度で聞いていたというか、幅の広いピアノジャズ好きであると自認していた。50年代のジャズが好みだとは言ったが、あの頃にJohn Coltraneが出てきた際にはその余りの前衛振りに呆れ果てて「もうついていけない。ジャズは聴かない」とジャズ仲間にも宣言して、転身したアメリカの会社の仕事に専念することにした。
これ以上語り始めればキリがないので、今回はここまでに止めるが、今では2006年1月の心筋梗塞で入院した際に見舞いにと戴いたモーツアルトの10枚組CDのセットに影響されて、中学入学以前に聴いていたクラシカルを専ら原稿書きのBGMにかけている「二刀流」に変節している。いや、もしかすると本卦還りの変形かも知れない。
19日午前中に適当に合わせたチャンネルで松本人志の隣に座っている柄の悪い男が「我々も何時鉄砲を持って出ていくかも解らないような戦争に導く法案は絶対に反対。我々が経験した戦争の悲惨さを思え。出身地である鹿児島の知覧の跡を訪れると不戦の誓いをするものだ」と熱を込めて語っていた。何処かで見た顔だったと思えば、それが長渕剛だった。他には長嶋一茂と石原良純もいたが、敢えて異を唱える勢いはなかった。
私はこれはこの局が長渕剛の口を借りて安保法制案をなき物にしようと企んでいるのだなと思った。実は、私はこの歌手(なのだろう?)売り出した頃にはそういう国内の流行歌乃至はそれに類似した分野の出来事などに気を配っているほど暇ではなかったので、長渕剛なる歌い手がいることすら知らなかった。しかし、今ではその筋では大立て者で、一部の国民の皆様に対しては絶大な影響力があるらしいくらいは承知している。
私は更に我が国のマスコミと言うかメディアはある分野で名を為した方々を崇め奉り、事ある毎に有識者の範疇にお入り戴いて有り難いコメントを押し戴く傾向がある傾向があるものと承知している。私はある分野で成功者であっても専門でもない領域のことや、ましてや政治・経済・防衛・外交にまで政治家や専門の学者さん以上の見識の持ち合わせがあるとは思っていない。その意味では先日宮崎駿をこき下ろしたばかりだ。
こういう傾向は明らかな錯覚であるが、罪なき一般大衆にとっては崇拝する大先生の有り難いお言葉だと受け止めてしまう危険性が極めて高いだろうと憂慮している。今朝の長渕剛のお言葉もそういう効果を狙ったテレビ局の狙いがあったと解釈している。さらに、その悪い影響はそう遠からぬ時期に意図的な「世論調査」の結果となって安倍政権に不利になって出てくるとまで考え過ぎている。野党の党首たちは今頃ほくそ笑んでいるかも知れない。
余計なお世話かも知れないが、傘下に著名な芸人やタレントを抱えている組織と関連がある与党は、この局に負けないような強力な防衛策を講じておかないと参議院では案外な結果になってしまうかも知れないと危惧する。しかし、何処の局でだったか「参議院では党議拘束を外せ。与党内でも意見が割れているのだから、あの悪法を葬り去ることが可能」と示唆された、確か元東大教授だった者がいた気がする。
話題は変わるが、実は入院以前に頂門の一針の読者の方に私のジャズ論を語るとお約束していたのを忘れてはいないの、丁度久し振りに余り沢山あるので何処にしまったか解らず漸く探し出した”Wynton Kelly trio”の”Smokin’ at the Half Note”をかけてこの原稿を打っているので、その約束を果たそうと思う。Kellyとして往年の輝きと勢いが失われかけていた1965年のアルバムだが、ここでの彼のソロは私の贔屓の彼のソロとしては上位に入ると思い愛聴している次第だ。
1950年代初め頃から中学の2年上だった鳥山親雄さん(後に寺部頼幸とココナッツアイランダースのボーカル兼ギター担当だった)の影響で、ハワイアンからジャズに入っていった私には矢張り50年代のジャズが好みではあるが、94年1月のリタイヤー後にはその領域を離れて、HMVで親しくなっていた店員に勧められるままに現代のクラシカルから手をジャズに伸ばしてきたヨーロッパのピアニストたちのCDも喜んで聴いている。
だが、数あるあの往年のピアニストたちの中でもWynton KellyはBill EvansやOscar Petersonたちと変わらぬ頻度で聞いていたというか、幅の広いピアノジャズ好きであると自認していた。50年代のジャズが好みだとは言ったが、あの頃にJohn Coltraneが出てきた際にはその余りの前衛振りに呆れ果てて「もうついていけない。ジャズは聴かない」とジャズ仲間にも宣言して、転身したアメリカの会社の仕事に専念することにした。
これ以上語り始めればキリがないので、今回はここまでに止めるが、今では2006年1月の心筋梗塞で入院した際に見舞いにと戴いたモーツアルトの10枚組CDのセットに影響されて、中学入学以前に聴いていたクラシカルを専ら原稿書きのBGMにかけている「二刀流」に変節している。いや、もしかすると本卦還りの変形かも知れない。