新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

世代間の乖離ではないか

2015-07-22 07:55:35 | コラム
あの年齢層が経営の任に当たるようになった時:

私は20年ほど前から、と言うかW社リタイヤー後からも、製造業、商社、ジャーナリズムの企業に一定以上の頻度で出入りするようになっていた。と言うか、リタイヤー以前と余り変わらないような関係を維持していたと言うべきかも知れない。更に現職時代からの私の主義として英語に言う”top level contact”ではなく、管理職手前の現場で第一戦で実務を担当する年齢層と意識的に交流するようにしてきた。

このコインの裏側は「アメリカの企業社会のように副社長兼事業本部長と雖もその担当する膨大な範囲の他に現実に担当する得意先を持ち、日常的実務から離れないようにする」のと違って、「我が国の年功序列的システムの下では、課長から部長と昇進していくに従って日常的実務から遠離っていく傾向がある」と、両方を経験した上で指摘しているのだ。

その当時に20歳台後半から30歳台前半の言わば若手が異口同音に近く主張していたことがあった。それは「我々の上の年齢層、即ち40~50歳台が何れは経営を担当することになるだろう。だが、それは我が社の将来が暗くなることに他ならない。彼らには一刻も早くお引き取り願いたいのだ。彼らは現在の先輩が築いた繁栄の恩恵に浴しているから将来に不安がないだろうが、我々は彼らが駄目にするだろう時代を引き継ぐかも知れない不安があるのだ」だった。

言うなれば(敢えてカタカナ語を使うが)「ジェネレーションギャップ」と世に言う世代間の乖離であり分離で、年長者を年長だからというだけで敬いたくても敬う気にならないと言っているのかと聞こえた。

中には「彼らはPCすら思うように扱いかねている時代に遅れた世代だ。その連中がディジタル世代の我々にその点では依存しながら、我々を指揮・指導する矛盾に気付いていない]とまで言い切った若手もいた。このようなことを紙流通業界の長老格の知人数人に語ったところ、言わば「今時の若者が何を言うか」的な反応が返ってきた。ある意味で正しく、広い意味で時代の変化に対する認識の欠如が見えると感じた。余談だが、そう指摘したら激怒されてしまった。

そこで、現在連日のようにマスコミ報道を賑わせている東芝の粉飾決算(何で不正経理処理となるのだろう?スポンサーへの遠慮か)と国立競技場新設問題がある。私はこの二つの案件の中心にいる方々が20年ほど前に当時の若手が指摘していた年齢層に属しているのではないかと思って眺めている。10年ほど前に、私と同年の某大手メーカーの社長を務めた方が当時の景気の落ち込みを「経営者の劣化」だと評されたと聞いた。

私は経営者劣化説はある程度以上賛成したい気がする。しかし、この非常に変化が早く、またその変化の幅というか深度(震度でも良いか)がこれまでになかったような激しさの時代にあって、スマートフォンやタブレットの如きものがあれほど広い年齢層に普及している時代に、アナログ時代に育ってきた方々が君臨するのは難しくなる一方だと思っている。

「勿論全てのアナログ世代の方々を否定する気など毛頭ないが、不況期に育ってきたディジタル世代がゆとり教育なる代物の下で成長してきたことを考える時、指導者に適した年齢層は如何にあるべきかなどという古くて新しそうな問題点を見出した気がするのだ」と、折り畳み式の携帯電話を片手に思いに耽っている私は昭和一桁生まれである。