新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

7月20日 その2 私の偏見かな

2015-07-20 17:38:34 | コラム
ラグビーに思う:

私は個人的に我が国のラグビーの在り方に疑問を感じております。しかし、不思議なことに我が国のマスコミはラグビーを「男のスポーツ」だの何のと言って崇め奉る嫌いがあります。そしてラグビー出身者は割合に大企業で偉くなる例が多いのです。例えば東京商工会議所会頭の三村明夫氏は新日鉄出身ですが、東大でラグビーをやっておられたと聞いた気がします。森喜朗元総理は早稲田のラグビー部に在籍されたことを有効活用されています。

ラグビーは世界的には漸く弱小国から抜けたばかりですが、それも世界の取り決めで外国人でもその国に3年いてプレーの実績があればその国の代表選手になれるというサッカー界にはない取り決めがあります。ですから、今の全日本は帰化した者を含めて日本人が漸く過半数に達しています。私は純粋に日本人だけで代表ティームを構成したらどうなるかに関心があります。

森元総理は早稲田で正選手だったのではないのですが、ラグビー界を代表される存在であり、政界でもスポーツの権威者の如き存在であり、ラグビーW杯の招致にも活躍されたのです。

それに既に論じたように如何なる競技でも選手であったことはかえって視野狭窄になる嫌いがあり協会等の要職に就かれた際に、組織人としては問題が多い場合が屡々見受けられました。そういう例は多くの協会で芳しくない結果を生んだことからも指摘出来ると思います。名選手必ずしも名運営者たり得ずということでは。

サッカーは川淵三郎という実務の実力者を得て、今日の商業的隆盛を築き上げましたが、ラグビーは森元総理を頂点に戴いて政治的には成功していると見えます。FIFAは加盟国が208で、我が国はランキングの50位。ラグビーはIRB加盟が100国で、我が国は13位ですから、何となくラグビーの方が上位にあるかとすら思えます。だが、純粋の日本人が少ないのは如何かなと言いたいのです。こういう見方をすればサッカー経験者が嫉妬していると言われそうですが。

ラグビー協会の焦りは近年人気が低下して、大試合でも観客が集まらないのだそうです。だから19年のW杯招致になったとか聞きました。すると、森元総理は彼らにとっては誠に優れた実力者で、その恩恵に浴しているのではありませんか。

サッカー界は政治力が一寸足りず、折角獲ったW杯開催権に韓国に割り込まれて共催にされました。ラグビーは元総理以下が政治力に長けていたのか、W杯開催には何処からも割り込まれていないようです。だが、最後になって森元総理が安倍総理に説得され国立競技場開催を諦めさせられました。この決着は痛み分けというか引き分けのようなことでしょうか。

有識者の意見ばかり聞かない方が

2015-07-20 11:26:00 | コラム
新設される国立競技場に望むこと:

「私は全体の動きを見たいから余りテレビで野球を見ない」と聞いて納得した。

上記は当アパートに住まわれる高校と実業団で指導されてきた野球界の古老・原田知雄氏が言われた至極尤もな野球のテレビ中継に対する一種の批判であると思う。これはサッカーでもラグビーでも同じだと思っている。私は原田氏の意見をそのまま新国立競技場のデザインにも当て嵌めて貰いたいと願っている。いや、そこを十分に考慮せよと言いたいのだ。

私は既に語ってきたように日米両国で野球、フットボール、バスケットボールを観戦してきた。既に取り壊された国立霞ヶ丘陸上競技場ではアメリカから返還された後で開催された1958年のアジア大会も見に行っていた。この競技場は「陸上」と入っているように中央のフィールドを取り囲む形で陸上競技のトラックが付いている。私はこれが陸上競技以外の観客にとっては非常に見にくくしている要因だと敢えて指摘しておきたい。

体育会などでスポーツを経験してこられなかった方々はスタジアムに入られると前方でフィールドに近い席が良いと思われる傾向がある。これは無理からに事で、経験者でない為に陥られる錯覚である。何故そう言うかを具体例を挙げて解説しておこう。私は何時だったか来日したアメリカのカレッジフットボールの試合を旧国立競技場で観戦したことがあった。戴いた席はスタンドの最前列の中央で如何にも良い席かと思わせられた。

だが、長い試合中に見たものはベンチにいた(といっても普通は起立しているのだが)アメリカの巨大なフットボール選手たちの背中だったのだ。換言すれば、何処で何か起こっているかはほとんど見えなかったということ。しかも、我が国の多くのスタジアムは一階席がなだらかに設計されている傾向があるので、その低い席からは上記の原田氏の言を当て嵌めると「全体の動きが見えず、遙か遠くで誰かが走り回っている有様」しか見えないことになるのだ。

私は百歩譲ってあの設計は観客が移動する際に転場ぬようにとか階段から転落しないように配慮されているという我が国独特の優しさの発露だと思う。だが、全体の動きを見たい人、特にフットボールのような競技の愛好者にとっては、誠に要らざる配慮以外の何ものでもないのだ。しかも、あの設計では大きな面積のスタンドが必要となるのではないか。

またアメリカの話しに行こう。私は既に取り壊されたシアトルの野球もフットボールも出来たキングドーム、ワシントン大学のフットボール用のハスキースタジアム、イチロー君でお馴染みの筈のセーフコ・フィールド、サンフランシスコのキャンドルスティックパーク、パサディナのローズボウルスタジアム等で観戦した経験がある。その特徴は何れもスタンドの勾配が急で、上の方に上がるほど全体の動きが良く見える設計になっている点だと思う。要するに見やすいのだ。

特に7万人収容のハスキースタジアムやキャンドルスティックパークの3階まで上がればフットボールが真下に見えるので選手たちの動きが良く解るし、言うなれば気分爽快なのだ。確かにあの急勾配は一寸怖い気もするが、試合観戦中にはそんなことよりもゲームに熱中して忘れていたものだった。長い導入部になったかも知れないが、私が言いたいことは全体の動きが何処の席にいても良く見えるスタンドを設計して欲しいということだ。

余談にはなるが、特にフットボール場では最上部に「スポッター席」と言って、最も高い位置から全体の動きを攻守両方のコーチが双眼鏡等を使って細かく見ていて、攻守のプレーヤーの配置や、次ぎに採るべき作戦等に加えて、自軍の何処に問題があるか等をベンチにいる監督や選手たちに伝える重要な役目を果たしているので、高いスタンドは言わば必須の設備でもあるのだ。実は私はキャンドルスティックパークではこの席に特別に入れて貰った経験があった。

本論に戻ろう。私は競技場の外観や屋根の形状や予算や収容人員も大きな要素だろうが、観客にとってはそれらがどうあろうと「見やすいか否か」とは無関係なのである。国立競技場新設問題が華々しく議論されてきたが、私はついぞこの「観客の為」を思った主張を聞いた記憶がない。それは有識者という美名に隠れてステークホルダーが多いという問題点を先程二宮清純が指摘していたが、有識者は観戦の有経験者ではなかったようだ。

私の希望は虚飾を排して観客の為を十分に考えた設計をした建築家の案を採用して、可及的速やかに新競技場の建設を終えて貰いたいものだということだ。国の内外の観客も選手も競技場の外観を見に来る訳ではあるまい。要するに見栄よりも実質を重んじよという意味だ。