“forced to work”を考えれば:
私は世界遺産交渉の対韓国の拙劣な折衝と結果では外務省だけが批判されるべきではないと思うが。
週刊文春の7月16日号の巻頭の『韓国“裏切り”の「世界遺産」全内幕』では、『かの国に「信義」という言葉を期待することほど愚かなことはない』と結んである。産経の週刊誌ウオッチングで花田紀凱も「この結論に尽きる」と指摘していた。私は彼がここまで言うのだったら、この一件で政府と外務省を手厳しく批判する紙幅を与えておいて欲しかった。
私は7月6日に穏やかに
>引用開始
”a large number of Koreans and others who were brought against their will and forced to work under harsh conditions in the 1940s at some of the sites, and that during the World War Ⅱ.”として、岸田外相は”forced to work”は「強制労働を意味しない」と強調しておられましたが、
>引用終わる
と言っただけで、岸田外相の取って付けたような「強制労働を意味しない」には無理があると思っていた。さらに、これを記者会見だったかで語った際の岸田外相の”work”の発音に「アレッ」と思った。それは、もしかするとかなりの期間アメリカ人の中にいて覚えた発音に聞こえたのだから。あれは”native speaker”の中にいないと出来ない”r”を綺麗に響かせた発音だった。
そうであるのだったならば、その経験を活かしてあれほど韓国勢に翻弄され世界に恥をさらすかも知れない妥協をする前に、担当の官僚に「韓国相手により強硬に論争と対立を怖れずに主張すべきことを主張せよ」との指令を発するほど対外交渉術をお心得かと思ったのだった。
そこで岸田文雄を検索すると、Wikipediaには「父親の勤務の関係でニューヨークに小学校の頃まで滞在していた」とあった。「ナルホド、帰国子女だった」と言えるので、あの発音だったのかと納得した。しかし、その効用もそこまでだったのが残念だった。
即ち、発音の割りには”forced to work”についての弁明が詭弁であり、国内の「科学として英語」しかしらない者たちは誤魔化せても韓国には付け込まれる隙を残したのではないかと危惧していた。より突っ込んで言えば、その前に”who were brought against their will”があるので、韓国側はゴシック体にした”were”が”forced to work”に繋がっていると言い出すだろうと懸念したからだ。元々”force”という動詞は受け身で使われることが多いのだから。
英語の講釈を続けよう。Oxfordには”force”は動詞としては”[often passive] to make 誰々 do that they do not want to do”が先ず出てくる。と言うことは、ここには既に「やりたくないことをやらされた」という解釈が普通に成り立ってしまうのだ。私もこの単語はこういう意味でこういう場合に使うものだと理解して使ってきた。それだけに大臣も外務官僚も危ない橋を渡ろうとしているのではないかと感じていた。
私は何も外務大臣や外務官僚がペラペラと英語乃至は他の外国語を駆使して国際的な国の威信を賭けた交渉の場に臨んで欲しいとまでは言わない。だが、こういう”force”の使い方と前後の関係にももう少し注意されても良かったのではないかと言いたいのだ。しかし、その辺りに韓国が付け入る隙ありと読んでいたのではないかとすら疑っている。
結論を言えば、安倍内閣も、外務大臣も担当官庁である外務省も連帯責任を負うべきような「言葉の使い方」だった。些細なようでいて、韓国に又もや将来において付け込まれかねないような余地を残したのではないかと心秘かに真剣に危惧しているのだ。勿論「信義」に悖るような行為を平気でしてくる韓国には問題があるのは確かだ。だが、担当者はそのくらい経験上も承知していたのではないか。
私はこの際、外務省には今後はこれまで以上に厳しい姿勢で諸外国との交渉に臨んで貰うことを切望する。そして「形振り構わず」に「論争と対立を怖れず」に韓国や中国を震え上がらせるような強い外務省になってくれることを切望する。また、安倍総理以下の閣僚にも、外国というか国際交渉慣れして、TPPでも我が国の立場を守り切るような強さで、迷えるオバマ大統領を抑えきって頂きたいものだ。
その前に我が国内だけの「科学としての英語」だけではなく、一層の”English”の勉強も怠らないで欲しいが。
私は世界遺産交渉の対韓国の拙劣な折衝と結果では外務省だけが批判されるべきではないと思うが。
週刊文春の7月16日号の巻頭の『韓国“裏切り”の「世界遺産」全内幕』では、『かの国に「信義」という言葉を期待することほど愚かなことはない』と結んである。産経の週刊誌ウオッチングで花田紀凱も「この結論に尽きる」と指摘していた。私は彼がここまで言うのだったら、この一件で政府と外務省を手厳しく批判する紙幅を与えておいて欲しかった。
私は7月6日に穏やかに
>引用開始
”a large number of Koreans and others who were brought against their will and forced to work under harsh conditions in the 1940s at some of the sites, and that during the World War Ⅱ.”として、岸田外相は”forced to work”は「強制労働を意味しない」と強調しておられましたが、
>引用終わる
と言っただけで、岸田外相の取って付けたような「強制労働を意味しない」には無理があると思っていた。さらに、これを記者会見だったかで語った際の岸田外相の”work”の発音に「アレッ」と思った。それは、もしかするとかなりの期間アメリカ人の中にいて覚えた発音に聞こえたのだから。あれは”native speaker”の中にいないと出来ない”r”を綺麗に響かせた発音だった。
そうであるのだったならば、その経験を活かしてあれほど韓国勢に翻弄され世界に恥をさらすかも知れない妥協をする前に、担当の官僚に「韓国相手により強硬に論争と対立を怖れずに主張すべきことを主張せよ」との指令を発するほど対外交渉術をお心得かと思ったのだった。
そこで岸田文雄を検索すると、Wikipediaには「父親の勤務の関係でニューヨークに小学校の頃まで滞在していた」とあった。「ナルホド、帰国子女だった」と言えるので、あの発音だったのかと納得した。しかし、その効用もそこまでだったのが残念だった。
即ち、発音の割りには”forced to work”についての弁明が詭弁であり、国内の「科学として英語」しかしらない者たちは誤魔化せても韓国には付け込まれる隙を残したのではないかと危惧していた。より突っ込んで言えば、その前に”who were brought against their will”があるので、韓国側はゴシック体にした”were”が”forced to work”に繋がっていると言い出すだろうと懸念したからだ。元々”force”という動詞は受け身で使われることが多いのだから。
英語の講釈を続けよう。Oxfordには”force”は動詞としては”[often passive] to make 誰々 do that they do not want to do”が先ず出てくる。と言うことは、ここには既に「やりたくないことをやらされた」という解釈が普通に成り立ってしまうのだ。私もこの単語はこういう意味でこういう場合に使うものだと理解して使ってきた。それだけに大臣も外務官僚も危ない橋を渡ろうとしているのではないかと感じていた。
私は何も外務大臣や外務官僚がペラペラと英語乃至は他の外国語を駆使して国際的な国の威信を賭けた交渉の場に臨んで欲しいとまでは言わない。だが、こういう”force”の使い方と前後の関係にももう少し注意されても良かったのではないかと言いたいのだ。しかし、その辺りに韓国が付け入る隙ありと読んでいたのではないかとすら疑っている。
結論を言えば、安倍内閣も、外務大臣も担当官庁である外務省も連帯責任を負うべきような「言葉の使い方」だった。些細なようでいて、韓国に又もや将来において付け込まれかねないような余地を残したのではないかと心秘かに真剣に危惧しているのだ。勿論「信義」に悖るような行為を平気でしてくる韓国には問題があるのは確かだ。だが、担当者はそのくらい経験上も承知していたのではないか。
私はこの際、外務省には今後はこれまで以上に厳しい姿勢で諸外国との交渉に臨んで貰うことを切望する。そして「形振り構わず」に「論争と対立を怖れず」に韓国や中国を震え上がらせるような強い外務省になってくれることを切望する。また、安倍総理以下の閣僚にも、外国というか国際交渉慣れして、TPPでも我が国の立場を守り切るような強さで、迷えるオバマ大統領を抑えきって頂きたいものだ。
その前に我が国内だけの「科学としての英語」だけではなく、一層の”English”の勉強も怠らないで欲しいが。