新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

7月7日 その2 論争と対立を怖れないで

2015-07-07 08:00:04 | コラム
果たせるかな韓国は「日本は強制労働を認めた」と言いだしている:

私は長年にわたって英語で話す時は「頭の中を空にしてギアを日本語から英語だけ切り替え、また戻す時にはその反対の動作を」と主張してきた。そして、英語の時には自らの身を守らねばと思えば、多少の論争を怖れずに自己主張をしたものだった。しかし、その当時(と言うかW社に在籍中)でもリタイヤー後21年を経た現在でも、日本語で話す場合には不思議なほど頭の中は日本語的思考となり「これは多少きつい表現であり言い出せば摩擦を生じるかも知れないので、ここは保留にしておこう。言わなくても相手は察してくれるだろう」となってしまったのだ。

今回の世界遺産登録の件では、韓国の例によって例の如き「日本国貶め作戦」に散々苦労させられていた。特に強制労働だの労働者の徴用だのの件では、私が国内で知る限りでは我が国の政府は飽くまでも「それは1940年代のことであり、産業革命はそれ以前のこと。関係づけるのは不当だ」と主張していた。正当な言い分であると思う。

しかし、登録が承認された後でも、結果的には韓国側は不当にも「日本に強制労働を認めさせた」とその成果を国内に喧伝していると報じられている。如何にも彼等らしい手法である。これは何としても是正しておくべき案件だ。彼等の手法をフェアーに叩いておく方が良くはないのかと思わずにはいられない。

彼等が国内で何を言おうと韓国の勝手だが、恐らく彼等はこれから先に全世界に向けて我が国が如何に歴史認識に欠け韓国人を不当に扱ったかを吹聴して回るだろう、我が国が国際的に貶める為に。彼等はその為には今後とも手段を選ばないだろうことは三歳の幼児でも解ることではないか。

ここで我が国の政府と外務省が躊躇ってはならぬことがある。それは「韓国の主張は史実をねじ曲げたものであり、歴史的認識が根本的に誤っている」と彼等との多少以上の論争などを怖れることなく、機会があれば等という悠長な姿勢ではなく、こちらから積極的に広報宣伝活動、就中外国語による情報の発信を推し進めることが肝要ではないのか。それが国を守る重要で正当な手段である。諸外国は「聞いていないことはなかったこと」と見なす頭脳構造しか持ち合わせがないのだから。

私はこの種の情報発信だけではなく、諸外国とこの目的で接して失うものなどないと信じている。しかし、問題は政府と外務省がこの案件と対韓国関係を如何に考えているかではないのか。彼等に先手必勝攻撃をこれ以上許してはならないのだ。論争と対立を怖れたフェアープレーの精神でこれまでのように後手に回ってはならないのだ。

7月7日 その1 W杯決勝戦の本音の批評

2015-07-07 06:39:10 | コラム
敗者を鞭打つようなことを言いたくなかったので:

昨日の観戦記には書かなかった本音で言います。ご一読を。

先ずは佐々木監督の澤の起用法の誤算。昨日のアメリカの眦を決しての攻め方を予測していなかったのかと。どうしても澤を使って勝ちに行くとまで考えていなかったので、途中から形勢次第出だせば何とかなると思っていたのであれば、間違いだったことから。澤があそこまで走れていたし、抑えるべきところは抑えていたのであれば、頭から出して置いた方が全体の志気を高める意味でも良かったでしょう。余裕を見せるべき試合ではなかったのです。

残念だったのが、アメリカの戦法に引きずられて身長が高い相手なのに、ついつい縦一発の高いパスを多用していたこと。それを相手のゴールに背を向けた形で競り合ったのだから、ほとんどヘディングに負けてしまった。しかもその言わばこぼれ球の大半が相手に拾われてしまったのだから、具合が悪かった。だが、あの場合はあれしか出来ないように追い込んだ身長差を活かしたアメリカ一枚上だったと思うしかないと諦めていました。

次は私が個人的に評価していない有吉の使い過ぎ。解説者も温情的すぎて褒めすぎ。偶々得点したことは褒めても良いのですが、未だ粗雑な攻め上がりとパスやキックの不正確さは明らかでした。一度で良いからトーナメントに入ってからは近賀にして貰いたかったのです、故障がないのであれば。

菅沢を出したのも納得出来ません。ここでも解説者は温情が過ぎて批判しませんが、彼女はほとんど役に立っていない、国内リーグという二部のスター選手だっただけでした。使われた方も辛かっただろうし、大敵相手では役に立っていませんでした。世代交替未だしの典型的な例か。

岩淵も同様で、アナウンサーと解説者が褒めるほどの威力はドリブルにはなかったのです。あの大柄で足が長いアメリカ人が相手では効果を発揮出来ませんでした。体格の差はこれは以前から私が指摘し続けた外国人が相手の際の最大の難関。結局は岩淵は突破出来ずに終わりました、善戦健闘だったが。

宇津木の問題点は既に挙げました。勝負とはあのようなもので、決して澤や宮間の前には「頂き」というこぼれ球は出てこないものです。これも所詮は実力のうちかと思うのです。

以上は彼女らを批判しているのではなく、彼女らが幾ら一所懸命に努めても、どうにもならない障壁があったということを説明しただけです。この辛い経験を経て次ぎの機会には進歩出来るものだと考えております。サッカーでは「ある日突然練習中でも試合中でも突然にパット目の前が明るくなって、一種の悟りが開ける」ものです。その境地に入っているのは澤と宮間だけで、阪口がそこに近いと見えます。

話は変わりますが、テレビの街頭インタビューには私に理解出来ないおかしな現象がありました。それは誰が言い出したことか知りませんが「元気を貰った」だの「勇気を貰った」と言う人が多いこと。私のように技術面や戦略を見て楽しんでいる者には懸命に試合をしている彼女らは偉いし素晴らしいとは感じさせてくれても、元気だの勇気だのの対象ではないのです。テレビの影響を受ける者が多いのは情けない現象と嘆いております。

サッカー開眼は何時訪れるかは解りません。それは熱心に練習を続ける賜物かも知れず、試合に負けて泣いて初めて見えてくるものかも知れません。何れにせよ、個人差があります。今後とも残る連中が何時そこまで到達出来るかが楽しみでしょうか。