新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

6月28日 その2 電子計算機の進歩と時代の変化

2017-06-28 17:10:25 | コラム
AIの進歩発展と普及に思う:

かの将棋界の新星というのか新たな英雄、藤井颯太四段はその進歩の過程で、AI(人工知能=artificial intelligence)を活用していると、お師匠さんが語っておられた。マスコミはコンピュータの将棋ソフトというのかAIの棋士?が、次から次へと対戦した生身の棋士を破って行くのを嬉々として報じている。何処かで読んだことは「大型コンピュータの処理能力では極めて短い時間に700万回もの将棋を指せるので、人に勝てるのに不思議はない」とあった。

私は1960年代にはお世話になっていた日本の会社で「情報用紙」(=ビジネス・フォーム用紙)を担当していた時期がながあったので、電子計算機について何らの具体的な知識もないままにその業界との接触があった。それは電子計算機の「アウトプット」用の用紙なのだが、紙に対する要求が非常に厳しく、後に知るようになったのだが、そういう紙を使う機械類は「紙という木材繊維で出来ている物の物理的な品質の限界などには全く何の配慮もしていなかった」のだった。イヤ、紙がこちらの要求を理解して即刻対応すべきだと頭から決めつけているといった方が正確だったかも知れない。

その当時でも、我が友・YM氏は電算機に通暁していて「如何にして大量の情報を機械に入れるかが肝腎で、入れた情報が少なければ吐き出される結果も限定されると知るべきである」と言って、如何にして短時間に大量の情報を入力して演算させるかが重要なのであると説いていた。こちらの理解力は「そんなものかな」と受け止める程度で、何とか早くクレームにならない紙が出来ればと願っていた。

話変わって、1987年にW社の他の事業部の日本市場進出のお手伝いをしていた頃に、その事業部のマネージャーと打ち合わせをしようと営業所を訪れたことがあった。その時に彼はパソコンに向かってゴルフのゲームをやる余裕を見せなから、私を出迎えてくれた。この頃には確か電子計算機はコンピュータというカタカナ語の名称に変わっていたが、アメリカでは”personal”なものまで出来していたとは不覚にも知らなかった。

そのまま私は仕事用にpersonal computerなどを使うことなく1994年1月末で引退となったのだが、秘書さんは既にPCを使っていたし、1987年に就職した愚息などは入社前にワープロは使いこなせるように準備することを求められていたと記憶する。そして、私が退職後間もなくW社ジャパンでは全マネージャーがPCを持つ(持たされる?)ようになったと聞いた。時代の変化であろう。

私は引退後にも物書きの真似事は続けていたが、何れは年金生活に入っていく身では分不相応な投資をしてPCを使って原稿を書こうとは全く思っていなかった。それが、私の運命は偶然に支配される要素があるので、2003年の70歳の秋から、偶然の積み重ねで導入せざるを得なくなって今日に至っている。

その便利さは十分に認識してはいるが、ワープロを使っていた頃にその道に詳しい某メーカーの部長さんに「貴方はワープロが持つ機能の10%も使っていない」と揶揄されたが、甘んじて受けた。現在でも「PCの機能の中では1%ほども活用していない」と、胸を張らずに言える自信はある。

27日には我が国最大の店舗数を持つに至ったと報じられた回転寿司のHを何回目かで訪れてみた。前回の時には未だ完全に受付業務がAI化(は大袈裟かな)されていなかったが、昨日はロボットに何名かとテーブル席かカウンターを望むかを入力して、吐き出される座席の感熱紙の番号札を持って#63に向かった。ここではタッチパネルで注文し、食べ終わってから会計を要求する方法にも慣れた。成田でのタッチパネルでのチェックインで戸惑いは十分に経験済みだったから。国立国際医療研究センター病院でも外来の受付から会計までのAI化は著しく進んでしまっている。

このようにAIによる合理化(人減らし)が今後とも何処まで進んでいくかは超後期高齢者の私には想像も付かない。だが、経済性の追及や合理化はその道の専門家によって、恐らく限界まで行くことになるだろうことは容易に想像できる。だが、その限界が何処で如何なる形になるかを老化して時代遅れになった頭脳で考えても解る訳がない。そこには空恐ろしいものがある。

私は自動車の自動運転のシステムの進歩(よく考えればおかしな言い方で、そもそもautomobileではないか)などは危険極まりないのではないかと、密かに恐れている。それは、これほど嘗ての電子計算機が進歩してAIになっても常に何処かで不具合が発生しているし、ハッカーなどという不逞の輩が続出する時代にもなってしまった。将棋用のAIが人間に勝っている程度で収めておけば良いのではないかと思うが、その道の研究者は追及を止めるとは思えない。世の中は常に進歩と発展を求めている限り。


目下減量に努力中

2017-06-28 08:20:09 | コラム
主治医に注意されて:

5月16日の国際医療研究センター病院での定期検診で主治医に体重が58 kgに迫りつつあると申告した際に、57 kg以下を維持するよう警告された。体調が良くなれば、栄養分を吸収する力が付いてきたと勝手に考えて、余り考慮していなかったようだ。そこで、それ以降懸命に減量に努めているところだ。思い起こせば、2006年1月16日に1度目の心筋梗塞に襲われた時に救命処置後に病院で測った体重は何と62 kgで、我ながら「それほどあったのか」と驚いたものだった。

ご存じの方は多いと思うが、体格に比して多過ぎる体重は心臓に病を抱える者にとっては、過剰な負担がかかるのであってはならないことである。そこで(僅か?)19日後に退院を許されたので、そこから本当に一生懸命の減量に入っていった。カタカナ語排斥論者としては「ダイエット」などとは言わないよ。

その方法はOxfordでdietを見ると”a low-fat, salt-free diet”というのが出てくるが、将にそれだったのだが、私の場合にはそれに”low carbohydrate”、即ち、炭水化物を減らすことを加えたのだった。これは簡単に言えば、米飯と麺類を可能な限り遠ざけること。塩分は看護師さんからも指導されて1日6~8 gとなったが、この量を実際に量って見てその少なさに驚愕した。尤も、病院内での食事にはほとんど味がなかったので、その少なさの見当は付いていた。また、間食は絶対に近いほど止めることにしていた。

この食事療法は家内にも苦労と迷惑をかけることになったが、極端に言えばほとんど塩味がなく脂っ気がない食事をすることで、何を選んでどのように調理するかは容易ではなかったと思う。また、食べる方は「それが生き残る為に残された数少ない手段である」と思えば、それほど苦とは思えなかったので、対策の結果が出るまでじっと我慢して続けようと思っていた。

結果は6ヶ月で8 kg減量の54 kgとなって、そこから先は徐々に、本当に徐々に脂肪分、塩分、炭水化物を増やしていって見た。私はそもそもが戦時中の育ちなので、戦後の物がない時代では「ある物を食べる」という食生活を経てきたので、何でも食べるのには慣れていた。当時をご存じでない向きには「お米」などは貴重品だったので、米飯には執着がなかったのは助けになった。

また、1972年以降はアメリカでの食事と、アメリカ人と日本国内を行脚する生活に入ったので、益々米飯から遠ざかって行った。そこでは、戦時中と戦後の食生活に慣れていたお陰で、お米を食べないか食べる機会がない生活に何らの抵抗感もなかった。ここでお断りしておくべきことは「ライスですかパンですか」の選択を迫られるのは我が国だけの現象で、アメリカではパンそのものが選択制だと認識している。

換言すれば、あの不味くて直ぐ胸焼けがするアメリカのパンなどは、何日でも食べないでいられるのだ。「ライス」などは勿論選択肢にはないし、我が国のような米飯などは日本食レストランにでも行かない限り出てくる訳がないのだ。なお、確認しておけば、私は日本駐在員であってアメリカには出張で行っていただけで、留学も駐在も経験していなかった、念の為。

ところで、今回の減量作戦である。今回は脂肪分抜きや減塩はさて措いて、炭水化物を極限までに減らすと共に、米飯は言うなれば週に一度程度に止め麺類も極力遠ざけて、食事の量も楽しみの外食も週に1回とするなど大きく減らしてみたが、1ヶ月以上たった今でも特に体力と気力に支障はないと思う。なお、私はアルコールは体質に合わないのでもう20年以上もビール1杯すら飲んでいないし、喫煙は生まれてから経験していない。

もう一言追加しておくと、在職中には後に心筋梗塞の原因となったのではと当時の主治医に指摘されたアメリカでの食事による体重の増加を防ぐ為に「良く噛む減量法」とでも言えば良いことを1ヶ月ほど続けて1 kgほど減らせたことがあった。これは「良く噛むことで時間がかかり、体が自然に満腹感を覚えて沢山食べられなくなる」のだそうだ。しかし、減量できた後にアメリカ出張があって、減らした以上に増えて帰って来たことがあった。

今回はこの「良く噛む方式」も加えてみている。昨日までの成果では、5月17日の瞬間風速?58.20 kgから6月27日の時点で56.50 kgと1.7 kgの減量となっていた。2006年8月には54 kgまで下がっていたことを考えると、未だ未だ努力を続ける必要があるのかも知れない。だが、「減量し過ぎで寿命に影響するのでは何にもならない」との懸念もあるにはある。