新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

6月8日 その2 7日の夜は忙しかった

2017-06-08 10:50:15 | コラム
サッカーにPrime Newsにプロ野球にと:

何れに神経を集中すべきかには一応迷ったが、時間的に先ずサッカーから入り、読売が12連敗するか否かはPrime NewsのCMの間に見ることと決めて、取り敢えず19;25からの日本代表対シリアのサッカーを見始めた。そして、20時過ぎからはPrime Newsを中心にした。

サッカー:
シリアが良く現在の国際情勢下でサッカーなどやっているものだと感心した。そういう相手ではW杯の試合の準備というか足慣らし程度かと思って見始めた。それがどうして、なかなかの難敵で兎に角寄せが早くて競り合いにも強く、何処かバラバラな印象があった我が代表は手こずるなどと偉そうなことを言える余裕もなかった。

前半開始早々に香川が妙な転び方をして退場したのが何処まで悪影響したのか不明だが、不甲斐ない試合ぶりだった。そこにマスコミが鳴り物を入れて(?)期待を担って登場した久保に冴えがなかったのも残念だったが、デイフェンス陣が相変わらぬ横パス交換に熱中し、攻めるべき連中が躊躇なくバックパス出しに専念するのを見て早めに諦めが付いて、専らPrime Newsに集中することが出来た。

サッカーでは結局無残な引き分けに終わったが、ハリルホジッチ監督はそれを最初から意図していたのかどうか、新旧含めてあれだけ多くの選手交代をしてはコンビネーションも何もないのではないかと思わせるほど不統一な試合運びだった。あれでは次なるアウエーで戦う場所がテロがあったばかりのイランとあって益々不安だが、これまでの例では練習試合が駄目でも本戦では良くなったので、そこに期待しよう。

野球:
さて、読売である。あの高橋由伸の暗い顔を見れば、「これでは今夜も駄目だろう」と思わせてくれた。偶々メヒアと中村剛也のホームランの場面だけ見たので、3:0になったところで、安心して?観戦を打ち切ることが出来た。あの危ない場面で全く実績がない吉川を、いくらローテーションだったのかも知れないが、使う神経にも驚いたが、偶にカメラが映し出すベンチの中の重苦しい雰囲気では当分立ち直れないかに見えるが、勝負は水物だから今夜にも勝てるかも知れない。

Prime News:
肝腎のPrime Newsだが、確かに木村太郎、古森義久、デーブ・スペクターと論客を揃えたのは面白かったし、色々と勉強させて貰えた。私が間違っているかも知れないが、木村太郎は豊富な経験と取材源を持っているようだが、何となく老人の頑固さというか依怙地なところが見えて譲らず、古森と言い合っていたようなのが興味深かった。

古森義久も「流石だ」と唸らせてくれるような裏表の情報を紹介してくれたが、私には明らかにトランプ大統領理解派と言うべきか推奨派の論を述べていたと思えた。それを裏付けるだけの取材と情報を持っているとは解るが、何度もデーブ・スペクターを揶揄したり、たしなめたりして見せて、自己の主張を譲らない頑ななところもある人だと初めて解ったような気もした。

デーブ・スペクターは昨日紹介した私の元の同僚と主張するところが同じで、トランプ大統領批判派の意見を総合しているかに思えた。しかし、あの番組を通じても痛感したことは、アメリカの分化傾向はあらゆる分野で顕著だなということ。その二極分化の内容をここに今更述べるまでもないだろうが、その状況をトランプ大統領が意図して導き出したのか、あのTwitter多用の政治の副産物なのか、この状況を如何に収めるかも気になるのだった。

結論でもないが、「こんなアメリカに誰がした」と思いながら聞いていた。だからこそ、アメリカファーストで「アメリカさえ良ければ」とトランプ大統領が、オバマ大統領が劣化させた国を立て直そうと立ち上がったのかも知れない。

日米間の物の考え方の違い

2017-06-08 10:01:28 | コラム
“Make America Great Again”の裏側に何があるか:

私はこのトランプ候補が選挙キャンペーン中に掲げた「アメリカを再び偉大に」を聞いて、直ちに「これでは現在のアメリカは偉大ではないと言っていることになる」と指摘した。これこそが、物の考え方の違いである。このスローガンを政治的に考えれば、オバマ大統領がやって来たことを全て否定してかかるトランプ候補としては「オバマ政権がアメリカを劣化させたと強烈に批判したのだ」となる。

実際にどれほど偉大ではなくなってしまったかどうかは別にして、私はオバマ大統領はその弱さと優柔不断さの為にアメリカの地位を低下させたのは間違いないと思っている。だからこそ、トランプ候補がこの点を突いて出たのだと解釈した。だが、誰がやっても上手く行くまいと言われたリーマンショック後のアメリカ経済を、トランプ政権が発足した時には回復できるように立て直していたのは皮肉だった。

私はこれまでに何度も指摘してきたことに「アメリカ人の思考体系は二進法で、そうであるかないか、白か黒か、イェスかノーかの二択で進んでいくものである」である。以前には「これは一神教に発する考え方であり、八百万の神が存在されるが故に柔軟な思考体系を採る我が国では簡単に理解されない相違点だ」とも述べてきた。

即ち、「そうであるかないか」乃至は「コインの裏表」式な考え方をするからこそ、「アメリカを再び偉大に」と言っていることは「今は偉大ではない」と言っているのと同じなのである。この思考体系に馴染めないと、二進法で考えて単純明快に進めていくアメリカ人と付き合うのは、難しいことになってしまうことすらある。そこで、あらためてこの日米間の思考体系の相違点を実例を挙げて解説してみよう。

私はこれまでに何度か「アメリカ人の会社に転進して何年間かは文化と思考体系の違いの谷間に彷徨い苦しめられた」と言ってきた。「苦しめられた」と言うよりも「何でそうなるのか」と悩まされたという方が正確かも知れない。これなどは実際にその環境に入ってみないことには実感できないことだ。英語が解るか否かなどという簡単なことではない。

*批判されて:
1970年代の末期のことだった。我が社の製品の品質は未だ未だ厳しい日本市場の要求を満たすところに至っておらず、当時の技術サービスマネージャーは客先の工場を巡回する度に何度も何度も「御社の製品のここが悪く他社の製品と比較して劣る」と、「またか」とウンザリするほど批判され続けた。

そこで、彼は奮起して工場に「絶対にこの点を改善せよ」と厳命を下し、何とか格好が付いた製品を出荷した。そして工場を訪れた「きっと、褒めて貰える」と期待して。ところが、またもやお叱りを被った「何で我が社に黙って改善したのか。当方は御社の問題点に対応する条件を整えて使ってきたので、事前の通告がない改良では条件が合わずに不良品が出た」と。

技術サービスマネージャーは驚愕した。あれほどしつこく「悪い」と避難する裏には「改善せよ」ということと解釈したのだったから。彼は会談が終わってから嘆いた。「何故、我が社の製品に合わせる加工条件を設定してあった」と告知してくれなかったのかと。典型的な思考体系の違いを双方が認識できていなかったのだ。

*ご説明して:
次は狂牛病の頃の故・亀井善之農水相(余談だが、湘南高校の4期下の人)が犯した無意識の過ち。彼は繰り返し「もっとアメリカ産の高品質の牛肉を輸入せよ」と迫るアメリカ側と交渉をして「全頭検査をしないと買わない」と言ってきた。だが、納得しないアメリカ側は「売り込み代表団」を派遣して直談判となった。

会談終了後に、亀井氏は「誠心誠意、何故全頭検査が必要かを使節団の方々にご説明しご理解を賜りました。もうこれ以上の売り込みはないでしょう」と、どれほど対応に苦労されたかを語った。だが、そうとはならなかった。アメリカは旬日を出でずして「もっと買え」を連呼し始めた。亀井氏は慌てた。

だが、これは極めて簡単な理屈で、亀井氏は「全頭検査」の必要性を懸命に説き聞かせたので、アメリカの代表団はそれくらいは理解した。だが、亀井氏の致命的失敗は「全頭検査しなければ買わない」という肝心の点を言わず、全頭検査が要求されていうると言えば、それが出来ないアメリカ側が諦めると勝手に思い込んでいたのだった。

こういう具体的な拒否を表明しない交渉の仕方でも日本人の間では有無相通ずるが、アメリカ人は「聞かなかったことは否定しなかったこと」と解釈するから、亀井農水相は「買はない」とは言わなかったと解釈したので、直ぐに再交渉を迫ってきたのだった。

これら以外にも、私自身が彼らの中にあって「何でそうなったのか」が解らずに困ったことが何度もあった。例を一つあげておこう。

*率直に言って:
アメリカの上司は何度か私に同僚というか本社と工場側の担当者たちを、私がどのように評価するかを尋ねてくるのだった。未だ思考体系の違いを認識できていなかった頃の私は愚かにも「Aはこういう至らない点があり、お客に評価されていない」など率直に告げていたのだった。ここまででお解りの方がおられれば有り難いが、この表現では「彼は駄目ですから外された方が」と言ったのと同じ効果で出るのだ。

すると、間もなくそのAは配置転換されてしまった。私は「何でかな?」と不思議に思っていた。次はBについてのご下問があった。間もなくBも外された。ここに至って東京事務所の代表者から「君は口を慎め。君がズバリと言った為にAとBは変えられたのだ」と言われた。本当に驚いた。それでは何と言えば良いのかを学ばねばならないと、彼にもアメリカ人にも教えを乞うた。

学んでことは「彼は非常に良くやっています。(=He is doing a pretty good job.)」から入って「だが、この点を改善してくれればもっともっと良くなるでしょう」のように言えば良いのだ。アメリカ人は何か苦言を呈する時には、先ず必ずと言って良いほどこのような話法で攻めて来るものだ。私は「Yes but ~方式」と勝手に呼んでいたが、先ず褒められた時は後が怖いのだった。だから「来たな」と身構えると良いのだ。

こういう経験をして、相互に「違い」を理解していくことができるようになるものなので、その思い違いを経験して見なければ、何時まで経っても相互理解には至らないと思う。繰り返して言うが、彼らは二者択一というか二進法でしか物事を判断するか考えることをしないというか、できないのである。二つの異なる意見を2で割って間を取るとか、妥協点を探るということは意識の中にはないのだ。