大躍進の日本卓球界に思う:
世界選手権における男女の日本の若い選手たちの活躍とその成績は素晴らしいと褒め称えて上げたい。エリートアカデミーが選手育成に立派な実績を見せているのも偉いと思う。卓球と言えば中国と、直ちに思い浮かぶほど、かの国は卓球が強いのだ。思うに、我が国ではそういう絶好の標的があればこそ、全員が奮励努力して中国に迫る存在になったのだと推察している。
そこで、全く方面が違うビジネスの世界での経験談と言うべきか思い出話となるのか、を語って見たいのだ。それは結論から言ってしまえば、「日本市場において我が事業部が最大のシェアーホールダーになるまでの、品質面での苦しみや数々の難局を乗り切る為の斬新な販売政策を打ち出す為の苦労の方が、ナンバーワンの座を守る辛さと苦しさよりも、遙かに楽しかった」というものだ。
換言すれば、「目標を定め、その為に追い付くべきと言うか倒すべき我が方よりも遙か先を行く最大の競争相手を十分にスカウティング、即ち、製造と販売面における長所・短所、特徴と欠陥の割り出し、経営戦略の分析、人員配置、取引先との結びつきの強弱、その品質が何故得意先で評価されるか等々」を日夜追い求めて来たのだった。
1975年3月に私が転入した頃の日本市場における占有率などは10%にも満たない、文字通りの弱小サプライヤーだったのだ。その後発メーカーが日進月歩どころか月進年歩にも至らず、得意先からは批判され社内でも「もたつくな」と罵声を浴びる不出来な事業部だった。85年頃までは、大袈裟に言えば連日連夜のように品質問題が発生し、技術サービスマネーと共に東奔西走、お詫び行脚の旅を続けていたものだった。
その駄目サプライヤーが1980年代の末期には遂に最大のシェアーホールダーの地位を占めるに至ったのだが、その間に成し遂げてきた品質改良や労働組合対策等々はこれまでに何度か触れてきたのでここでは省略するが、我が生涯の最良の上司である副社長兼事業本部長の卓越した指導力があったのは間違いないし、その日本駐在の部下?も良くやったのだろう。
最大且つ最強の競争相手(competitorであってrivalではないと思う)を「追い付き、追い越せ」の努力をしている間は「攻める」だけで、誰かに追われる危険性はなかった。唯々、追い付き、追い抜くことだけに専念していられた。ところが、さて一番になってみると「それに相応しい振る舞いも必要になる」し、「その地位を守る為には一時も気を抜くことは許されず、常に品質の維持と改良に努めて、他の追随を許さない部全体を挙げての努力が必要だった」のだ。
それだけではない、市場のリーダーともなれば、自社の製品が世界的な品質の基準となってくるので、全世界に目を配って、常に新製品を創造するか、世界の至る所で起きてくる新規の需要に即応できるような万全の態勢を整えておかねばならなかった。それだけではない「こういう態勢を整えた上で、従来にも増した利益を上げること」が至上命令となったのだ。なってみて初めて知り得た#1サプライヤーの苦しみだった。
話を卓球界に戻そう。彼ら若き精鋭は未だ世界のナンバーワンになった訳ではないが、徐々に迫っていくだろう。となれば、追われる中国は「日本研究と対策」にこれまで以上の精力を注いで来るだろう。欧州やアジアの諸国も、我が国の選手たちを標的にするだろう。即ち、「追い付き追い越せ」から狙い撃ちされるか、追い付こうとする連中にも対応せねばならなくなるのではないかと見ているのだ。
私は我が国の指導者たちは未知の世界に入った若手たちを「中国に追い付き追い越せ」の指導方針だけでは対応が難しい時代に入ったと心得て、一層の努力をした上での対応と指導を迫られるだろう。これは言うほど簡単なことではないと思う。幸いなことに、女子の選手たちは皆20歳以下で伸びしろが残っているだろう。これから経験を積ませれば「追われる身」にも対処できるかと期待するものだ。
世界選手権における男女の日本の若い選手たちの活躍とその成績は素晴らしいと褒め称えて上げたい。エリートアカデミーが選手育成に立派な実績を見せているのも偉いと思う。卓球と言えば中国と、直ちに思い浮かぶほど、かの国は卓球が強いのだ。思うに、我が国ではそういう絶好の標的があればこそ、全員が奮励努力して中国に迫る存在になったのだと推察している。
そこで、全く方面が違うビジネスの世界での経験談と言うべきか思い出話となるのか、を語って見たいのだ。それは結論から言ってしまえば、「日本市場において我が事業部が最大のシェアーホールダーになるまでの、品質面での苦しみや数々の難局を乗り切る為の斬新な販売政策を打ち出す為の苦労の方が、ナンバーワンの座を守る辛さと苦しさよりも、遙かに楽しかった」というものだ。
換言すれば、「目標を定め、その為に追い付くべきと言うか倒すべき我が方よりも遙か先を行く最大の競争相手を十分にスカウティング、即ち、製造と販売面における長所・短所、特徴と欠陥の割り出し、経営戦略の分析、人員配置、取引先との結びつきの強弱、その品質が何故得意先で評価されるか等々」を日夜追い求めて来たのだった。
1975年3月に私が転入した頃の日本市場における占有率などは10%にも満たない、文字通りの弱小サプライヤーだったのだ。その後発メーカーが日進月歩どころか月進年歩にも至らず、得意先からは批判され社内でも「もたつくな」と罵声を浴びる不出来な事業部だった。85年頃までは、大袈裟に言えば連日連夜のように品質問題が発生し、技術サービスマネーと共に東奔西走、お詫び行脚の旅を続けていたものだった。
その駄目サプライヤーが1980年代の末期には遂に最大のシェアーホールダーの地位を占めるに至ったのだが、その間に成し遂げてきた品質改良や労働組合対策等々はこれまでに何度か触れてきたのでここでは省略するが、我が生涯の最良の上司である副社長兼事業本部長の卓越した指導力があったのは間違いないし、その日本駐在の部下?も良くやったのだろう。
最大且つ最強の競争相手(competitorであってrivalではないと思う)を「追い付き、追い越せ」の努力をしている間は「攻める」だけで、誰かに追われる危険性はなかった。唯々、追い付き、追い抜くことだけに専念していられた。ところが、さて一番になってみると「それに相応しい振る舞いも必要になる」し、「その地位を守る為には一時も気を抜くことは許されず、常に品質の維持と改良に努めて、他の追随を許さない部全体を挙げての努力が必要だった」のだ。
それだけではない、市場のリーダーともなれば、自社の製品が世界的な品質の基準となってくるので、全世界に目を配って、常に新製品を創造するか、世界の至る所で起きてくる新規の需要に即応できるような万全の態勢を整えておかねばならなかった。それだけではない「こういう態勢を整えた上で、従来にも増した利益を上げること」が至上命令となったのだ。なってみて初めて知り得た#1サプライヤーの苦しみだった。
話を卓球界に戻そう。彼ら若き精鋭は未だ世界のナンバーワンになった訳ではないが、徐々に迫っていくだろう。となれば、追われる中国は「日本研究と対策」にこれまで以上の精力を注いで来るだろう。欧州やアジアの諸国も、我が国の選手たちを標的にするだろう。即ち、「追い付き追い越せ」から狙い撃ちされるか、追い付こうとする連中にも対応せねばならなくなるのではないかと見ているのだ。
私は我が国の指導者たちは未知の世界に入った若手たちを「中国に追い付き追い越せ」の指導方針だけでは対応が難しい時代に入ったと心得て、一層の努力をした上での対応と指導を迫られるだろう。これは言うほど簡単なことではないと思う。幸いなことに、女子の選手たちは皆20歳以下で伸びしろが残っているだろう。これから経験を積ませれば「追われる身」にも対処できるかと期待するものだ。