新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

6月22日 その2 小池都政批判派は言うが

2017-06-22 13:58:18 | コラム
何の具体性もないじゃないか:

22日の朝はジムのロッカー・ルームで論客の一人に「小池さんのあの発表には具体性がないじゃないか。豊洲への移転が来年の5月とやらだが、その間の経費を我々都民の税金で負担するというのか」と、不満足だとの議論を持ちかけられた。すると、何人かがその意見に同調して、時ならぬ盛り上がりとなってしまった。

私はこれは無理ではないことだとは思うが、こういう意見というか小池都知事批判の声がいくら上がっても、恰もトランプ大統領の支持率が一定以下から下がっていかないのと同様に、小池都知事支持派は揺るがないと思っている。それは先日紹介した有本香さんの著書のように、小池都政批判派は今更あの本を買わずとも解っているし、支持派は買う訳はないのだから。

22日の産経に自民党の平将明が「築地再開発は愚かなプラン」との論陣を張っていた。だが、小池都知事の支持層が産経を読むことすら疑問だし、仮令読んだところで歯牙にもかけないだろうと思う。私は小池都知事のこれまでの選挙対策はそれほど巧妙であったし、都政と都議会の暗部に光を当てて透明化するというスローガンは受けていると思っている。

それにつけても、東京都の自民党はこれまでの戦略が適切であったとは思えないし、内田茂都議会議員を「ドン」と呼ばれて為す術もなかった辺りは、石原伸晃も下村博文も後手後手を踏み続けたと思っている。告示は既に明23日に迫ったにも拘わらず、現状では小池都知事の作戦勝ちに終わるのではないのか。

そうなった場合に「都民ファーストの会」の議員たちが、問題を起こしてばかりいる自民党の2回生議員のようにならねば良いのだがと密かに危惧しているのだ。週刊新潮が取り上げ、今朝ほどから各局が音声を流している某女性議員の怒鳴り方には、余りの知性の無さに辟易している。

全くの余談だが、安倍総理夫妻のところに「寄付して頂いた100万円を“その前”(何の前か?)に返しに行く」と称して上京してきた籠池氏は、あれは何の真似だったのだろう。「あの札束の中央部は色が違う」と記者たちは指摘していたが。安倍総理もあれやこれやとご苦労が多いようだ。

蹴球からサッカーへ

2017-06-22 08:22:12 | コラム
筑波大学がJ1の仙台に勝った:

21日夜のNHK・BSで中継されたこの試合を前半まで見て、Prime Newsに転向した。筑波大が勝つとまでは読み切れなかったが、久し振りに見るドリブルで相手を抜いていくサッカーをするのを見て、釜本邦茂が言った「近頃のサッカーでは相手を抜いてキープしてはならないと教えているか」を思い出した。筑波大が先に取った1点はまさしくそれで、キープして何人かを抜き去って見事なシュートを決めたものだった。素晴らしいと思った。

私のように1945年に中学に入って蹴球を始めた者は、今ではそんなことを言って誰も知らないだろう「WMフォーメーション」で、11人全員が定められたポジションでその担当する範囲内で動き、各人が誰は何処にいるかを常に念頭に置いて、その辺りを狙ってパスを回すし、クリヤリングも常に外々を意識して蹴っていた。各人はその与えられたポジションに相応しい技術を身につけるべく懸命に練習していたものだった。

そのような蹴球がサッカーに変わっていったのに伴って、WMではきちんと守られていた右なり左なりに固定された行動範囲から逸脱していく「近代的」(?)な形に変わっていった。私の記憶が正しければ、私が大学を卒業した後の1955年から後のことで、本来は右側だけを行動範囲としたはずの8番や7番の背番号を付けた者がグラウンド狭しとばかりに全体を走り回るように変わっていった。その代表的な存在が早稲田大学の八重樫と杉本だったと思っている。

ここでお復習いをしておくと、WMフォーメーション(5―3―2―1)では全員がポジションを表す背番号を付けていて、GKが1番で、右のFB(フルバック)が2番で左が2番、右のSH(サイドハーフ)が4番となり、右のウイングが7番で左のウイングが11番で完結する。現在のサッカーでエースナンバーの如くに言われている10番は、ただ単にLI(左のインナー)を示すだけだった。何故そうなったのだろう。何方か教えて下さい。

現代のサッカーを見ていて痛感することは、各人の持ち場がWM時代のように固定されていない為に、ボールを持った者は、持つ前に全体がどのようになっているかを確認しておくか、先ず何処に誰かがいるかを見つける必要があるようで、昔のように「この位置で持った場合にはこの辺りを目がけて蹴れば何番がいるはずだ」という決まった形がないようなのだ。

より細かく言えば、私が高校3年の時に勤めていた8番のRIは俗称「広い屋」で、下がって守って取った球を外に開いて待っているはずの7番を狙ってパスを出して、そのカバーに直ぐに寄ってやるか、10番のLIにパスを出すかくらいの選択肢しかなかった。現在のように後方にいるはずの2番か、1番のGKにバックワード・パスを蹴るなどは全く脳裏にはなかった。また、往年ではキープして何人も抜いていく技術は高く評価されていた。

別な表現をすれば、現在のサッカーでは「誰でも良いから近所にいるか、寄ってきてくれた味方に渡すか、前方で誰かが走っていれば「これ幸い」とばかりにそこに向かって縦のパスを蹴るとか、考え方次第だが、我々のWM時代よりも高度な個人技が求められるし(のかも知れない)、選択肢が増えたサッカーになっていると思える。兎に角、背後に迫るデイフェンダーをフェイントをかけて抜き去ってみせることなど希だ。

だが、私が常に皮肉るように「パス回しの為のパス」か「責任逃れのパス」は増えていると思うし、我が国のサッカーでは特に顕著な後陣での横→横→後ろの無意味と思えるパス回しが多過ぎるし、釜本が嘆く「自分の力で抜いていく」ことは滅多に見られないのだ。だから、私は「指導者がそういう育て方をしているのではないか」と疑っているのだ。

そこで、昨夜の筑波大である。FWの位置にいる約2名は常にキープして上がっていったし、迫り来るデイフェンスをスピードと技術で抜き去って見せた。結果的には筑波大が後半に逆転して勝ったそうだが、思うに仙台は珍しくもパス回しの為のパスをせずにキープして攻め上がってくる旧式のようなサッカーに対して守るのに不慣れで、情けないことにプロが大学生に負ける結果になったかと考えている。

筑波大の中には何人かがJリーグに行くそうだが、その場に行っても昨夜のようなサッカーをやらせて貰えるのだろうか。プロでは許すのだろうか。一寸興味がある。