新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

6月27日 その2 益々悪質化したテレビ局と新聞社

2017-06-27 13:49:20 | コラム
26日夜にMXの「ニュース女子」で:

近頃、まっとうな論客として目立ってきたアメリカ人の弁護士、ケント・ギルバートは下記のように指摘していたと「頂門の一針」の第4396号にあったので、あらためて引用してみる。

引用開始
<最近、日本メディアの情報操作は悪質さを増している。沖縄の反米軍基地運動家の暴力性や、左派団体が「国連」の権威を利用して日本を貶めてきたカラクリは、前衆院議員の杉田水脈(みお)氏や、キャスターの我那覇(がなは)真子氏、テキサス親父日本事務局の藤木俊一氏らのおかげで白日の下にさらされた。だが、積極的に報じるのは夕刊フジと産経新聞くらいだ。>
>引用終わる

その通りだと思う。その悪質さは特に加計文書騒動では際立ってきたと思う。以前にも指摘したが、彼らは占領中にGHQに洗脳されたと聞く「時の政権を悪し様に言って批判すること」を恰も天職の如くに心得ているのではないかと疑っている。その辺りを「MXだからこそ言えるのだ」と、正統派(と言うか保守派とするのか)の論客が集まるMXの番組で、嘉悦大学教授の高橋洋一氏がそれこそ完膚なきまでに元文科省事務次官の前川某氏をこき下ろしていた。俗な表現を使えば「胸がスーッとする思い」で聞いていた。

記憶を辿って採録してみれば(記憶違いがあれば御免だが)、高橋教授は「第一次安倍内閣では官邸内にいたので、加計学園グループから獣医学部新設の願いは出ていたのは承知していた。だが、安倍総理は見向きもしなかった。この申請はそれ以前から何度となく出ていたものであるから、もしも総理が友人関係とやらを尊重されたのであれば、何も今日に至る前に認可されていたはずだ。故に、総理が今回が私情を挟んで規制を排除されたなどとはあり得ないのだ。それこそマスコミと野党の『操作』である。

だが、それでは話が面白くないのでマスコミは野党と組んで、たかが文科省内部のレクチャーの資料でしかない文書を、如何にも重大な文書であるが如くに騒ぎ立てて、総理と内閣の非難と批判の材料に仕立ててしまった。これは岩盤規制を如何にしては除するかという問題を、彼らが矮小化したのに過ぎないのだ。

また、文科省が頑迷に何十年もの間規制を解かず、獣医学部新設の願いを聞き入れずにいたという事実は、彼ら自身が行政を歪めていたのであり前川前時間の詭弁だ。総理や内閣府の問題ではない。何処かで誰かが前事務次官を『官僚のKUZU』とか表現したが、将にその通りであろう」と主張し、同席していた須田慎一郎と岸博幸他が賛同の意を表していた。森永卓郎は記憶が正しければ前川支持派だった。

司会者はかのリベラル派・東京新聞の長谷川某だが、あの新聞社の論説とも思えない論調で裁いているのも、この番組の特徴である。番組中で誰かが言っていたように「産経を除く新聞を読んでテレビを見ていれば、“安倍内閣は怪しからん”となるだろうとの論調も面白かった。確かにキー局のテレビだけを見ていれば、そのように誘導されてしまう罪なき視聴者が多いだろうと思って聞いていた。


イヤな日本語

2017-06-27 08:15:46 | コラム
テレビ局の軽佻浮薄さの象徴だ:

テレビを見ていると(見過ぎると)否応なしにおかしな表現を聞かされてしまう。私のような昭和一桁生まれには到底受け入れがたいイヤな言葉が乱発・濫用されている。私には戦後間もなく若者が衒って使っていたバンドマンの言葉に似たような感覚で捉えている。真似をして使うと格好が良いような響きがあった。それらは今でも芸人たちが使っている言葉をひっくり返しにしているものや、音符を数字のように使った「ツエー万ゲー千」の類いである。

屡々聞こえてくる例を挙げてみれば「野菜がゴロッと入ったカレー」は所謂「食レポ」などで使われるが、私には下卑ているとしか聞こえない。「~さんが完食」というのは珍しくも漢字が使われているが「全部食べました」ではいけないのかと思ってしまう。「マジっすか」、「ガチで」等は芸人が多用している。日本中の誰でもが解ると思って使っているのか、それとも下品でイヤだと思う当方が老化しただけか。

スポーツ関連で気に入らないのが、身長が高いか跳躍力に優れている選手の動きを形容して「高さがあります」との表現だ。「身長が高いことを活かして」とか「素晴らしい跳躍力を見せた」と具体的に伝えるのがアナウンサーか説明者(解説者とも言うが)の使命ではないのか。ヴァレーボールやサッカーで何人かの選手が並んで防御の態勢を取ることを何人と言わずに「~枚」とアナウンサーが言うのも気に入らない。人間を紙のように言うな。あれはその業界の専門語で、それを彼らがしたり顔で真似る必要などないと思うが。

政治の面では以前にも取り上げて批判したが、英語の”bilateral”(=2国間の)という意味の言葉を政治家どもが「バイで」などと短縮して言うのは未だ仕方がないとしても、メデイアまでが図に乗って「バイ」と言うことはないと思う。二国間交渉であれば正しくそう言えば良いことだ。これなどは政界の俗語か隠語で”slang”であるから、公共の電波を使って言って欲しくない。「知ったかぶりするな」と言いたくなる。事の序でに言っておくが、「一方だけ」か「単独の」は”unilateral”と言う。

こういう種類の俗語か隠語に属する言葉は他にも沢山使われていると思うが、今回は思いついただけを取り上げて論じた。テレビ局も芸人も政治家もこういう種類の言葉を広める努力をして貰う必要は余りないと思う。