新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

中曽根元首相が亡くなった

2019-12-01 10:39:35 | コラム
中曽根元首相に感謝しご冥福をお祈りする:

中曽根元首相が101歳で老衰の為に亡くなったという報道を聞いて、直ちに思い浮かんだことは「恩人が亡くなった」というのが偽らざる所だった。如何なるご恩があるかを説明すると長くなるが、簡単に言えば「今ここ東京都新宿区百人町の西戸山タワーホームズに住んでいられるのは、中曽根元首相の民活第1号だったから」である。これでも未だ回りくどいが、このアパートの土地は元はと言えば戸山練兵場でアメリカ軍に接収されていたものが返還されて国有地となり、時の中曽根総理が民活政策の一環で都内の人口を増やすべくアパートの建設を指示されたと聞いている。

ここは西戸山タワーガーデンと言われており、その名が示すように敷地内に多くの木が植えられており、恰も公園のような外観である。そこには3棟の25階建てのアパートが建ち、総戸数は576という規模である。交通の面はJR山手線の新大久保駅まで徒歩約6分、高田馬場駅まで約9分という便利さである。記憶では半官・半民の事業で、概ね80㎡のアパートが当時としては格安の5,000~6,000万円台で売り出されたので、申し込みが殺到してその倍率は500にも達したところもあったという。その抽選が当たった私は幸運だったという以外ないだろう。

ここ西戸山タワーホームズの何物にも代えがたい有り難い点は、大きな病院が近いという立地条件である。現在の高齢に達し72歳の終わり頃から心筋梗塞をはじめ病気ばかりしてきた私には現在お世話になっている国立国際医療研究センターは徒歩でも30分もかからず、新大久保駅前からバスでも10分程度で到着できるのだ。新宿区の有り難い点は我が家から徒歩5分もかからない東京山手メデイカルセンター等七つもの大きな病院があり、開業の医院と大病院の連携が緊密に取れていることだ。自分の身の安全を考える時に、これほど安心して暮らせるところが他にあるだろうか。

私が21年年も暮らしていた藤沢市の湘南台からここに移転してきたのは、1988年4月だった。何故都内への移住を考えたかと言えば、W社ジャパンの事務所があった青山一丁目は如何なる乗り継ぎを試みても、朝の出勤には最も都合が良く行っても90分以上を要したし、疲れて帰る復路には座って行こうと思えば最短でも2時間はかかってしまうのだった。即ち、通勤だけで毎日3時間以上を費やすのは無理があるのではないかとまで言われていた。

しかも本社から出張してくる副社長とは連日のように朝8時からは帝国ホテルでブレックファストミーテイングがあり、夜も得意先との会食等があれば帰宅は深夜になってしまう。場合によってはタクシーを利用せざる事もあって、体力が保たなくなってきたのだった。それ以外にも年間6回はアメリカへの出張があったので、成田から藤沢まで帰ってくるのもかなりの負担だった。実際に、引っ越しが終わった翌日に本部への出張が予定されていた。それ以外にも、抽選が当たってから一度もどんな場所か視察に行く時間の余裕すら取れていなかったほど仕事が忙しくなっていた。

そのような窮状を救って頂けたのが、中曽根総理の民活事業だったという訳だった。まさか、あれほど高かった倍率では当たるまいと思って、他にも良い物件が亡いかと物色していたので、当選したとの電報を受け取った時は本当に信じられない思いだった。ここから青山一丁目までは山手線新大久保駅から地下鉄銀座線を乗り継いでも30分とはかからないので、通勤による負担を大きく軽減できたのだった。本当に有り難かった。中曽根総理に心から感謝したという次第だった。