通訳という仕事の考察:
畏メル友YO氏から政府が同時通訳技術の開発を目指していると教えて頂いたので、在職中には20年以上も続けてきた通訳という仕事を下記のように振り返ってみた。
長い間「通訳ともする当事者」だった私には興味ある話題です。そこで、敢えて通訳という仕事について忌憚のないところを述べてみます。
藤原正彦氏が指摘された店頭の業務用には即座に役に立つ器機であり、利用価値は十分にあるだろうと思います。だが、ビジネスや政治や外交の面での通訳となると、経験上からも未だ問題というか疑問があります。私は20年以上の間「通訳も出来る当事者」と称して業務上の難しい折衝と同時に、微妙な表現を必要とする通訳をしてきました。これは“job description”にある項目がどうかは定かではありませんが、私が担当すべきであると認識していました。
その間に最も長期間共に仕事をしたのが、副社長兼事業部長と技術サービスマネージャーでした。その期間は優に10年を超えていました。得意先との会談の前には通常は十分に事前に打ち合わせをしてから、彼らが何を言うかは承知していましたので、意思の疎通を欠くことはありませんでしたし、臨機応変に対応できました。彼らの性格も言葉遣いの癖も承知でしたし、感情の起伏も読めました。カタカナ語は使いたくないのですが、彼らの発言の微妙なニュアンスは読み取っていました。
私は以前にも「通訳という仕事は一種の自己陶酔であり、自信がないと出来ないことであり、自分でなければ出来ないだろうと思い込んでいなければ」と唱えていました。しかも、頭の中を空にして発言者が述べる内容に抵抗を感じたり異論などないようにしておかないと、公平に正確に別の言語に変換できなくなる危険性すらあります。即ち、自分を機械のような存在にする必要があるという意味です。しかも、発言を瞬時に理解してそのまま主観を交えることなく変換する仕事です。
在職中は「実は楽な仕事なのだ。と言うのは、考えるのは自分ではなく、誰か他の人がやることだから。自分はそこにはいない空気のような存在となって、その場に溶け込んでいくことが肝要だ」などと言っていました。だが、そういう考えない存在の仕事が10日も続くと「俺にも考えさせてくれ」といったようなストレスに苦しめられました。お客がいない移動中などにはそれが爆発して、要らざる論争をして発散したことすらありました。
また、「初対面の方や一見さんの通訳は出来れば避けたい」とも言っていました。それは上述のように長い付き合いがあってお互いに良く知り合っている人の通訳はそれほど難しくはないのですが、知らない人の発言は時にはその意図や真意が読みにくいからです。万一誤って変換したりすればとんでもないことになりかねないのですから。ではあっても、職務上どうしてもやらねばならなければやりました。その意味では(無償の)プロだったとも言えるかも知れません。
上記のような点から考えると、AIにそこまでの内面的な心理の読み取りが出来るのかという疑問にぶつかります。だが、ある程度以上の正確さで言葉というか表現を変換することは可能でしょう。問題は機械に依存するか、私のようなやり方の人を使うかという選択ではないでしょうか。私は一切の通訳をする訓練などを経ずして、職責上「通訳もする当事者」として時には機械のように仕事をしてきました。
但し、私は専門分野を外れた場合には全く何の役にも立たないという辛い経験もイヤと言うほどして来ました。その点から見れば、同時通訳というかプロというか通訳専門の方々は如何なる専門語と森羅万象に通じておられるのではなく、事前に発言者と十分に打ち合わせをした上で臨んでおられる場合があります。何れにせよ、専業の方たちの技術は素晴らしいと思いますが、それなりの報酬を取っておられますから、正直に言えば出来て当然かという気がしないでもないのです。
畏メル友YO氏から政府が同時通訳技術の開発を目指していると教えて頂いたので、在職中には20年以上も続けてきた通訳という仕事を下記のように振り返ってみた。
長い間「通訳ともする当事者」だった私には興味ある話題です。そこで、敢えて通訳という仕事について忌憚のないところを述べてみます。
藤原正彦氏が指摘された店頭の業務用には即座に役に立つ器機であり、利用価値は十分にあるだろうと思います。だが、ビジネスや政治や外交の面での通訳となると、経験上からも未だ問題というか疑問があります。私は20年以上の間「通訳も出来る当事者」と称して業務上の難しい折衝と同時に、微妙な表現を必要とする通訳をしてきました。これは“job description”にある項目がどうかは定かではありませんが、私が担当すべきであると認識していました。
その間に最も長期間共に仕事をしたのが、副社長兼事業部長と技術サービスマネージャーでした。その期間は優に10年を超えていました。得意先との会談の前には通常は十分に事前に打ち合わせをしてから、彼らが何を言うかは承知していましたので、意思の疎通を欠くことはありませんでしたし、臨機応変に対応できました。彼らの性格も言葉遣いの癖も承知でしたし、感情の起伏も読めました。カタカナ語は使いたくないのですが、彼らの発言の微妙なニュアンスは読み取っていました。
私は以前にも「通訳という仕事は一種の自己陶酔であり、自信がないと出来ないことであり、自分でなければ出来ないだろうと思い込んでいなければ」と唱えていました。しかも、頭の中を空にして発言者が述べる内容に抵抗を感じたり異論などないようにしておかないと、公平に正確に別の言語に変換できなくなる危険性すらあります。即ち、自分を機械のような存在にする必要があるという意味です。しかも、発言を瞬時に理解してそのまま主観を交えることなく変換する仕事です。
在職中は「実は楽な仕事なのだ。と言うのは、考えるのは自分ではなく、誰か他の人がやることだから。自分はそこにはいない空気のような存在となって、その場に溶け込んでいくことが肝要だ」などと言っていました。だが、そういう考えない存在の仕事が10日も続くと「俺にも考えさせてくれ」といったようなストレスに苦しめられました。お客がいない移動中などにはそれが爆発して、要らざる論争をして発散したことすらありました。
また、「初対面の方や一見さんの通訳は出来れば避けたい」とも言っていました。それは上述のように長い付き合いがあってお互いに良く知り合っている人の通訳はそれほど難しくはないのですが、知らない人の発言は時にはその意図や真意が読みにくいからです。万一誤って変換したりすればとんでもないことになりかねないのですから。ではあっても、職務上どうしてもやらねばならなければやりました。その意味では(無償の)プロだったとも言えるかも知れません。
上記のような点から考えると、AIにそこまでの内面的な心理の読み取りが出来るのかという疑問にぶつかります。だが、ある程度以上の正確さで言葉というか表現を変換することは可能でしょう。問題は機械に依存するか、私のようなやり方の人を使うかという選択ではないでしょうか。私は一切の通訳をする訓練などを経ずして、職責上「通訳もする当事者」として時には機械のように仕事をしてきました。
但し、私は専門分野を外れた場合には全く何の役にも立たないという辛い経験もイヤと言うほどして来ました。その点から見れば、同時通訳というかプロというか通訳専門の方々は如何なる専門語と森羅万象に通じておられるのではなく、事前に発言者と十分に打ち合わせをした上で臨んでおられる場合があります。何れにせよ、専業の方たちの技術は素晴らしいと思いますが、それなりの報酬を取っておられますから、正直に言えば出来て当然かという気がしないでもないのです。