新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

12月19日 その2 政府が「同時通訳技術の開発」へ

2019-12-19 14:04:02 | コラム
通訳という仕事の考察:

畏メル友YO氏から政府が同時通訳技術の開発を目指していると教えて頂いたので、在職中には20年以上も続けてきた通訳という仕事を下記のように振り返ってみた。

長い間「通訳ともする当事者」だった私には興味ある話題です。そこで、敢えて通訳という仕事について忌憚のないところを述べてみます。

藤原正彦氏が指摘された店頭の業務用には即座に役に立つ器機であり、利用価値は十分にあるだろうと思います。だが、ビジネスや政治や外交の面での通訳となると、経験上からも未だ問題というか疑問があります。私は20年以上の間「通訳も出来る当事者」と称して業務上の難しい折衝と同時に、微妙な表現を必要とする通訳をしてきました。これは“job description”にある項目がどうかは定かではありませんが、私が担当すべきであると認識していました。

その間に最も長期間共に仕事をしたのが、副社長兼事業部長と技術サービスマネージャーでした。その期間は優に10年を超えていました。得意先との会談の前には通常は十分に事前に打ち合わせをしてから、彼らが何を言うかは承知していましたので、意思の疎通を欠くことはありませんでしたし、臨機応変に対応できました。彼らの性格も言葉遣いの癖も承知でしたし、感情の起伏も読めました。カタカナ語は使いたくないのですが、彼らの発言の微妙なニュアンスは読み取っていました。

私は以前にも「通訳という仕事は一種の自己陶酔であり、自信がないと出来ないことであり、自分でなければ出来ないだろうと思い込んでいなければ」と唱えていました。しかも、頭の中を空にして発言者が述べる内容に抵抗を感じたり異論などないようにしておかないと、公平に正確に別の言語に変換できなくなる危険性すらあります。即ち、自分を機械のような存在にする必要があるという意味です。しかも、発言を瞬時に理解してそのまま主観を交えることなく変換する仕事です。

在職中は「実は楽な仕事なのだ。と言うのは、考えるのは自分ではなく、誰か他の人がやることだから。自分はそこにはいない空気のような存在となって、その場に溶け込んでいくことが肝要だ」などと言っていました。だが、そういう考えない存在の仕事が10日も続くと「俺にも考えさせてくれ」といったようなストレスに苦しめられました。お客がいない移動中などにはそれが爆発して、要らざる論争をして発散したことすらありました。

また、「初対面の方や一見さんの通訳は出来れば避けたい」とも言っていました。それは上述のように長い付き合いがあってお互いに良く知り合っている人の通訳はそれほど難しくはないのですが、知らない人の発言は時にはその意図や真意が読みにくいからです。万一誤って変換したりすればとんでもないことになりかねないのですから。ではあっても、職務上どうしてもやらねばならなければやりました。その意味では(無償の)プロだったとも言えるかも知れません。

上記のような点から考えると、AIにそこまでの内面的な心理の読み取りが出来るのかという疑問にぶつかります。だが、ある程度以上の正確さで言葉というか表現を変換することは可能でしょう。問題は機械に依存するか、私のようなやり方の人を使うかという選択ではないでしょうか。私は一切の通訳をする訓練などを経ずして、職責上「通訳もする当事者」として時には機械のように仕事をしてきました。

但し、私は専門分野を外れた場合には全く何の役にも立たないという辛い経験もイヤと言うほどして来ました。その点から見れば、同時通訳というかプロというか通訳専門の方々は如何なる専門語と森羅万象に通じておられるのではなく、事前に発言者と十分に打ち合わせをした上で臨んでおられる場合があります。何れにせよ、専業の方たちの技術は素晴らしいと思いますが、それなりの報酬を取っておられますから、正直に言えば出来て当然かという気がしないでもないのです。


東アジアサッカー選手権観戦記

2019-12-19 09:54:47 | コラム
男女とも韓国と優勝を争った:

昨18日まで2日連続で対韓国のサッカーの試合を見てしまった。言うまでもないことで、韓国代表は如何なる種目でも我が国が相手となると異様なまでの闘志(彼らにとっては屡々「乱暴なプレーをすること」と同じだ)で向かってくるので、フェアープレーの精神を貫きたい我が国の選手たちは苦境に立たされるのだった。そういう先入観を持って2試合を観戦した次第。

女子の場合:
こちらが先だった。結果としては、後半の終わり近くまで双方とも無得点の試合展開だったので最早引き分けで我が方の勝ちかと思ったときにPKを得て、目出度く優勝してくれたのは大変結構だった。勿論、韓国の女子選手たちはそれなりに闘志を発揮して厳しい当たり方をしてきたが、何とか切り抜けたのだった。何が何でも、韓国代表相手に勝ったことは褒めておかねばなるまい。善くぞ優勝してくれて有り難う。

冷静な評論家として見た場合に、高倉麻子監督率いる「なでしこ」とやらには多くの不満な点があった。第一に言えることは「W杯を獲得した頃の代表とは較べようもない未熟なテイームである」という残念な点だ。特に目立ったのが、男子と同様に「後方向けから横、更に横」というバックス間のパス交換が多くて、積極性に欠ける恨みがある点だ。問題はそれだけに止まらず、その時間を浪費しているパス交換の間に、前線にいる者たちが全く走っても動いてもいないことを挙げたい。そこで仕方がなく縦一発の無駄なパスを蹴り込むだけの戦法になってしまうのだ。

アナウンサーと澤穂希が出ていた解説者は今やエースとなった岩淵その他が出ていないか招集されていなかったと指摘していたが、明らかに中心となって試合を組み立てる者が不在だったし、私が常に指摘する「代表という名の寄せ集めテイーム」の弱点が、これでもかと言うほどでていた。東アジア選手権が如何なる位置づけになっているのか知らないが、石清水、熊谷、鮫島等のあの時代の生き残りは未だ使えるのではないかと思って見ていた。もしも、オリンピック向けに世代交代を図っているのであれば、最初からそう言って置いて欲しかった。

男子の場合:
居合わせた二男も指摘したが、「この大会に何の為に出たのか。あのような海外組抜きで臨んだ理由と目的は何か」が不明だった。あのJリーグ選抜であるかの如きメンバー構成では、本気でかかってくるだろう韓国代表に勝てないことなどは自明の理だったのではないか。それとも森保監督の意図は世代交代と、今頃になってのオリンピック向けの選手養成にあったのかと疑わせてくれた。より厳しく言えば韓国にあそこまで翻弄されていたのでは、本田圭佑がオーバーエージで出して欲しいとあからさまに言うのも尤もだと思わせてくれた。


女子の場合と全く同じ批判になるが、森保監督にはあのメンバー構成の目的と理由を明らかにして欲しかった。テイームの中心人物は不在だし、自分でキープしてでもやってやろうという意欲を見せる者は見当たらず、一寸でも韓国勢が早い寄せをしてくると躊躇うことなく後方へのパスで、アナウンサーが「ビルドアップをやり直す」とか「サイドチェンジ」などと表現する消極的なサッカーでは、過剰な闘志に満ち溢れた韓国勢に勝てる訳がなかった。情けない試合だった。前半に1点取られたところで観戦を止めようかとすら考えた。

この大会には欧州組を呼べない時期に開催されているのはハナから解っていたはずだ。そうであれば、森保監督は何としてでも世代交代乃至はオリンピック向けの選手養成にもっと時間を割けるよう工夫するか、協会は兼任を解くべきではないのではないか。あのような無残な負け方を見せられては腹立たしいだけだ。それにしても、Jリーグ選抜は情けないほど意気地がなかったのは「残念至極」程度では表せない不甲斐なさだった。