好事魔多し:
物事が上手く行っているということは、その裏に何か思いがけない事故か不祥事がが潜んでいるものだと私は常に考えてきた。近頃そのようなその「可哀想だな」と思わせられた例には、昨17日に10ヶ月にも及ぶ病院での治療から解放されたと報じられた水泳の池江璃花子さんがあると思う。池江さんは高校に入った頃から目覚ましい飛躍を見せて次々と日本記録を更新し続け来たし、私が最も忌み嫌ってきたマスコミの過剰だとしか思えない持て囃しに会ってきた。その意味は「彼らにチヤホヤされると碌なことにならない」ということ。
私には水泳のことは良く解らないが、この選手は何処まで伸びて世界の舞台というか、オリンピックでも入賞できるところまで行けるのかなとは思っていた。だが、密かに事が上手く運びすぎているのではないかとの懸念は抱いていた。だが、水泳は全く私の守備範囲内にない種目なので、何か語ろうと思ったことはなかった。そこにあの白血病の発症である。「なるほど、良い選手だと思っていたが、こういう落とし穴が待っていたのか。本当に気の毒なことだ」と思わせられた。兎角この世は上手いことばかり起きるものではないということだと痛感した。無事に復活できると良いなと思う。
次は同じ水泳界の荻野浩介だ。彼も恵まれた体格を活かして次々と記録を出すは優勝し続けていて順風満帆かと思わせてくれたし、ライバルとやら言われた瀬戸大也なる者に大きな差をつけていた。だが、何と自転車の落車で腕を骨折して長期療養を余儀なくされている間に、私が「あの顔付きがイヤだ」というだけの理由で毛嫌いしていた瀬戸に抜かれてしまった。無理筋かも知れないが、彼もマスコミに褒めちぎられ過ぎると、思いがけない出来事で挫折するという例になってしまった。気の毒だと思って見ていた。
今度は我が国から3人目だったかのNBA(アメリカの世界最高峰を誇るプロバスケットボールリーグ)の選手となった八村塁を採り上げよう。彼はアメリカの大学でプレーして認められて、NCAAで成功してドラフトの一巡目で指名され目出度くNBA入りして、何と4億ドルの年俸を獲得した。しかも加入したワシントン・ウイザーズではいきなりほぼ一本目の地位を与えられ、各テレビ局は毎日のように彼の動静を報じている有様だった。私の目から見れば、明らかに過剰報道であり、持ち上げ過ぎで、落とし穴を掘っているかの感が濃厚だった。
すると、矢張り「禍福はあざなえる縄のごとし」で、リバウンドの競り合いの中で味方の選手の膝が彼の鼠径部に当たり打撲傷となって、床の崩れ落ちてしまった。英語の表現は初めて知った言葉で“groin contusion”となっていた。“contusion”は私自身がアメリカで交通事故の被害者となった時に顔面が腫れ上がって内出血して聞いた言葉だったのが懐かしくも何ともなく思い出させられた。私のことは兎も角、八村君はこの負傷で最短でも5日間の欠場となると報じられている。
問題はここから先で、折角新人で(“rookie”のことだが、正確な発音は「ルキー」が近く、「ルーキー」は明らかな誤表記である、念の為)ほぼ一本目の地位を確保できたかに見えたものが、欠場中は彼の退場を待っていた補欠に取って代わられる危険性が出てきたと思うべきだろう。しかも、あの高度な技術と体力が求められているNBAで5日間も休んだ間に体力を取り戻して、あのスピード感を取り戻すのはそう簡単なことではないような気がするだ。ここにも、マスコミの過剰な持て囃し方の予期せざる代償があったように思ってしまう。
「世の中というのはこういうものなのだな」と、あらためて思わせられた。しかも報道で知ったことで八村君は年俸の他にスポンサー契約とCMで11億ドルという立派な収入を得ているのだそうだ。アメリカの三大プロスポーツの中ではNBAは試合数も多いので最も高額な収入があるとは聞いていたが、大学を出たばかりの新人でも15億ドルかと、矢張り驚かされた。これでは、八村君は可及的速やかに回復して試合に出ないことには、スポンサー様に申し訳ないことになってしまうではないか。正直なところ、私は彼には「話が上手く行きすぎていないか」と見ていた。
目を商いの世界に転じてみると、私はゾゾ何とやらの前沢勇作氏も「話が美味すぎるのでは」と思わせてくれていたし、女優とどうしたのとマスコミの持て囃子の絶好の標的となっている感が極めて濃厚だった。また、彼は他にも多くの話題を提供していた。その全盛期というか頂点に達し方思わせてくれていたと思った途端に、事業を売却して見せた。もしかすると、彼自身が上手く行きすぎていると自覚していたのかなとすら疑いたくなった。
上記のような物語に別に結論を導き出す必要もないとは思うが、私は「これが世の中ってもんだ」と思いながら眺めてきた。何回か引用した英語の表現では、“That’s the way things happen.”はこういう事柄が当て嵌まるように思えるのだ。
物事が上手く行っているということは、その裏に何か思いがけない事故か不祥事がが潜んでいるものだと私は常に考えてきた。近頃そのようなその「可哀想だな」と思わせられた例には、昨17日に10ヶ月にも及ぶ病院での治療から解放されたと報じられた水泳の池江璃花子さんがあると思う。池江さんは高校に入った頃から目覚ましい飛躍を見せて次々と日本記録を更新し続け来たし、私が最も忌み嫌ってきたマスコミの過剰だとしか思えない持て囃しに会ってきた。その意味は「彼らにチヤホヤされると碌なことにならない」ということ。
私には水泳のことは良く解らないが、この選手は何処まで伸びて世界の舞台というか、オリンピックでも入賞できるところまで行けるのかなとは思っていた。だが、密かに事が上手く運びすぎているのではないかとの懸念は抱いていた。だが、水泳は全く私の守備範囲内にない種目なので、何か語ろうと思ったことはなかった。そこにあの白血病の発症である。「なるほど、良い選手だと思っていたが、こういう落とし穴が待っていたのか。本当に気の毒なことだ」と思わせられた。兎角この世は上手いことばかり起きるものではないということだと痛感した。無事に復活できると良いなと思う。
次は同じ水泳界の荻野浩介だ。彼も恵まれた体格を活かして次々と記録を出すは優勝し続けていて順風満帆かと思わせてくれたし、ライバルとやら言われた瀬戸大也なる者に大きな差をつけていた。だが、何と自転車の落車で腕を骨折して長期療養を余儀なくされている間に、私が「あの顔付きがイヤだ」というだけの理由で毛嫌いしていた瀬戸に抜かれてしまった。無理筋かも知れないが、彼もマスコミに褒めちぎられ過ぎると、思いがけない出来事で挫折するという例になってしまった。気の毒だと思って見ていた。
今度は我が国から3人目だったかのNBA(アメリカの世界最高峰を誇るプロバスケットボールリーグ)の選手となった八村塁を採り上げよう。彼はアメリカの大学でプレーして認められて、NCAAで成功してドラフトの一巡目で指名され目出度くNBA入りして、何と4億ドルの年俸を獲得した。しかも加入したワシントン・ウイザーズではいきなりほぼ一本目の地位を与えられ、各テレビ局は毎日のように彼の動静を報じている有様だった。私の目から見れば、明らかに過剰報道であり、持ち上げ過ぎで、落とし穴を掘っているかの感が濃厚だった。
すると、矢張り「禍福はあざなえる縄のごとし」で、リバウンドの競り合いの中で味方の選手の膝が彼の鼠径部に当たり打撲傷となって、床の崩れ落ちてしまった。英語の表現は初めて知った言葉で“groin contusion”となっていた。“contusion”は私自身がアメリカで交通事故の被害者となった時に顔面が腫れ上がって内出血して聞いた言葉だったのが懐かしくも何ともなく思い出させられた。私のことは兎も角、八村君はこの負傷で最短でも5日間の欠場となると報じられている。
問題はここから先で、折角新人で(“rookie”のことだが、正確な発音は「ルキー」が近く、「ルーキー」は明らかな誤表記である、念の為)ほぼ一本目の地位を確保できたかに見えたものが、欠場中は彼の退場を待っていた補欠に取って代わられる危険性が出てきたと思うべきだろう。しかも、あの高度な技術と体力が求められているNBAで5日間も休んだ間に体力を取り戻して、あのスピード感を取り戻すのはそう簡単なことではないような気がするだ。ここにも、マスコミの過剰な持て囃し方の予期せざる代償があったように思ってしまう。
「世の中というのはこういうものなのだな」と、あらためて思わせられた。しかも報道で知ったことで八村君は年俸の他にスポンサー契約とCMで11億ドルという立派な収入を得ているのだそうだ。アメリカの三大プロスポーツの中ではNBAは試合数も多いので最も高額な収入があるとは聞いていたが、大学を出たばかりの新人でも15億ドルかと、矢張り驚かされた。これでは、八村君は可及的速やかに回復して試合に出ないことには、スポンサー様に申し訳ないことになってしまうではないか。正直なところ、私は彼には「話が上手く行きすぎていないか」と見ていた。
目を商いの世界に転じてみると、私はゾゾ何とやらの前沢勇作氏も「話が美味すぎるのでは」と思わせてくれていたし、女優とどうしたのとマスコミの持て囃子の絶好の標的となっている感が極めて濃厚だった。また、彼は他にも多くの話題を提供していた。その全盛期というか頂点に達し方思わせてくれていたと思った途端に、事業を売却して見せた。もしかすると、彼自身が上手く行きすぎていると自覚していたのかなとすら疑いたくなった。
上記のような物語に別に結論を導き出す必要もないとは思うが、私は「これが世の中ってもんだ」と思いながら眺めてきた。何回か引用した英語の表現では、“That’s the way things happen.”はこういう事柄が当て嵌まるように思えるのだ。