実際にその場に行ってみなければ:
かのMLBの大選手・イチローこと鈴木一朗君が、その主催する少年野球大会の終了に当たって訓示をしたそうだ。その内容を簡単に纏めてみれば「現代では何事も調べてみれば知ることが出来るので、解った気になれる。だが、物事の実態はその場に行ってみなければ解らないものである」となるだろうか。彼の訓話の前後から判断すれば「MLBの野球選手に誰でもなりたいだろうと思う。だが、実際にその場に行ってみなければ、MLBとは如何なる存在かは知り得ないのだ」と言っていたと思って聞いた。
その通りだと思う。事野球だけに絞ってイチロー君の言ったことを考えて見れば、ダルビッシュがアメリカに渡って2ヶ月もしない後でアメリカの野球を称して「何か異種の競技をやっているのかと思った」と喝破したのは正しいと思っている。即ち、「アメリカに行っても、我が国と同じような文化の下にbaseballがあるのではない」ということだ。私は幾度もMLBの野球を見る機会があったが、時を経るにつれてドンドンと異種の球技になって行ったと思って見てきた。
私は日本の会社で17年半ほど育てて頂いた後にアメリカの会社に、夢想だにしなかった偶然の積み重ねで転進してしまった。しかしながら、転進する前も実際に初めてアメリカ本土に渡ってアメリカの会社の実態に触れても、文化や仕来りの違いがあるだろうなどとは全く考えていなかった。いや、異文化の世界に入ったのかとか、そんなことまで観察しようとかなどということを考えている暇も余裕もなかった。唯々新しい世界にどうやって溶け込んでいって、期待されただろう実績を挙げるかだけしか考えていなかった。しかし、英語についてだけは全く心配していなかった。
ところがである。それまでは仲間や友人たちの間では全く何の問題もなく意思の疎通が出来ていた(あるいはそう勝手に信じていただけかも知れないが)英語ですら、ビジネスの世界ではかなり違っていたし、実際にアメリカ人たちが身内というか社内で使っている言葉には慣用句と口語体が多かったし、社内の報告書で使われている言葉にも一定の決まりがあるようだと解ってきた。しかし、そういうことは全て承知しているはずだと思って雇われた以上、知らないことでも知っている振りをして、言わばOJTで学んでいくしかなかった。容易ではなかった。
即ち、ダルビッシュがいみじくも言った「異種のビジネスの世界に入っていた」と気付くのには数年を要したと思う。言ってみれば、イチロー君が訓示した「そこに行ってみなければ知り得ないこと」という壁が現れたということだった。しかも、その壁とはどのような素材で組み立てられているものかなどは、2~3年では到底知り得る性質ではなかったのだった。兎に角、自分の頭の上の蠅を追うだけで精一杯だった。イチロー君は「行ってみなければ」と言ったが、行っただけで知り尽くせる違いではなかった。勿論、そこには言葉の能力は必須である。
私が得意とする「我が国とアメリカの企業社会における文化の違い論」などは人前で語れるようになるほど解ってきたのは、実にW社に転身後の15年近くも経ってからだった。それまでは「何故アメリカの管理職以下の者はこれほど物解りが悪いのか」であるとか「彼らは何故自分の担当分野以外の事柄には絶対に手を出さないのか(のは当然なのだが)」等々、イライラさせられたことがアメリカの会社では多かった。アメリカ人たちは皆のろまだと心に中で呪っていたことすらあった。
そのような悩みを全て「文化の違い」に収斂させると綺麗に割り切れると解り始めたのは、10年も経った後だった。我が国の会社が「アメリカの会社とは全く異なる文化と哲学とシステムと主義主張等々で動いている全く異なる存在だ」とということなのだ。後難を恐れて言えば、そういうことだと承知しておられた駐在員の方は希であり、私の拙い解説を聞かれて「それほど違うとは知らなかった」と驚かれた。留学の経験がある方でも同じような反応だった。勿論、アメリカ人たちも「日本の会社も自分たちと同じような会社」と信じているのが普通の現象だった。
「文化の違い」とはそういうものだと心得ている方は、我が国でもアメリカでもそう多くはなかった。それは別に驚くべき事でも何でもないと私は考えている。そう言う根拠は「私のように仮令東京駐在であっても単身アメリカの会社に乗り込んでしまったので、その文化と歴史の違いの中に身を置いてしまった方が沢山おられるとも思えないし、私のようにその比較論を語り且つ書き物にした人が少ない」という点にある。即ち、イチロー君の指摘は正しいが、実際にその世界に身を投じて、文化の違いに出会って初めて知る得るのだと言いたいのだ。
だが、何もアメリカ人の会社に入っていかずとも、アメリカ等の外国を見てくるだけでも視野は自ずと広がっていくのだと思う。ましてや駐在でも留学でも経験すれば見聞は大いに広まるのは間違いないと思う。私は転身後1年も経たなかった後で、元の会社の言わば上司の方と語り合う機会があった時に「えらい視野が広まって、高い視点から物事を論じるようになったな」と感心されたことがあった。だが、自分には全くそういう意識はなかったので「そういうものかな」と思った程度だった。矢張り、結論は「海外を経験せよ」辺りになるのだろう。
かのMLBの大選手・イチローこと鈴木一朗君が、その主催する少年野球大会の終了に当たって訓示をしたそうだ。その内容を簡単に纏めてみれば「現代では何事も調べてみれば知ることが出来るので、解った気になれる。だが、物事の実態はその場に行ってみなければ解らないものである」となるだろうか。彼の訓話の前後から判断すれば「MLBの野球選手に誰でもなりたいだろうと思う。だが、実際にその場に行ってみなければ、MLBとは如何なる存在かは知り得ないのだ」と言っていたと思って聞いた。
その通りだと思う。事野球だけに絞ってイチロー君の言ったことを考えて見れば、ダルビッシュがアメリカに渡って2ヶ月もしない後でアメリカの野球を称して「何か異種の競技をやっているのかと思った」と喝破したのは正しいと思っている。即ち、「アメリカに行っても、我が国と同じような文化の下にbaseballがあるのではない」ということだ。私は幾度もMLBの野球を見る機会があったが、時を経るにつれてドンドンと異種の球技になって行ったと思って見てきた。
私は日本の会社で17年半ほど育てて頂いた後にアメリカの会社に、夢想だにしなかった偶然の積み重ねで転進してしまった。しかしながら、転進する前も実際に初めてアメリカ本土に渡ってアメリカの会社の実態に触れても、文化や仕来りの違いがあるだろうなどとは全く考えていなかった。いや、異文化の世界に入ったのかとか、そんなことまで観察しようとかなどということを考えている暇も余裕もなかった。唯々新しい世界にどうやって溶け込んでいって、期待されただろう実績を挙げるかだけしか考えていなかった。しかし、英語についてだけは全く心配していなかった。
ところがである。それまでは仲間や友人たちの間では全く何の問題もなく意思の疎通が出来ていた(あるいはそう勝手に信じていただけかも知れないが)英語ですら、ビジネスの世界ではかなり違っていたし、実際にアメリカ人たちが身内というか社内で使っている言葉には慣用句と口語体が多かったし、社内の報告書で使われている言葉にも一定の決まりがあるようだと解ってきた。しかし、そういうことは全て承知しているはずだと思って雇われた以上、知らないことでも知っている振りをして、言わばOJTで学んでいくしかなかった。容易ではなかった。
即ち、ダルビッシュがいみじくも言った「異種のビジネスの世界に入っていた」と気付くのには数年を要したと思う。言ってみれば、イチロー君が訓示した「そこに行ってみなければ知り得ないこと」という壁が現れたということだった。しかも、その壁とはどのような素材で組み立てられているものかなどは、2~3年では到底知り得る性質ではなかったのだった。兎に角、自分の頭の上の蠅を追うだけで精一杯だった。イチロー君は「行ってみなければ」と言ったが、行っただけで知り尽くせる違いではなかった。勿論、そこには言葉の能力は必須である。
私が得意とする「我が国とアメリカの企業社会における文化の違い論」などは人前で語れるようになるほど解ってきたのは、実にW社に転身後の15年近くも経ってからだった。それまでは「何故アメリカの管理職以下の者はこれほど物解りが悪いのか」であるとか「彼らは何故自分の担当分野以外の事柄には絶対に手を出さないのか(のは当然なのだが)」等々、イライラさせられたことがアメリカの会社では多かった。アメリカ人たちは皆のろまだと心に中で呪っていたことすらあった。
そのような悩みを全て「文化の違い」に収斂させると綺麗に割り切れると解り始めたのは、10年も経った後だった。我が国の会社が「アメリカの会社とは全く異なる文化と哲学とシステムと主義主張等々で動いている全く異なる存在だ」とということなのだ。後難を恐れて言えば、そういうことだと承知しておられた駐在員の方は希であり、私の拙い解説を聞かれて「それほど違うとは知らなかった」と驚かれた。留学の経験がある方でも同じような反応だった。勿論、アメリカ人たちも「日本の会社も自分たちと同じような会社」と信じているのが普通の現象だった。
「文化の違い」とはそういうものだと心得ている方は、我が国でもアメリカでもそう多くはなかった。それは別に驚くべき事でも何でもないと私は考えている。そう言う根拠は「私のように仮令東京駐在であっても単身アメリカの会社に乗り込んでしまったので、その文化と歴史の違いの中に身を置いてしまった方が沢山おられるとも思えないし、私のようにその比較論を語り且つ書き物にした人が少ない」という点にある。即ち、イチロー君の指摘は正しいが、実際にその世界に身を投じて、文化の違いに出会って初めて知る得るのだと言いたいのだ。
だが、何もアメリカ人の会社に入っていかずとも、アメリカ等の外国を見てくるだけでも視野は自ずと広がっていくのだと思う。ましてや駐在でも留学でも経験すれば見聞は大いに広まるのは間違いないと思う。私は転身後1年も経たなかった後で、元の会社の言わば上司の方と語り合う機会があった時に「えらい視野が広まって、高い視点から物事を論じるようになったな」と感心されたことがあった。だが、自分には全くそういう意識はなかったので「そういうものかな」と思った程度だった。矢張り、結論は「海外を経験せよ」辺りになるのだろう。