新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

12月23日 その2 イチロー君の訓話に思う

2019-12-23 15:56:52 | コラム
実際にその場に行ってみなければ:

かのMLBの大選手・イチローこと鈴木一朗君が、その主催する少年野球大会の終了に当たって訓示をしたそうだ。その内容を簡単に纏めてみれば「現代では何事も調べてみれば知ることが出来るので、解った気になれる。だが、物事の実態はその場に行ってみなければ解らないものである」となるだろうか。彼の訓話の前後から判断すれば「MLBの野球選手に誰でもなりたいだろうと思う。だが、実際にその場に行ってみなければ、MLBとは如何なる存在かは知り得ないのだ」と言っていたと思って聞いた。

その通りだと思う。事野球だけに絞ってイチロー君の言ったことを考えて見れば、ダルビッシュがアメリカに渡って2ヶ月もしない後でアメリカの野球を称して「何か異種の競技をやっているのかと思った」と喝破したのは正しいと思っている。即ち、「アメリカに行っても、我が国と同じような文化の下にbaseballがあるのではない」ということだ。私は幾度もMLBの野球を見る機会があったが、時を経るにつれてドンドンと異種の球技になって行ったと思って見てきた。

私は日本の会社で17年半ほど育てて頂いた後にアメリカの会社に、夢想だにしなかった偶然の積み重ねで転進してしまった。しかしながら、転進する前も実際に初めてアメリカ本土に渡ってアメリカの会社の実態に触れても、文化や仕来りの違いがあるだろうなどとは全く考えていなかった。いや、異文化の世界に入ったのかとか、そんなことまで観察しようとかなどということを考えている暇も余裕もなかった。唯々新しい世界にどうやって溶け込んでいって、期待されただろう実績を挙げるかだけしか考えていなかった。しかし、英語についてだけは全く心配していなかった。

ところがである。それまでは仲間や友人たちの間では全く何の問題もなく意思の疎通が出来ていた(あるいはそう勝手に信じていただけかも知れないが)英語ですら、ビジネスの世界ではかなり違っていたし、実際にアメリカ人たちが身内というか社内で使っている言葉には慣用句と口語体が多かったし、社内の報告書で使われている言葉にも一定の決まりがあるようだと解ってきた。しかし、そういうことは全て承知しているはずだと思って雇われた以上、知らないことでも知っている振りをして、言わばOJTで学んでいくしかなかった。容易ではなかった。

即ち、ダルビッシュがいみじくも言った「異種のビジネスの世界に入っていた」と気付くのには数年を要したと思う。言ってみれば、イチロー君が訓示した「そこに行ってみなければ知り得ないこと」という壁が現れたということだった。しかも、その壁とはどのような素材で組み立てられているものかなどは、2~3年では到底知り得る性質ではなかったのだった。兎に角、自分の頭の上の蠅を追うだけで精一杯だった。イチロー君は「行ってみなければ」と言ったが、行っただけで知り尽くせる違いではなかった。勿論、そこには言葉の能力は必須である。

私が得意とする「我が国とアメリカの企業社会における文化の違い論」などは人前で語れるようになるほど解ってきたのは、実にW社に転身後の15年近くも経ってからだった。それまでは「何故アメリカの管理職以下の者はこれほど物解りが悪いのか」であるとか「彼らは何故自分の担当分野以外の事柄には絶対に手を出さないのか(のは当然なのだが)」等々、イライラさせられたことがアメリカの会社では多かった。アメリカ人たちは皆のろまだと心に中で呪っていたことすらあった。

そのような悩みを全て「文化の違い」に収斂させると綺麗に割り切れると解り始めたのは、10年も経った後だった。我が国の会社が「アメリカの会社とは全く異なる文化と哲学とシステムと主義主張等々で動いている全く異なる存在だ」とということなのだ。後難を恐れて言えば、そういうことだと承知しておられた駐在員の方は希であり、私の拙い解説を聞かれて「それほど違うとは知らなかった」と驚かれた。留学の経験がある方でも同じような反応だった。勿論、アメリカ人たちも「日本の会社も自分たちと同じような会社」と信じているのが普通の現象だった。

「文化の違い」とはそういうものだと心得ている方は、我が国でもアメリカでもそう多くはなかった。それは別に驚くべき事でも何でもないと私は考えている。そう言う根拠は「私のように仮令東京駐在であっても単身アメリカの会社に乗り込んでしまったので、その文化と歴史の違いの中に身を置いてしまった方が沢山おられるとも思えないし、私のようにその比較論を語り且つ書き物にした人が少ない」という点にある。即ち、イチロー君の指摘は正しいが、実際にその世界に身を投じて、文化の違いに出会って初めて知る得るのだと言いたいのだ。

だが、何もアメリカ人の会社に入っていかずとも、アメリカ等の外国を見てくるだけでも視野は自ずと広がっていくのだと思う。ましてや駐在でも留学でも経験すれば見聞は大いに広まるのは間違いないと思う。私は転身後1年も経たなかった後で、元の会社の言わば上司の方と語り合う機会があった時に「えらい視野が広まって、高い視点から物事を論じるようになったな」と感心されたことがあった。だが、自分には全くそういう意識はなかったので「そういうものかな」と思った程度だった。矢張り、結論は「海外を経験せよ」辺りになるのだろう。


「忘年会スルー」の考察:

2019-12-23 14:39:01 | コラム
時代と世代の変化を感じた:

近頃しきりにこの「忘年会スルー」という、厳密に言えば意味不明でしかない言葉を聞かされるようになった。勿論カタカナ語交じりとして立派に通用しているようなのである。それだけに止まらず、私には現代人のものの考え方というか、感受性乃至は文化の違いを感じさせてくれる言葉のように聞こえる。

私は幸か不幸か39歳にしてアメリカの会社に転じてしまったので、日本の会社のような忘年会などという我が国独得の「何でも皆でやろう」という文化というかものの考え方をしない世界に入っていたので、そういうスルーするもしないもない会社暮らしをしていた。しかも、私は体質的にもアルコール飲料を受け付けないので、忘年かどころか所謂飲み会は言うに及ばず、接待での飲酒は苦痛に近いものがあった。それだけに、最早50年近くも離れていたそういう世界のことが、その「スルー」という話を聞いて寧ろ懐かしく思い出されたのだった。

確かに、その当時でも上司と飲みに出掛けることや、忘年会か新年会等々は出来ることならば回避したい方だった。だが、あの時代では「私は行きません」などとは到底言い出せるものではなかった。それが時移り人変わり「堂々とスルーする人たち」が出てきたという話は、陳腐な言い方をすれば「将に時代が変わったのか」と受け止めるのだった。従って私にも5時を過ぎてからの自分の自由を奪われることなど受け入れられないという気持ちは解らないでもない。

若かりし頃はそういう金の使い方が会社乃至は部門の予算内なのか、あるいは上司の胸先三寸にあるのかなど解らなかった。だが、何時の日か自分がそういう地位に立たされたらどうすれば良いのかななどと考えたこともなかった。しかし、再び「幸か不幸か」と言うが、そういう心配を全くする必要もない異文化の世界に何も知らずに移っていったので、そういう懸念があったことすら忘れていた。個人の主体性に依存し尚且つ車社会のアメリカの本社では、部乃至は課員全体が集まって飲食をすることなどあり得ないのだった。

では「日本(と言うか東京)の事務所では話が違うのではないのか」と訊かれそうだが、本社の各事業部を代表する駐在員の集合体であれば、全員の都合が揃って社外に飲食に出向くなどという機会などは、余程強制しない限り先ず起こりえなかったのだ。という次第で、我々にとっては「スルーするもしない」もなかったのだった。何とか記憶をたぐってみると、そう言えばクリスマスの日だったか24日には全員が放課後に会議室に集まって、一寸したおつまみで乾杯して終わりということはあったと思う。終了後には仕事に戻った者もいたと記憶する。

だが、よく考えてみれば何でも「皆で一緒にやろう」とか「一丸となって」という基本的な精神がある我が国で、5時以降の自分の時間を取られたくないという考え方をする世代が現れたということは、矢張り「時移り人変わり」なのだろうと思わせてくれる。私は飽くまでも個人の能力を基本にしているアメリカ式と、我が国のテイームワークかまたは皆が一丸となってという企業社会の文化を破壊してまで、個人の自由を優先するのもどうなのかなとは思っている。

上記のように考えて見れば、W社ジャパンが採用していたような方式で軽く済ませて「今年はご苦労様でした」と上司が全員の労を労って済ませる妥協点もありはしないかと思うのだが。その後で自費ででも飲みたい者たちが集まって繰り出せば良いのでは。だが、この考え方も「一丸とはならない」アメリカ式だと批判されそうだ。

ここで矢張りカタカナ語批判をしておくと「スルー」即ち“through”は「副詞」であり、それを恰も動詞のように使っているのは「単語の知識偏重」の我が国の英語教育の問題点を浮き彫りにしていると思う。ジーニアス英和辞典には「・・・を通り抜けて」が真っ先にあり、次は「・・・を貫いて」と出てきている。「忘年会をパスする」との意味で使うのは無理があると思う。因みに、Oxfordには“from one end or side of ~ to other”とある。思うにサッカーでいう「スルーパス」辺りの応用編だと思って製造業者が編み出したのではないのかな。