新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

12月20日 その2 森保一監督への疑問

2019-12-20 16:33:17 | コラム
如何なる指導方針と理念があるのか:

先日の東アジアサッカー選手権における対韓国の一戦における無残な敗戦について、サッカー経験者ではなく熱心なサッカーファン(乃至はサポーター)でもないと思われる方から、森保監督のオリンピック向けの選手養成乃至は指導方針というかテイームの運営について関して、痛烈な批判を聞かされた。残念ながら全く反論の余地がなかったというよりも、私も同感だったのである。この方もあの消極的な後陣でのパス回しばかりで「やってやろう」という気迫が感じられなかった点を慨嘆されたのだった。

その矛先にあったのが、森保監督に対する単純明快な「彼はあのような消極戦法を許しているのか、それともあれが彼がやりたいサッカーなのか」という単純明快な疑問だった。私にも解らない点なので、答えようもなかった。私は既に指摘し続けてきた現在の代表にまで上がってきている連中の、堅実なのか消極的なか知らぬが、我々が育ったWMフォーメーションの時代には当たり前だった「自分でキープして相対する相手デイフェンスを抜き去って、自分でシュートまで持っていこう」という戦術は許されていないのかと疑問に思ってきた。彼もそういう疑問を抱いておられた。

彼がその更にその先に問題視しておられたのが「あのような消極戦法を採り続けて、事もあろうに韓国にあの『1対0』というスコアが示す以上の惨敗をしているようでは、未だに日の出の勢いを見せるラグビー人気に遙かに置いて行かれるのは必定ではないか」との点だった。これにも全く反論できないどころか、「私も同様な寒心を持っている」という以外に何も言えなかった。いや、もっと具体例を挙げて言えば、先日の関学対早稲田の甲子園ボウルやジャパンXボウルの方が掛け値なく見る者を惹き付ける迫力があったのではないかとすら思っている。

正直なところを言えば、サッカー出身者である私が「それどころか、未だにマイナースポーツの域を脱して切れていない(アメリカン)フットボールの方が浮かび上がってくるのではないか」という素朴な希望的観測を持っている。森保監督については先日も指摘したが、彼の器量ではA代表とオリンピックと両方の監督を務めるのには無理がありはしないかと思っている。だが、もしも一言だけ監督を擁護出来ることがあるとすれば、あの消極性は選手たちが育ってくる間に、クラブか高校か大学かで教え込まれたもので、監督が指導した結果ではないだろうという点だ。

もっと単純な疑問点を挙げれば、「あの試合に欧州組を招集できていたとして、韓国の過剰なやる気と乱暴極まりない闘志の表現と対抗できただろうか」という懸念である。我が国との対戦の時だけ奮い立ってくるのであれば、我が方も韓国と対戦すると時には無い力まで出して対抗し、対応して貰いたかった。

通訳について

2019-12-20 14:09:16 | コラム
通訳は辛いぜ:

最早、30年以上も昔のことになってしまったが、我がW社が東京株式市場の外国部に上場すべく、幹事役の証券会社が顧客向けに説明会を開催した。我が方からはCEO兼社長が来日して会社の概要と上場の目論見についてスピーチをした。CEOは事前に同時通訳者と1時間ほど綿密に発言内容を打ち合わせしてあった。そして、同時通訳のブースが会場の最後部に設置された。我々社員はそのブースの前に着席して聞いていたのだった。

スピーチは打ち合わせ通りに進行して何の問題もなく終わった。だが、その後に質疑応答に入ってからは様相が一変してしまったのだった。即ち、多くの質問には同時通訳者の方々が知らなかっただろうと疑われる専門語が数多く含まれていたので難渋しておられたのだった。これは容易ならざる事で、我々にも彼ら専門家が苦悶の表情を浮かべていたのはブースのガラス越しに見えていた。我々にとっては何でもない紙パルプ産業と林産物業界のテクニカルタームスなのだが、業界人ではなかった通訳の方にとっては難問だったようだった。

この際に見えたことは、同時通訳の専門家でも如何なる言葉にでも通じてはおられなかったようという点。私は敢えて我が社に手落ちがあったとすれば、我が社の業界の専門語までを通訳と証券会社と事前に打ち合わせてくべ気だったのかも知れない。だが、専門家に「業界の専門語をご存じか」とまで幹事会社が質問できなかったのかも知れない。専門語というものはそれほど厄介な代物なのだと解る。

事実、その証券会社が来場された見込み客に配布した我が社の資料でも、我々の生命線である針葉樹=softwoodのことを「軟材」、闊葉樹または広葉樹=hardwoodは「硬材」と記載されていたのだった。我々から見れば思わず笑ってしまうような誤訳だったが、外部の方々にとっては扱いにくい専門語だったようだった。我々は「何でこんな間違いをしたのか。何故俺たちに尋ねなかったのか」と寧ろ嘆いていたようなこと。視点を変えれば「このような初歩的な誤訳は我が社の恥」なのだった。

私自身の苦い経験にも触れておこう。1972年に最初に転出したMead Corpの頃に、Packaging部門の担当者が出払っていた為に、食品の自動包装機の操作法の通訳を引き受けざるを得なくなって訪日中のフランス人の技術者と共に現場に出掛けたことがあった。勿論、当時はパルプ販売担当だった私の担当分野ではない。門外漢の私にはごく初歩的な機械の専門語はチンプンカンプン(因みに、英語では“It’s all Greek to me.”などと言うが)で、大恥かきの冷や汗ものだった。なお悪いことに、この機械はフランス製で生まれて初めて聞くフランス人の英語にも苦戦したのだった。

ここまでの教訓はと言えば、「初めての通訳を依頼する際には、敢えて失礼を顧みずに専門家にも『その業界の専門語にも通じておられるか否か』を事前に確認する必要がある」ということ。1988年の秋に2人の女性通訳者と共に某製紙会社の旗艦工場に30数名の他の事業部からの団体が訪れた際には、その工場までの1時間ほどの東北新幹線の車中で、私から十分に紙パルプ産業界の専門語を通訳に解説しておいたところ、全く淀みなく午後一杯をかけた工場見学と質疑応答を見事に裁いてくれたのだった。ここには、1972年の苦い経験が十分に活かされていたのだった。