如何なる指導方針と理念があるのか:
先日の東アジアサッカー選手権における対韓国の一戦における無残な敗戦について、サッカー経験者ではなく熱心なサッカーファン(乃至はサポーター)でもないと思われる方から、森保監督のオリンピック向けの選手養成乃至は指導方針というかテイームの運営について関して、痛烈な批判を聞かされた。残念ながら全く反論の余地がなかったというよりも、私も同感だったのである。この方もあの消極的な後陣でのパス回しばかりで「やってやろう」という気迫が感じられなかった点を慨嘆されたのだった。
その矛先にあったのが、森保監督に対する単純明快な「彼はあのような消極戦法を許しているのか、それともあれが彼がやりたいサッカーなのか」という単純明快な疑問だった。私にも解らない点なので、答えようもなかった。私は既に指摘し続けてきた現在の代表にまで上がってきている連中の、堅実なのか消極的なか知らぬが、我々が育ったWMフォーメーションの時代には当たり前だった「自分でキープして相対する相手デイフェンスを抜き去って、自分でシュートまで持っていこう」という戦術は許されていないのかと疑問に思ってきた。彼もそういう疑問を抱いておられた。
彼がその更にその先に問題視しておられたのが「あのような消極戦法を採り続けて、事もあろうに韓国にあの『1対0』というスコアが示す以上の惨敗をしているようでは、未だに日の出の勢いを見せるラグビー人気に遙かに置いて行かれるのは必定ではないか」との点だった。これにも全く反論できないどころか、「私も同様な寒心を持っている」という以外に何も言えなかった。いや、もっと具体例を挙げて言えば、先日の関学対早稲田の甲子園ボウルやジャパンXボウルの方が掛け値なく見る者を惹き付ける迫力があったのではないかとすら思っている。
正直なところを言えば、サッカー出身者である私が「それどころか、未だにマイナースポーツの域を脱して切れていない(アメリカン)フットボールの方が浮かび上がってくるのではないか」という素朴な希望的観測を持っている。森保監督については先日も指摘したが、彼の器量ではA代表とオリンピックと両方の監督を務めるのには無理がありはしないかと思っている。だが、もしも一言だけ監督を擁護出来ることがあるとすれば、あの消極性は選手たちが育ってくる間に、クラブか高校か大学かで教え込まれたもので、監督が指導した結果ではないだろうという点だ。
もっと単純な疑問点を挙げれば、「あの試合に欧州組を招集できていたとして、韓国の過剰なやる気と乱暴極まりない闘志の表現と対抗できただろうか」という懸念である。我が国との対戦の時だけ奮い立ってくるのであれば、我が方も韓国と対戦すると時には無い力まで出して対抗し、対応して貰いたかった。
先日の東アジアサッカー選手権における対韓国の一戦における無残な敗戦について、サッカー経験者ではなく熱心なサッカーファン(乃至はサポーター)でもないと思われる方から、森保監督のオリンピック向けの選手養成乃至は指導方針というかテイームの運営について関して、痛烈な批判を聞かされた。残念ながら全く反論の余地がなかったというよりも、私も同感だったのである。この方もあの消極的な後陣でのパス回しばかりで「やってやろう」という気迫が感じられなかった点を慨嘆されたのだった。
その矛先にあったのが、森保監督に対する単純明快な「彼はあのような消極戦法を許しているのか、それともあれが彼がやりたいサッカーなのか」という単純明快な疑問だった。私にも解らない点なので、答えようもなかった。私は既に指摘し続けてきた現在の代表にまで上がってきている連中の、堅実なのか消極的なか知らぬが、我々が育ったWMフォーメーションの時代には当たり前だった「自分でキープして相対する相手デイフェンスを抜き去って、自分でシュートまで持っていこう」という戦術は許されていないのかと疑問に思ってきた。彼もそういう疑問を抱いておられた。
彼がその更にその先に問題視しておられたのが「あのような消極戦法を採り続けて、事もあろうに韓国にあの『1対0』というスコアが示す以上の惨敗をしているようでは、未だに日の出の勢いを見せるラグビー人気に遙かに置いて行かれるのは必定ではないか」との点だった。これにも全く反論できないどころか、「私も同様な寒心を持っている」という以外に何も言えなかった。いや、もっと具体例を挙げて言えば、先日の関学対早稲田の甲子園ボウルやジャパンXボウルの方が掛け値なく見る者を惹き付ける迫力があったのではないかとすら思っている。
正直なところを言えば、サッカー出身者である私が「それどころか、未だにマイナースポーツの域を脱して切れていない(アメリカン)フットボールの方が浮かび上がってくるのではないか」という素朴な希望的観測を持っている。森保監督については先日も指摘したが、彼の器量ではA代表とオリンピックと両方の監督を務めるのには無理がありはしないかと思っている。だが、もしも一言だけ監督を擁護出来ることがあるとすれば、あの消極性は選手たちが育ってくる間に、クラブか高校か大学かで教え込まれたもので、監督が指導した結果ではないだろうという点だ。
もっと単純な疑問点を挙げれば、「あの試合に欧州組を招集できていたとして、韓国の過剰なやる気と乱暴極まりない闘志の表現と対抗できただろうか」という懸念である。我が国との対戦の時だけ奮い立ってくるのであれば、我が方も韓国と対戦すると時には無い力まで出して対抗し、対応して貰いたかった。