フィギュアスケートの王者・ネイサン・チェン:
私の偏見であると言われたら甘受するが、あのグランプリ・ファイナルとやらで羽生結弦に大差をつけて破った、このネイサン・チェン(20歳)がどうしても気に入らないので、何者であるかと、ここでもWikipediaに尋ねてみた。その(私には気に入らない中国的な)風貌からして彼がチャイニーズアメリカンであるとは十分に想像がついていた。
色々と判明したことがあった。先ずは氏名で Nathan Chenで、中国名は 陳巍であると知った。いきなり英語の講釈に行くが、ファーストネームとしてはNathanではなくNathanielが一般的で、その愛称がNatであると心得ていたので、何故“Nat Chen”と名乗ってこないのが不思議だった。また我が国のカタカナ語製造業者たちが良く素直に「ネイサン」と表記したものだと思う。これまでの手法で行けば「ナサン」と来るべきではなかったかと思った。
Wikipediaによれば、彼の両親は中国からの移民で、父親は留学生としてアメリカに入って科学の分野でPh.D.を取得しており、母やは中国語の通訳をしていたとあった。故に、この一族はトランプ大統領の支持層である非知識階級には属していないと思わせた。それが証拠に、チェン君はかのYale Universityに通っているとあった。私が常に指摘してきた今や年間7万ドル以上の学費がかかるIvy leagueの名門校であり、余計な話だが崇拝するウエアーハウザーの8代目CEO、ジョージの母校である。
チェン君はフィギュアスケートを始める前は体操をやっていたそうで、その際に鍛えた身体の動きがスケートでも大いに役立っていると記載されていた。これは尤もだと思う。アメリカのスポーツ界では多くの選手たちは一つの種目だけで育った来たのではないと言うべきか、多種目をこなしてその中から一つを選んで専門としていくのが普通であるからだ。チェン君もそうやって進歩してきたのだろうと想像がつく。それと対照的に羽生結弦君はフィギュアスケート一本で育ってきたのではないかと疑っている。
我が国の体育会制度の問題点というか、既存のシステムでは単能機的に育ってくるのはありがちなことだと思う。敢えて言えば、これも我が国とアメリカとのスポーツ界の文化の差であり、今後羽生君がチェンに追い付き追い越すのは容易ではないかと懸念させられた。ではあっても「羽生結弦君、一所懸命にやってくれ」と激励して終わる。
手首の痛さもあって、今日の所は短編だけで終わろうと思う。
参考資料:Wikipedia
私の偏見であると言われたら甘受するが、あのグランプリ・ファイナルとやらで羽生結弦に大差をつけて破った、このネイサン・チェン(20歳)がどうしても気に入らないので、何者であるかと、ここでもWikipediaに尋ねてみた。その(私には気に入らない中国的な)風貌からして彼がチャイニーズアメリカンであるとは十分に想像がついていた。
色々と判明したことがあった。先ずは氏名で Nathan Chenで、中国名は 陳巍であると知った。いきなり英語の講釈に行くが、ファーストネームとしてはNathanではなくNathanielが一般的で、その愛称がNatであると心得ていたので、何故“Nat Chen”と名乗ってこないのが不思議だった。また我が国のカタカナ語製造業者たちが良く素直に「ネイサン」と表記したものだと思う。これまでの手法で行けば「ナサン」と来るべきではなかったかと思った。
Wikipediaによれば、彼の両親は中国からの移民で、父親は留学生としてアメリカに入って科学の分野でPh.D.を取得しており、母やは中国語の通訳をしていたとあった。故に、この一族はトランプ大統領の支持層である非知識階級には属していないと思わせた。それが証拠に、チェン君はかのYale Universityに通っているとあった。私が常に指摘してきた今や年間7万ドル以上の学費がかかるIvy leagueの名門校であり、余計な話だが崇拝するウエアーハウザーの8代目CEO、ジョージの母校である。
チェン君はフィギュアスケートを始める前は体操をやっていたそうで、その際に鍛えた身体の動きがスケートでも大いに役立っていると記載されていた。これは尤もだと思う。アメリカのスポーツ界では多くの選手たちは一つの種目だけで育った来たのではないと言うべきか、多種目をこなしてその中から一つを選んで専門としていくのが普通であるからだ。チェン君もそうやって進歩してきたのだろうと想像がつく。それと対照的に羽生結弦君はフィギュアスケート一本で育ってきたのではないかと疑っている。
我が国の体育会制度の問題点というか、既存のシステムでは単能機的に育ってくるのはありがちなことだと思う。敢えて言えば、これも我が国とアメリカとのスポーツ界の文化の差であり、今後羽生君がチェンに追い付き追い越すのは容易ではないかと懸念させられた。ではあっても「羽生結弦君、一所懸命にやってくれ」と激励して終わる。
手首の痛さもあって、今日の所は短編だけで終わろうと思う。
参考資料:Wikipedia