新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

アメリカにおける女性の地位の考察 #2

2019-12-29 10:42:16 | コラム
アメリカにおける“Ladies first” や男女同権等の背景:

私は我が国ではアメリカにおける女性の地位に就いて誤解というか誤認識があると思っているので、実際にアメリカ人の中で過ごしてきた私の経験と知見から、その辺りをあらためて考えて見ようと思う次第。と言うのも、昨日畏メル友のO氏とS氏とこの件についてある程度の意見交換をしたので、1914年3月14日に発表した一文を下記のように多少加筆訂正してみたのです。


畏メル友尾形氏からは当時「こうして、米国では1970年代から「女性解放運動」(ウーマン・リブ)が盛んになりました。でも、何事も長短両面があります。」との指摘がありました。そこで、私が知る限りのアメリカにおける女性の地位というか、歴史的にどのように扱われてきたかについて私の見解を述べてみます。この件に関しては、私のアメリカの大手紙パルプメーカーでの経験と、1970年代から何人かの国内外の友人・知己からも教えられたことにも基づいています。

いきなり解りやすく言ってしまえば、アメリかでは我が国で考えられているほどアメリカ建国の頃から女性の地位が高かったのでもなければ、男女同権でもないばかりでもなく、男女同一労働同一賃金(雇用機会均等法)などと言うのも、近年になって実施されたに過ぎないということを指摘しておきます。

そのような点を示す実例として、1970年代後半に未だW社がカリフォルニア州の東部に牛乳パックの加工工場を持っていた頃の出来事を挙げておきます。私が事務棟で工場長と打ち合わせをしていたところに、女性の組合員が「何時になったら深夜勤務から解放されるのだ。約束が違う」と怒鳴り込んできました。工場長は慌てず騒がず「労働協約があるからそれに従って貴女のシフトも変わるから待つように」と説得。そして私には「これが男女同一労働同一賃金がもたらした結果だ。女性でも男性と同様に深夜勤務があると通告しても、未だこういう苦情が来る」と言いました。

また、1988年9月には当時カナダにあった印刷用紙工場に我が国の大手メーカーの工場の課長さんをご案内した時にも、興味深い男女同一労働同一賃金の例が見られました。それは工場内を規格外となって原料に戻す言わば古紙の大きな塊を女性の組合員がフォークリフトに積んで唸りを上げて場内を疾走して処分場に向かっていたのでした。課長さんは驚かれて「我が国の工場では女性がこのような現場に出ることはないし、ましてやフォークリフトの操縦などは考えられない」と指摘されたのでした。

更に、ワシントン州の私が所属していた事業部の製紙工場の手洗い所には「女性も入っていることもあるからノックせよ。鍵もかけるように」という貼り紙がしてあったのです。それ即ち、製紙工場の現場などは男性の職場だったので、女性は入って来ないという建前になっていたのです。だが、男女同一労働同一賃金ともなれば、女性も組合に入ってどちらかと言えば厳しい仕事をする三交代制の現場にも勤務することになるという意味。

ここで話は変わりますが、1950年代に朝日新聞だったか週刊朝日だったかの何れに連載されて人気が高かった、アメリカの"Blondie"という女性が主役の漫画がありました。作者はChic Youngとでした。読者の方も読まれていたかも知れません。Blondieの 亭主がDagwood Bumsteadでした。この中には何度もブロンディーがダグウッドに何か高価なものを買って欲しい時に懸命にお願いする場面がありました。我々の感覚では何の不思議もないのではと思うと同時に、何故かなとも感じていました。

しかし、当時のアメリカにおける女性の地位は我々には想像出来ないほど低く、女性は(仮令働いていたとしても)銀行に口座を開かせて貰えなかったのだそうです。私も50年代にはアメリカでも男社会だったとは知りませんでした。当時は一家の中でただ1人の働き手である亭主、即ち、ダグウッドが口座を開設している銀行の小切手帳を持っているので、ブロンディーは彼に願って(ねだって)小切手を切って貰うしか大きな買い物が出来なかったのだそうです。この漫画はこういう筋書きを作って、女性の地位を見せていたという解釈の仕方もあります。

それ以前からの欧米の風習には、かの"Ladies first"(「レディ-ファースト」はカタカナ語であり、文法的な誤りがあります)がありましたが、これは女性軽視を誤魔化す為に、他人の目がある所では如何にも丁重に扱っているかのように振る舞っていただけだと言えると、女性からも聞かされたのでした。ウーマン・リブなる運動が出てきたことの背景に、こういう言わば男尊女卑の風潮があったと考えるのが正解だったと教えて下さった人もおられました。

但し、女性に対して椅子を引いて座らせる、コート等を着せて上げる、階段を男性が先に上り後から降りる、エレベーターなどに先に乗せる、自動車には後に乗せる等々のマナーは何も軽視に対する埋め合わせではなく、言うなれば当然の礼儀だという見方がありますし、私は極力励行してきました。私は旧制中学1年の頃からGHQの秘書方と英語で話すことを教えて頂くので、一緒に過ごす時間が毎週のようにあったので、かなり厳しくこういうアメリカ式というのか西欧風のマナーを仕込まれていました。

女性(既婚者も)が働くようになったのは、アメリカの経済が発展して生活水準が世界最高となり、最新式の家電製品等々のように買わねばならない物が増えると、亭主だけの収入では賄いきれなくなったと同時に、信用膨張の経済も普及してクレディット・カードを使う頻度が上がったので、女性、特に既婚者も働く所謂ダブル・インカムの家庭が増えてきたと聞きました。そこで、女性も銀行口座を持てるようにもなり、クレデイット・カードも現在のように普及したということのようです。

また、これは俗説で真偽のほどは保証出来ませんが、「女性が男社会に進出して負けないように仕事をする為には、中途半端な能力と仕事の質では地位も収入も確保することが難しいので、懸命に努力する高学歴の女性が増えていった」との説も聞きました。その結果か、現在のような手厳しく男に対抗する女性が増えてきたのだそうです。実際に私の経験でも「女性と見て迂闊に対応しては大変なことになる」と痛感させられた能力が高い人はいくらでもいました。そこに「男女均一労働・均一賃金」の思想を具体化した雇用機会均等の法律もあるのだと思います。

言葉を換えれば、「アメリカの女性たちは長い年月をかけて戦い、現在の女性の地位を勝ちとった」と見るべきかも知れません。私の経験の範囲内でも非常に挑戦的な人もいれば、男性に対抗意識を露骨に表す人にも出会いました。そういう場合には外国人である私のような者は対応に苦慮させられたものでした。しかし、中には非常にしっとりとした日本の女性のような控え目の優しい人も勿論います。要するに人を見て扱わないと痛い目に遭わされるのが、アメリカの社会かと思います。

私が1994年1月にリタイヤーしたその頃には45,000名の社員がいたW社でも、本社の事業本部内に女性のマネージャーはいても、女性の副社長兼事業部長はいませんでした。しかし、私はこの事実と女性の仕事で発揮する能力と結びついているとは感じていませんでした。特に、秘書の女性たちはその職の範囲内で見れば素晴らしい人たちが数多くいたと思います。私は仕事には各人の向き不向きがあり、肝心なことは経営者乃至は上司が適材適所で人を使っていくことかと思うのですが。

参考資料: Wikipedia