新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

2月23日 その3 外国との交渉力と情報発信を考える

2021-02-23 11:47:45 | コラム
我が政府は外国に向けて主張すべき事を性根を据えて主張すべきだ:

対外交渉力だが、現在の中国の新海警法後の尖閣諸島に対する振る舞い、韓国が竹島付近で我が国の調査に対する無法な警告等々を見ていれば、我が国の政府なのか外務省なのかは知らないが、非常に遠慮気味だし、弱気だし、安全保障の精神が希薄であるように思えてならない。何故、外国に対して真っ向から物が言えないのかと、世界に向けての「日本国は」との情報発信量が不足であり、尚且つ韓国のようにロビー活動が出来ていないのかと、不安に思わせられる。

菅義偉氏が官房長官だった頃にも何度か批判したが、中国や韓国の不当な行為や言動に対して「官房長官が記者会見でモゴモゴ言っているだけではなく、相手国の本拠に乗り込んでその言動か行為の誤りと不法性を指摘して抗議すべきではないのか」だと不満に思っていた。それだけに、最近の中国と韓国の行動などは看過すべきではないと思っている。そこで、その辺りについて、私の思うところを述べて行こう。

私は20年ほどアメリカの社員として、我が国の一流企業と交渉を重ねている間に感じた事は「我々日本人は他者乃至は他国と揉め事(現在では「トラブル」という奇妙なカタカナ語になってしまったが)を起こすとか、気まずい間柄になる事や、相手の感情を害するような事を言うとか、相手と根本的に対立する事などを極力避けて、何とか円満に事を収めて妥協点か妥結点に持っていこうとする傾向がある」だった。これは我が国独得の優しさであると同時に、国際的交渉の場に慣れていない為に弱気になっているのだと見ていた。これでは良くないのだ。

私は自分の国の取引先に対して強硬な交渉をして、絶対に譲らない妥協はしないとの姿勢を見せねばならないのは、場数を踏むまでには「失敗は許されない」という何とも言えない恐怖感があった。だが、相手に「萎縮している、ストレスと闘っている」とは読まれないように、常に強気であり平静であるように装っていたが、これも結構な精神的な負担だった。この点を克服できれば、この接し方で、多くの場合は先方様を説得できたが、中には論理的にも強硬姿勢を崩さない非常に手強い方も何人かおられたのだった。

その一人はアメリカとの交渉の席に臨まれる部長に転任されるまでは工場長代理だった方で、全く何ものも恐れない方だった。後で知ったのだが、大学時代は弁論部におられた方だったそうで、「なるほど、そういう経験も持ち主だったからか」と納得した。その交渉術は事前にその議題に関して論旨を組み立てておかれて、如何にして相手を論破して屈服させるのが交渉事の醍醐味と言っておられた。言わば、カタカナ語でいう典型的な「タフネゴシエーター」だった。

我が方が大きな品質問題を起こして極めて難しい補償の交渉になった際に、副社長兼事業部長が「もう二度と同じような間違いは発生させません。何故ならば、工場のこの件の現場の係長は辞めさせましたから」と申し出てしまったのだった。すると、その途端にこの部長さんは厳しい表情に変わって、

「貴方方は『失敗から学ぶ』と言う事を知らないのか。その係長をクビにしては進歩がない。彼を即刻復職させて『何故、何処で過ちを犯したか』を徹底的に調査・分析させて、再発しないように工程を改善させるべきです。辞めさせて事が済むと思うのはとんだ大間違いだと知るべきだ」と諄々と説き聞かされたのだった。副社長以下一言もなかった。アメリカ式の人事対策を真っ向から否定されたのだから。「誠にご尤もです」と引き下がって、指摘されたように当該係長を復帰させた。「文化の違い」だけで済まない学習だった。

我が国では対外国の交渉でも、これくらいの断固たる強硬な考え方に裏打ちされた姿勢と、国際的な交渉に場慣れしただけではなく、度胸も備わった要員を育てて対応すべきではないだろうか。実は、この部長さんの強烈にして強硬な姿勢の教育的指導のお陰で、我が社は現場の組合員たちにも、工程を管理して尚且つ品質改善に取り組む努力をするように教育することが出来て、世界中何処に出しても通用するような製品を取引先に供給するように成長できたのだった。

対外国向けの交渉では上記のような場慣れと説得力と度胸が必要なのだが、その力を交渉事の場で十分にお発揮する為には「英語力」というか「外国語の能力」は必須なのだ。去る19日だったかにある元外務省の最高の高官の英語を聞いて、「あの程度では外国人を説得するか、彼らの思い違いを正せるような交渉は難しいのではないか、外務省は頼りにならないのではないか」と痛感させられたのだった。

私は今日までに何名かの外務省幹部の英語を聞いた事があったが、あのような我が国の至らざる英語教育で育った来られただけの英語力では、「妥協」という二文字がない辞書しか持っていアメリカやEU圏内の諸国との交渉では、相手を押しきれないのではと、不安に感じていた。このような状態だから、中国にも韓国にも「真っ向からズバリと物申せないのではにか」と、独り密かに危惧しているのだ。

実は、上記の我が社にとっては言わば恩人のような部長さんとの話し合いの場では、何と私が通訳していたのだった。誤解なきように申し上げておけば、殆どの取引先は「彼がいるから」と言われて、自社から通訳を立ててこられる事が先ずないのだった。この点は私にとっては非常に精神的にも負担だった。しかも、商社でも私に任せてくることもあった。それなりに評価して頂いたことは有り難いのだ。だが、私は何としても公正・公平な通訳となるように最善を尽くして(「ベストを尽くす」なんて言いません)いた。だが、それはかなり「ストレスフル」な仕事だった。

ここで重要なことは「取引先と我が社の間には長い年月をかけて『信頼関係』が確立されていたので、そういう一方的かも知れない通訳者の存在が許されたのだった。重ねて言うが「国際的な交渉の場では、信頼関係の確立が鍵を握っている」ということ。その最善の例が「安倍晋三前首相がドナルド・トランプ前大統領との間に確立された間柄」である。

あの信頼関係は、何も知らないマスコミが「シンゾー、ドナルドとファーストネームで呼び合う間柄」などという軽々しい問題ではないのだ。ファーストネーム・ベイシスの付き合いはごく普通の彼らの文化であるに過ぎないのだ。取り立てていうほども事ではない。安倍晋三前首相はそういう何処の国の首脳も達成できなかった「信頼関係」にまで持って行かれたのが素晴らしいのだ。「信頼関係」が何ものよりも重要なのだ。我が国で誰が文在寅大統領を信頼しているかを考えて見よ。


2月23日 その2 小池百合子東京都知事に忠告する

2021-02-23 09:08:27 | コラム
もう好い加減に英語擬きをお使いにならないで下さい:

昨22日だったか、記者団に「緊急事態宣言を解除するか」と尋ねられて「未だ早い。ここで緩めればリバウンドするから」と曰った。「あーあ」だった。この一語だけを捉えても、小池都知事の英語の知識の胡散臭さが見えてくる。第一に「リバウンド」と言われて、「正確にその意味を捉えられる都民が、どれほどいるか」なのだ。バスケットボールのファンにはその意味はそれなりに解るだろうが、遺憾ながら家内には解って貰っていなかった。

私は「緩めてしまえば、折角感染者数が減少したものが、再度増加してしまうので、解除はしない」と言って頂きたかった。ここから先は本気で揚げ足を取っていく。“rebound”という単語は、通常は動詞であり、小池さんが発音された場合は動詞なのである。その意味は「跳ね返ること、立ち直ること、株価や価格が立ち直る」なのだ。ところが、これから先が英語の困ったところで、名詞の場合の発音は「リーバウンド」になってしまうのだ。小池さんはご丁寧に動詞の後に「する」を付けてしまったのだった。正確には「リーバウンドする」と言うべきだった。見事に揚げ足を取った。

「屁理屈だ」と言いたい方は多いと思う。だが、そうであるかないかよりも「問題はあのように一々英語擬きを使う必然性があるのか」という点を問題にしたいのだ。小池さんのカタカナ語多用にはウンザリだし、ご当人は格好が良いと思っておられるのかも知れないが、私には単に「キザな小母様」としか思えない。以前にも指摘した「ロードマップ」などは、使われたのは凄いとは思わせられた。だが、永年アメリカの会社にいて「この言葉に出会った記憶がないほどの、文語的な表現なのだ」と感じた。何故解りやすく「工程表」と言ってはいけないのかと疑問に思った。

昨日も「緩めないので、ステイホームでご協力を」と言っておられた。これなどは簡単に「外出を控えて下さい」であって欲しいし、協力の願いではなく「外出を控えるのが貴方方都民の為です」ではないのか。私は英語擬きを乱発される知事さんには協力する気はないが、自分の安全の為には「極力外出は控える」所存である。

小池さん、もう好い加減に英語擬きを使って語りかけるのを辞めましょう。貴女様が英語を良くご存じだとは悲しいほど解りましたから。それって独り善がりではありませんか。


大坂なおみさんに思う事

2021-02-23 08:25:25 | コラム
ほんの雑感だが:

一寸気になる事:

オーストラリア・オープンで見事に優勝したのは誠に結構なことだったと思うし、賞賛に値する活躍だった。だが、ここから先が気懸かりなのだ。それは、昨22日辺りの各テレビ局の一致団結しての大坂なおみさん礼賛特集なのだ。中には彼女の人格まで取り上げて絶賛する始末だった。あの優勝はそれだけの賞賛に値すると言えると思うのだが、冷静な評論家としては「コインの裏側」が一寸心配になるなのだ。

それは、私の持論であり屡々杞憂に終わらない事態になってしまって例を言っているのだ。即ち、「我が国のマスコミ挙っての褒め過ぎ、持ち上げ過ぎは碌な結果にならない」という事。彼らが褒めちぎった為に褒められた当人が思い上がったとか増長したというのではなく、褒められた選手がその後にその礼賛に値しないような結果になってしまった例が多過ぎる事を指しているのだ。それが誰とは言わないが、例えばNPBの場合にドラフト1位指名を受けた高卒の者たちで、花が咲かずに脱落した例がどれほどあったかというような事。大坂さんも一時低迷したではないか。

彼女の英語:
「日系人だから、もっと日本語で語れ」などと狭量な事を言おうというのではない。私がとても悲しい事は「最早聞き取り能力が十二分に(?!)衰えた私には、彼女のアメリカ東海岸のニューヨーク育ちの早口と抑揚(intonation)がない語り口には、殆どついていけない」辺りなのだ。あれを聞き取って字幕を付けているテレビ局の専門家を尊敬している。W社の上司にもNY州育ちの人がいた。本部の連中が「彼は前の単語が終わらないうちに、もう次の単語を話しているので困る」と笑い話にしていたほど、西海岸育ちには早口に悩まされるのだった。

それだけではなく、一所懸命に聞いていると、彼女はある程度の頻度で“you know”を挟んでいるのに気が付いた。これはアメリカのプロの運動選手たちに多く見られる傾向なのだ。ご存じの方もおられると有り難いが、これは決して褒められる語り口ではないのだ。早く言えば「お里が知れる」ような性質だと危惧するのだ。でも、そんな揚げ足を取るのではなく、テニスの世界で華々しい成功を収めて「日本の選手」として世界にその名を広く知らしめた功績を賞賛しようと思っている。