森喜朗オリンピック組織委員会長は正直なお方か:
本4日朝から、マスメディアが一斉に森喜朗オリンピック組織委員会長の失言というか、偏見(?)を取り上げて大騒ぎである。その件をテレビのニュースで知っただけなのだが、森氏は「オリンピックはコロナウイルスの状態如何に拘わらず何としても開催する」と表明された記者会見の中で、公開の席上で言うのは芳しくない事柄を堂々と捲し立てられたようだった。森氏は総理在任中から発言(の不適切な部分だけを切り取られては)の揚げ足を再三再四取られておられた。視点を森氏寄りに変えてみれば「極めて正直な方だが、時と場を弁えておられない恨みが残る方」と言える。
今回は「女性蔑視と指摘され批判されても仕方がない事を語っておられた」と、テレビの画面に出た新聞記事を読んで感じた。私はつい先刻「マスコミ報道への疑問」と題して、彼らの偏りを批判したばかりだが、この森組織委員会長の発言は彼らマスコミの絶好の餌食になる事は間違いない性質だと思う。男女同権であり男尊女卑を排除し、男女同一労働・同一賃金、女性の登用等々はアメリカが元祖で、今や世界の潮流のと如き状態である。EU圏内等の先進国では女性大統領と総理大臣等は幾らでもいる。「その時代にあって森さんは何を言うのか」となるのも仕方がないだろう。
そこで、私は少しだけ森組織委員会長の擁護をしてみようと思う。その一つは「話が長いのは何も女性だけに限った事ではない」という点だ。一人だけ例を挙げておくと「某厚生労働大臣はただひたすら多弁で簡単な事を滔々と述べておられる癖がある」のだ。聞いていて集中できない。無理矢理に結論にすれば「話が長いのは女性だけか」という事。長話を制したかったならば、最初から「手短にお願いします」と振っておけば良いのではないかな。
次は一般論であるが、「女性(だけに限った事ではないかも知れないが)は年齢が進むほどに多弁になり質問が多くなってくるもの」と、経験上も言えるのだ。それを止める手立てなどはないと思う。その例として挙げられる事がある。それは「病院やクリニック等で順番待ちをしている際に、自分の前に中年以上の女性か高齢のご夫婦が診察室に入られると、甚だしい場合は30分以上も医師に語りかけるか、質問を連発しておられるのが聞こえてくる場合がある」のだ。正直に言ってイライラさせられる。森氏も同じ思いかと思う。
人は誰でもが豊富に医学の知識を持っている訳ではないので、不安や疑問があれば折角の機会だから訊きたくなるのだろう。医師も受け答えされるだろうし、質問を阻止はされないだろう。クリニックなどでは、時には世間話をしておられるのが聞こえる事もある。こういった現象と森組織委員会長の発言を同一に論じるのは無茶苦茶かも知れないが、JOC等の会議では女性の発言が長くても、そこには女性ならではの視点からの尊重すべき意見が聞けると思われるべきではないかなと思う。
私はこれまでに何度も指摘したが、アメリかでは1950年代まででは女性蔑視(軽視)の傾向が著しく、女性では銀行に口座も開設できなかったと述べてあった。そこで女性たちが立ち上がって、上記したような事柄を獲得すべく奮闘されたとの歴史がある。その点から見れば「かかあ天下」だの「女房の尻に敷かれる」だのという言い慣わしがある我が国の方が、余程男女同権となるのが早かったと思う。森組織委員会長は正直さと高齢化が進んで(時代遅れになって)しまったのかなと思って報道を聞いていた。
本4日朝から、マスメディアが一斉に森喜朗オリンピック組織委員会長の失言というか、偏見(?)を取り上げて大騒ぎである。その件をテレビのニュースで知っただけなのだが、森氏は「オリンピックはコロナウイルスの状態如何に拘わらず何としても開催する」と表明された記者会見の中で、公開の席上で言うのは芳しくない事柄を堂々と捲し立てられたようだった。森氏は総理在任中から発言(の不適切な部分だけを切り取られては)の揚げ足を再三再四取られておられた。視点を森氏寄りに変えてみれば「極めて正直な方だが、時と場を弁えておられない恨みが残る方」と言える。
今回は「女性蔑視と指摘され批判されても仕方がない事を語っておられた」と、テレビの画面に出た新聞記事を読んで感じた。私はつい先刻「マスコミ報道への疑問」と題して、彼らの偏りを批判したばかりだが、この森組織委員会長の発言は彼らマスコミの絶好の餌食になる事は間違いない性質だと思う。男女同権であり男尊女卑を排除し、男女同一労働・同一賃金、女性の登用等々はアメリカが元祖で、今や世界の潮流のと如き状態である。EU圏内等の先進国では女性大統領と総理大臣等は幾らでもいる。「その時代にあって森さんは何を言うのか」となるのも仕方がないだろう。
そこで、私は少しだけ森組織委員会長の擁護をしてみようと思う。その一つは「話が長いのは何も女性だけに限った事ではない」という点だ。一人だけ例を挙げておくと「某厚生労働大臣はただひたすら多弁で簡単な事を滔々と述べておられる癖がある」のだ。聞いていて集中できない。無理矢理に結論にすれば「話が長いのは女性だけか」という事。長話を制したかったならば、最初から「手短にお願いします」と振っておけば良いのではないかな。
次は一般論であるが、「女性(だけに限った事ではないかも知れないが)は年齢が進むほどに多弁になり質問が多くなってくるもの」と、経験上も言えるのだ。それを止める手立てなどはないと思う。その例として挙げられる事がある。それは「病院やクリニック等で順番待ちをしている際に、自分の前に中年以上の女性か高齢のご夫婦が診察室に入られると、甚だしい場合は30分以上も医師に語りかけるか、質問を連発しておられるのが聞こえてくる場合がある」のだ。正直に言ってイライラさせられる。森氏も同じ思いかと思う。
人は誰でもが豊富に医学の知識を持っている訳ではないので、不安や疑問があれば折角の機会だから訊きたくなるのだろう。医師も受け答えされるだろうし、質問を阻止はされないだろう。クリニックなどでは、時には世間話をしておられるのが聞こえる事もある。こういった現象と森組織委員会長の発言を同一に論じるのは無茶苦茶かも知れないが、JOC等の会議では女性の発言が長くても、そこには女性ならではの視点からの尊重すべき意見が聞けると思われるべきではないかなと思う。
私はこれまでに何度も指摘したが、アメリかでは1950年代まででは女性蔑視(軽視)の傾向が著しく、女性では銀行に口座も開設できなかったと述べてあった。そこで女性たちが立ち上がって、上記したような事柄を獲得すべく奮闘されたとの歴史がある。その点から見れば「かかあ天下」だの「女房の尻に敷かれる」だのという言い慣わしがある我が国の方が、余程男女同権となるのが早かったと思う。森組織委員会長は正直さと高齢化が進んで(時代遅れになって)しまったのかなと思って報道を聞いていた。